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第6章 認識を素直に改められない心理

・「禁煙したら?」の一言に反発するあなたに


 本記事を読まれている皆様は、喫煙や飲酒の習慣があるでしょうか。あるいは、運動の習慣がないために肥満になっていないでしょうか。喫煙や飲酒が健康に悪影響を与えることや、運動が健康に良い影響を与えることは言うまでもないでしょう。しかし、健康に悪いと分かっていながらタバコや酒に手を伸ばし、外出せずゲームや動画視聴などをして休日を過ごしてしまう、という方も少なからずいらっしゃるでしょう。そして、他者に話すと、こう指摘されるのです。

 「そろそろ、生活習慣を見直した方がいいと思うよ」

 このように言われて、どれほどの方が生活習慣を改善するでしょうか。かく言う私も大の酒好きで、家には日本酒や焼酎を常備しています。私も医学生ですので、飲酒が人体にどれほど悪影響を及ぼすのかについては人並み以上に存じていますが、植木等の「スーダラ節」から一節を借りれば「分っちゃいるけど やめられねぇ」という状態です。また、人によっては「長寿の家系だから問題ない」「自分の好きなように生きさせろ」と反論したりするかもしれません。一体なぜ、我々は他者の指摘を素直に受け入れられないのでしょうか。これには、「認知的不協和」という心理現象が大きく関与しています。認知的不協和とは、自身の有している認知が別の認知に反している状態のことです[1]。喫煙を例にとれば、「タバコを吸いたい」という認知と、それに矛盾する「タバコは人体に有害である」という認知が共存している状態は認知的不協和に陥っていると言えます。認知的不協和という概念はアメリカの心理学者、レオン・フェスティンガーによって確立されましたが、彼は過去の宗教的予言が外れた際の資料から予言が外れた場合に認知的不協和が起こることを見出しました。ただ、彼は過去の資料に事実を示すものとしての信頼をあまり置いていませんでした。そこで、彼の理論を裏付けるために行われたのが、宗教集団への潜入でした。


・信仰から逃れられない信者たち


 1955年9月末のある日、フェスティンガーらは新聞後方のページに「惑星からの予言、クラリオンが町を訪れる——洪水から逃れよ、12月21日に我々を襲う、外宇宙から郊外の住民に告ぐ」という見出しを発見します。この記事には、マリアン・キーチ(仮名)という主婦による大洪水の予言の詳細と併せて、彼女が「高次の存在」から伝えられた教えを他者に広める人物として選ばれたことが記されていました。フェスティンガーはこの記事を自らの理論の実証に最適な機会と捉え、キーチや彼女の周囲の人物を調査した後、教団内部に偵察者を送り込みました[2]。

 この教団は積極的な勧誘を行わなかったものの、関心を抱いた者は歓迎するという姿勢で信者数を増やし、洪水のタイムリミットが迫るにつれ、信者たちの中には自らの資産や職業、学業を手放し教団の活動に傾倒していく者も現れました。また、時を追うごとに全米から新聞社やテレビ局、出版社の記者が押し寄せるようになり、それに伴い多くの冷やかしに交じって入信希望者も集まるようになりました。

 そうして迎えた12月21日、キーチの予言は24時きっかりに宇宙人がキーチの家の戸口までやってきて、空飛ぶ円盤が止まる場所まで信者たちをエスコートしてくれるだろうというものでしたが、非情にも迎えが来ることはありませんでした。予言が外れた時、信者たちは猛烈な反発や、あるいは正当化を行ったのでしょうか。意外にも、信者たちは酷く精神的ショックを受けており、信者たちの集まる場は静寂に包まれていたのです。

 ただ、予言が外れた後、キーチが「高次の存在」からメッセージを受け取ったとして信者たちに談話を読み上げると事態が一変します。その談話の内容は、「我々が大いなる光を放っていたので神がこの世を破壊から救ってくれた」というものでしたが、これを拝聴した信者たちは教団が新聞の記事になることを貪欲に求めるようになり、ある者は信者たちの未来が約束されているものと信じ、またある者は教団の活動に一層のめり込んでいったのです。つまり、予言が外れたにもかかわらず、説明として十分な正当化がなされたことで、信者たちの多く(具体的には11人中9人)は以前に増して信心を深めていったか、あるいは疑念を抱きつつも信念を維持したのです[3]。

