ひとのために、より、自分のために
去年から始まった新店舗開業がようやく3月に正式オープンし、気付けばそれから2か月があっという間に過ぎていました。なので今は、ごはん屋さんとドーナツ屋さんと宿屋さんとこころよりどころ屋さん(お地蔵さんみたいなこと)をしています。時々お客さんから、これだけのことを一人でやって何でもできてすごいねと褒められたり感心されたりするのですが、人から見るのと自分が感じるのは別物で、私は昔からつくづく自信がないんです。
小学生くらいまでは、絵がうまいとかおもしろい、走るのが早いと、褒めてもらったことを丸飲みして浮かれていましたが、少しずつ周りが見えてきて関わる人数も増えてくると、あれ?もしかして自分てそんなにすごい人間じゃないんじゃない?と気付きだし、大学に入る頃には才能あふれる人たちに囲まれて(今思うととても恵まれた環境)、どんどん自分が埋もれていきました。器用貧乏といえば聞こえはいいですが、要は何一つとして突出したり大成してない60%止まり人間なのです。そのコンプレックスは、今思うと、幼少期からずっと底泥してたみたいです。
そんな折、いい作品と出会えてそのひとと話し考えに触れて、どっちつかずでつぎはぎのこんな自分でもいいんだと思えたんです。井上陽子さんという作家さんで主にコラージュをされています。コラージュとは、紙や布などのさまざまな素材を組み合わせて作る技法です。井上さんは、(ご本人曰く)安直な理由で美大を受験し美術の道へ進みました。卒業後はイラストレーターとして依頼されたものだけを描くことを生業として生活していたんですが、それがしんどくなって辞め、右往左往あり、現在は描きたいものを描いてすてきな作品を数々生み出しています。書籍の中で「作品展もするし、本の挿絵、雑貨、ファブリック製作もする、絵も描くし写真も撮るしデザインもする究極の素人で、自分自身もコラージュ(貼り合わせ)だ」と書いています。
自信とは、「自分を信じること」だと思っていたんですがそうじゃなくて、「自分が信じること」なんじゃないかと最近は思っています。
他人からの評価を肥やしにして自信を育てようとすると、なくなった途端に枯れてしまったり過度な栄養で負荷がかかり組織が腐ってしまうことがあります。それよりも、自分がいいと思えるならそれでいいんじゃないかと。経験が足りないとか実績がないとかはどうでもよくて、これがいいと心底思ってやってるならそれでいい。世間体や前例や親や先生の価値観はあくまでもサンプルに過ぎません。
料理でも写真でも服でも仕事でも、その人がその人のやってることに好きが突き抜けてるほうが人々は魅了されるし、整ってるとか綺麗よりはるかに超えてくる熱量が心を動かすんだと思います。
そのために、本当に自分はこの絵が好きなのかを突き詰めないといけません。世の中に溢れるいいとされるものの中から、自分がちゃんといいと思えるものを選び、それを掘り下げないといけません。彼女の作品集を観て自分が描くことを想像したとき、どこで線を止めるのか、何本の線を引くのか、何色まで色を重ねるのか、紙はどこを切り取りどこに貼るのか、どの石を配置してどの糸を垂らすのか、それらはすべて偶然ではなく、意志であり意図なのだと気付きました。すべては自分が決めるんです。
傍目には順風満帆に見える井上さんも、4年ほど描けない時期があったと文中にありました。他人がみんなすごく見えるのは当然です。そっちにばかり目を向けるよりも、自分の中にある小さな芽にしっかりと水と光をあててあげるほうが、根が深く簡単なことで折れたりしない自身が育つと思っています。
#ひとのためにより自分のために #自信 #井上陽子 #コラージュ
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