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疲れたら土を触る、という薬。

移住して早くも3週間が経ちました。段ボール70箱分の荷物達は、とりあえずの場所を見つけたし、自粛期間を経て子どもたちはそれぞれの学校・保育園へ。本人たちの性格と周りの方のおかげもあって楽しそうに通っています。

一方のわたしは。平日は仕事で家に篭って、お昼ご飯は適当に食べたり食べなかったりして、1時間の休憩はなぁなぁに過ぎてあっという間に17時半。東京にいた頃と変わらないな。と思いきや、口にしているものは地元の方にもらった野菜だったり、部屋にいながら虫や鳥の泣き声が聞こえる。

移住という大きな動きのなかで、私にとっての変化は極々小さい。その小さい変化の積み重ねが、いつか幸せの実感として訪れるような気がする。今はまだ「QOL爆あがり!」ではない。小さな変化に気づく、小さな変化を作り出す、これが結果的にQOLを高めるのだ。

では、私が求める小さい変化ってどんなものだろう。

仕事で落ち込んだ夜、私は「土を触りたい」と思った。東京だったら「誰かと話したい」だったかもしれない。でも今の私は、他人と(例えそれが大事な友達だろうと)言葉を交わすより前に、一人で小さな深い世界の手触りを確かめていきたい。

移住後にこちらでの友達や知り合いもずいぶん増えた。緩やかにつながっていたいけれど、人との関係構築を今は急ぎたくない。他人への興味が低下しているときに無理に頑張る必要はないよね。深く自分の世界に潜る時期があってもいいじゃない。

仕事で落ち込んだのも、他人への興味がなくなっているのも、全ては"言葉"に疲れたからだ。私は花を植えることにした。

土の匂い。何かの葉、根っこ、赤い実。子どもたちはそこらへんのものを集めておままごとをしている。私はそれをBGMに無言で作業をする。寒いのに、背中が太陽に照らされて暖かい。鳥が鳴く、たまに車が通る。

「きれいだね」「大きくなるといいね」

手触りの世界から戻ったとき、シンプルな言葉ほど美しいものはないなと思った。深い意味や意図、言葉の向こうに隠れたものに飲まれかけた私が少し呼吸を取り戻した気がする。

今日はこれから畑を作る。



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