 このように、教団の例では自らの信念に沿わない現実を突きつけられた際、現実に合わせようとするのではなく、自らの信念を無理やりにでも貫く傾向が強く見られました。それではなぜ、現実に反発する傾向が強く見られたのでしょうか。フェスティンガーは著書『認知的不協和の理論』の中で「不協和を低減する圧力の強さは不協和の大きさの関数である」、すなわち矛盾を突き付けられた信念が重大であればあるほど矛盾を解消しようとする働きが強いと述べています[4]。

 また、彼は認知の変化を妨げる要因として、変化が苦痛や損失を伴う場合(禁煙しようとするとタバコを吸いたい衝動に駆られる、近所トラブルが発生したので転居したいが家を買ったばかりなので損失が大きいなど)、現在の行動がある点を除けば満足な場合(頻繁に訪れる飲食店は安価で接客も良いが味は微妙など)、変化を行うことが難しい場合(好意を寄せている人物に配偶者の存在が発覚したなど)の3点を挙げています[5]。このうち、教団の例は、主に変化が苦痛や損失を伴う場合に分類されるものと思われます。

 先述の通り、教団の信者は地位や私財を捨てて教団に傾倒しているものが多く、予言が外れたからといって教団から去ろうとした場合、それらの捨てたものが損失として重くのしかかるのです。これに加え、教団内で信じられていた予言が世界の破滅であったことから、タイムリミット以降は財物が何の役にも立たないものになると考えられていました。したがって、捨てた地位や財物、すなわち損失が非常に大きく、信者が心に抱えた矛盾も大きくなり、神の救いという正当化によって不協和低減、すなわち信念を保とうという働きが強くなったと考えられます。


・日常に潜む認知的不協和


 我々の生活には、多くの認知的不協和が潜んでいます。天気予報では1日を通して晴れだと言っていたのに大雨が降り、コンビニでビニール傘を買わなければいけなくなってしまった、という場合もその一例です。この場合、その日は雨が降らないという認識があり、そこに大雨が降ってきたという矛盾が立ち現れます。この時、我々はビニール傘を購入することにどれほどの苦痛を感じるでしょうか。恐らく、相当に困窮した状態でない限り、ビニール傘の購入にそれほど躊躇しないでしょう。このように、我々の生活においては苦痛に感じない、あるいは容易に耐えられる程度の苦痛を生じる認知的不協和が頻繁に起こっています。

 その一方で、耐えがたい認知的不協和が我々の身に降りかかることもあります。冒頭で述べた飲酒や喫煙の例もその一部です。また、健康以外にも金銭や職業、人間関係など、認知を改めづらいシチュエーションは様々な場面で起こります。その代表例と考えられるのが「サンクコスト効果」と呼ばれる心理効果です。サンクコスト効果とは、ひとたび金銭や労力、時間を投資すると、投資した事業等を持続する傾向が強くなるというもので、一般には商業的に失敗した旅客機から「コンコルド効果」という名称でも知られています[6][7]。サンクコスト効果においては、ある試みがきっと成功するという認識があり、成功する見通しが立たないという矛盾を突きつけられた場合、試みに対し投じられた金銭や労力、時間などが不協和を増強する要因となります。その結果、成功する見込みがないことから目を逸らし、事業を継続するという判断を下してしまうと考えられます。もしこの状態に陥ってしまうと、投資した分(=その時点で事業を中断すると損失となる分)が正当化の働きを強める要因となり、後に引けなくなることで最終的な損失が膨大になる恐れがあるのです。

 あくまでも私見ですが、第1章で述べた正常性バイアスと同様に、認知的不協和に続く自己正当化には精神の平静を保つ働きがあるように思われます。例えば、好意を寄せている人物に配偶者の存在が発覚した場合、「あの人にはこういった悪い癖があった」「あの人はケチだから私を幸せにしてくれなかっただろう」などという自己正当化が想定されます。もしこのような正当化がなされずに現実を直視するのみであれば、認知的不協和に陥ったまま悲嘆に暮れるのみになってしまいます。したがって、正当化することによって憂鬱を軽減することができるとも考えられるのです。

