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ナチュラル


ナチュラル
"自然の"や"天然の"など、人の手が入っていないありのままの状態を表す英語の形容詞
                          (Google検索の上位に掲載)

人間は素っ裸で生まれてくる。
その頃の記憶はないが、
物心がついた時には、洋服を着ることとが当たり前になっていた。
学校に裸で登校する人はいないし、裸で授業をする先生もいない。

プールの時、ふざけて海パンを脱いだ男子生徒がいたが先生にこっぴどくしかられていた。

「なぜだ?!
 なぜ、裸はだめなんですか。僕らは裸でうまれてきたのに」
彼は先生に質問をしたが、

「そういうものなんだ!裸で外をあるいていたら警察に捕まるぞ!」
先生は明確な答えはせずに、そう言い切って教室を出て行った。


ナチュラル

真っ赤に艶めくお花の「ドロシー」は、おしゃべり付きだ。
街中でバッタリ出くわすと、井戸端会議が始まる。
井戸端会議といっても、ドロシーがずーーっとしゃべっているのだけど。

その日は、ドロシーの得意技をみせてもらった。

”ポフッ”
葉っぱの先から小さな太陽のような火の玉がでてくる。

「あなたもやってみて、コツを掴んじゃえば簡単よ。お腹に力を入れてから
 指先に集中するの。そうすると、、”ほら〜!」

そう言って、私に得意技を伝授してくれた。

”ポフッ”
私の指先からも小さな太陽が現れた。

「やったー!あなたの得意技になったわね。是非、誰かに見せて教えて
 あげてねー」
 ドロシーは、とても嬉しそうだった。そんなドロシーをみて私も嬉しかっ
 た。


あとがき
何故?人前ではだかになってはいけないのか。
生まれたまんまのその姿であることが猥褻だなんて不思議。

海で裸になったことがある。
真っ裸でいるときは ”恥ずかしい” という感情はなく開放的だった。
不思議なモノで、1枚の布で一部を隠した時、
”恥ずかしい” ”いやらしさ” といった感情が出てきた。
とても不思議で面白い体験だった。

お花のドロシーとわたしは、
洋服を着るという概念がなくお互いに素っ裸。
姿形が違えどフラットな関わりがある世界。
そこでは、ありのままを受け入れるだけの世界




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