 こうしたことを踏まえると、認知的不協和から自己正当化に向かう流れは必ずしも不要であるとは言えないでしょう。しかし、我々が認知的不協和に陥った場合、認知を修正できずに破滅的な結果を招くことがあるのも事実です。それゆえ、自身に不都合な事象が起こった場合には、まず自身の考え方を客観的に見直し、誤った判断を下していないかを評価する必要があります。そして、現実から目を逸らして独善的な正当化をしていないか、現実を直視しないことでどんな損害を被る可能性があるか、といったことを熟慮する必要があると思われます。

・「因果応報」は正しいのか

 また、我々の身近で認知的不協和と類似していると思われる事象に「公正世界仮説」というものも存在します。公正世界仮説とは、人間は良い人には良いことが、悪い人には悪いことが起こると信じており、ある者に悪いことが起こった原因はその者の日ごろの行いが悪いからだと考える傾向にあるという仮説です[8]。一言で表せば、「因果応報」を信じている状態です。

 この仮説の第一人者であるメルビン・ラーナーは、ミルグラム実験(社会的役割を与えられると普通の人でも残虐な行為を起こしうることを、電気ショックを与えられる演技を用いて示した実験)に影響を受け、次のような実験を行いました。まず、ラーナーは72人の女子学生を被験者として集め、被験者を様々な条件に分けます。その後、被験者は「犠牲者」と面会し、どれほど魅力的か評価するよう求められます。それに続き、被験者は犠牲者が電気ショックを受ける(演技をしている)様子を見続けます。この時、一部の被験者には犠牲者が電気ショックを受けることに対し報酬をもらっていることを伝えます。そして、被験者に犠牲者がどれほど魅力的かを再び評価させます。この結果、犠牲者が受ける電気ショックの苦痛が大きければ大きいほど魅力を低く評価した一方、犠牲者が報酬を受け取ることを聞かされた被験者は犠牲者の魅力をそれほど低く評価しなかったのです[9]。つまり、この実験から、人間には災難が降りかかった者を軽蔑する傾向があることが判明したのです。

 これ以外にも、リンダ・カーリによる実験の場合、レイプ被害者に対して事実と合致しない特徴を挙げて非難する傾向も認められました[10]。我々はともすれば「正義は必ず勝つ」といった言説を好み、勧善懲悪的な図式のコンテンツが人気となることも珍しくありません。確かに、正しい行いをする人物が報われてほしいとは思います。しかし、非情なことに、必ずしもそうはならないのが現実です。この不条理な現実が不協和の圧力となり、不幸に遭うのはそれまでに悪事を働いたからである、と我々の多くは因果をこじつけてしまうのです。そして、何の非もないのに不幸に巻き込まれてしまった人物を、我々は非難してしまう傾向にあるのです。我々は、被害者の傷口に塩を塗る行いをしないためにも、公正世界仮説という概念を知っておくべきでしょう。


・受け入れがたい新事実


 認知的不協和の場合は、情報の性質によらず自身の信念に反する情報を与えられた状況の全般にあてはまる心理状態でしたが、情報が新しすぎるがゆえに認知的不協和のような状態に陥ってしまう場合があります。それが、「ゼンメルワイス反射」と呼ばれる心理現象です。ゼンメルワイス反射とは、それまで信じられてきたことが誤りであるという証拠を提示された際、証拠を信じずにそれまで信じられてきたことに固執する傾向のことです[11]。

 この名称のもととなったゼンメルワイス・イグナーツは、19世紀のハンガリーの医師です。彼がウィーン総合病院で勤務していた1847年、当時彼が医長として在籍していた産科第一病棟は多発する産褥熱(分娩終了後に38℃以上の発熱が持続する病態で、細菌やクラミジアなどによって引き起こされる[12])に悩まされていました。関係者の多くがこのような事態に疑問を唱えない中、ゼンメルワイスは医師が分娩に立ち会う第一病棟と助産師が分娩に立ち会う第二病棟で産褥熱の死亡率が大きく異なることを発見します。この差異が生じる原因について疫学的に調査していたところ、ゼンメルワイスの友人で法医学教授のヤコブ・コレチュカが産褥熱と同様の症状で突然亡くなります。これを受けコレチュカの死因を検索すると、彼は学生の解剖実習時に学生にナイフで傷つけられていたことが判明します。

 これを受け、ゼンメルワイスは解剖によって付着した死体由来の未知の物質が原因で産褥熱を発症すると推定し、この物質を洗い流すことで産褥熱を予防しようと試みます。すると、手洗いを導入した直後の1848年、第一病棟における産褥熱による妊婦死亡率は第二病棟と同程度まで減少しました。これはつまり、手洗いの有効性が科学的に証明されたことを意味します。しかし、彼の説は当時の医学常識からは異端の考え方で、学会や社会に受け入れられることはありませんでした。結局、彼はウィーン総合病院を解雇され、結婚するも間もなく精神に異常をきたし、47歳の若さで亡くなってしまいます。この時、彼の死因が彼が予防を訴えかけ続けた産褥熱と同じ原因であったというのは、何とも皮肉な事実です[13]。

 この時代において「手洗いによって特定の病気を予防することができる」という事実は、医学常識を根底から覆す革命的な発見であったに違いありません。しかし、常識とかけ離れた発見であったがゆえに医学者たちがゼンメルワイス反射に陥ってしまい、本来であれば救われるはずの尊い命が次々に奪われてしまったのです。

 現代の医学界においては医療従事者の情報リテラシーが19世紀と比較にならないほど向上しており、常識からかけ離れているという理由で発見が受け入れられないということはまずありませんが、決して我々の暮らす社会がゼンメルワイス反射と無縁になったわけではありません。確かに、2014年のSTAP細胞研究不正事件のように、常識を覆す発見が捏造であることがないわけではありません。しかし、革命的な発見や新しい情報は、我々の社会や個人の生活に大きな恩恵をもたらします。大切なことは、新たな情報に直面した際、その情報がもっともらしいか否かをクリティカル・シンキングなどを用いて検討し、情報を受け入れるか否かを合理的に判断することなのではないでしょうか。

 このように、我々の認識はひとたび定着すると簡単には改めにくくなってしまいます。そのため、最初から正しい情報を得ることが理想なのですが、玉石混交の情報が氾濫する現代において正しい情報のみを収集することは容易ではありません。そして、さらなる問題点が、得てしまった誤情報の信頼性を高く見積もりかねないということです。続いては、情報の信用性を高く評価してしまう心理について考えていきましょう。

・「よく聞くことは信頼度が高い」


 第1章で取り上げた豊川信用金庫事件において、交差ネットワークによる二度聞き効果という心理効果がデマ拡大の要因の一つであるという見解を紹介しましたが、類似の現象は狭いコミュニティーや顔見知りに限らず起こり得ます。それが「真実性の錯覚」という認知バイアスです。真実性の錯覚とは、何度も聞いたことのある情報の方が新しい情報に比べ信用性を高く見積もる傾向のことを指します[14]。夏目漱石が「アイラブユー」を「月が綺麗ですね」と訳した逸話が創作である可能性が高いという話をまえがきで述べましたが、この逸話のように、たとえ作り話であっても世間で広く認知されることがあります。したがって、ある説がどれほど一般的に知られているかというのは、その説がどれほど信用に値するかの基準にはなり得ないのです。第3章で述べた単純接触効果を用いたプロパガンダにも言えることですが、我々が慣れ親しんだ情報であっても、それによって利害が左右される場合には真偽を探ることが必要です。

 また、「エコーチェンバー現象」という心理現象も信念の強化に働きます。エコーチェンバー現象とは、同様の意見や政治思想、信念を共有する集団に交わることで、それらの考え方に繰り返し触れ、自身の考え方が強化される現象のことです[15]。エコーチェンバーとは元々、反響音を収録するための部屋のことを指し、他者により反復される意見や思想が返ってくる様子を反響音になぞらえてエコーチェンバー現象と呼んでいます[16]。この現象がみられた事象として有名なのが、2016年のアメリカ合衆国大統領選挙です。

 この大統領選においては、のちに大統領に当選するドナルド・トランプと、その対抗馬であったヒラリー・クリントンの両者が、ツイッターを主戦場として情報戦を繰り広げました。その結果、大統領選期間中に投稿された選挙関連のツイートは合計で10億以上に上りました。これに関し、ボストン大学の郭蕾らは、5000万以上のツイートをビッグデータ分析にかけ、各陣営に関するツイートを投稿したアカウントが同じ意見をもつアカウントと異なる意見をもつアカウントのどちらを求めている傾向にあるかを調査しました。その結果、トランプに関するツイートを投稿したアカウントが比較的異なる意見をもつアカウントを求める傾向にあったのに対し、クリントンに関するツイートを投稿したアカウントは同じ意見をもつアカウントを求める傾向が強く、特にクリントンに関する否定的な意見を発信したアカウントでは、同様の意見に集まる傾向が強くみられました。また、トランプに関するツイートでは同一の主張を何度も展開することがそれほどみられなかったのに対し、クリントンに関するツイートでは同質の主張が繰り返し、多くの場合は四回以上にわたってなされていたことも判明しました[17]。よって、大統領選の結果を踏まえて考えると、エコーチェンバー現象はインターネット上での情報戦において不利に働く可能性があると言えるでしょう。

 それでは、情報戦から距離を置いている者にとって、エコーチェンバー現象は無害な存在なのでしょうか。当然ですが、エコーチェンバー現象はその現象を知らない者すべてに害をもたらします。例えば、ツイッターのようなSNSなどにおいて、使用者の趣味や嗜好を考慮してコンテンツが表示される機能が存在します。この機能は利用者が求めている情報を得やすいという利点がある一方、利用者が求めていない情報や利用者の考えに沿わない情報が目につきにくくなるという欠点も存在します。実際、インターネット利用者は自身の世界観に合致する情報を好み、合致しない意見は排除し、同じ方向に偏った意見をもつ者同士でグループを形成する傾向がみられます。これにより、意見が極端になると、誤った情報を拡散してしまう恐れがあります[15]。また、先述の通り、エコーチェンバー現象は自身の考えに対する信頼感を強めるため、誤った情報がエコーチェンバー現象の対象となっている場合、他者から誤りの指摘を受けても認識を改めにくくなると考えられます。

 こうした悪影響について、日本に暮らす我々は特に注意しなければなりません。それというのも、立教大学の木村忠正によると、日本の社会は世界と比較してエコーチェンバー現象が起こりやすい土壌にあるというのです。それでは、エコーチェンバー現象の存在を理解すること以外に、悪影響から自身の身を護る手立てはないのでしょうか。この点について木村は、「ポリメディア」の活用が有効であると説きます。ポリメディアとは、新聞や雑誌といった旧来のアナログメディアに加え、複数のマルチメディア機器(スマートフォンやコンピュータ、テレビ、電子看板など)や多様なインターネットサービスが生活環境に併存している状態を指します。木村を含む研究チームの調査では、ポリメディアを活用している者ほどエコーチェンバー現象に陥りにくいという結果が出ており、ポリメディア環境で情報を収集していくこともエコーチェンバー現象を防ぐために重要であると言えます[18]。

 以上のように、人間には自身の意見に対する信用性を高め、他者の意見の信頼度を低く見積もる習性が存在します。それではなぜ、我々にはそのような性質が存在しているのでしょうか。神経科学者のターリー・シャロットは、著書『事実はなぜ人の意見を変えられないのか』の中で、人間の中に新しい信念が形成される際には四つの要素が関係していると述べています。その要素というのが、もともともっていた信念(事前の信念)、事前の信念に対する確信、新しい証拠、そして新しい証拠に対する確信です。例えば、子どもが動物図鑑でペンギンが空を飛べないという知識を得たとします。これが事前の信念にあたります。その後、ペンギンのよちよち歩きを水族館で目にするなどして事前の信念が強化されます。これが事前の信念に対する確信です。そして、この子どもにエイプリルフールの海外ニュースで放送された空飛ぶペンギンの映像を見せたとします。この子どもにとっては、空飛ぶペンギンの映像が新しい証拠となります。この時、子どもはペンギンが空を飛ぶことができると信じるでしょうか。子どもにとって最も影響力のある情報源は親ですから、親がペンギンの映像はフェイクであるということを説明すれば、子どもはペンギンが空を飛ばない生き物であるという信念を改めないでしょう。一方、親が何も説明をしなければ、子どもはペンギンが空を飛ぶものと認識を改めることが考えられます。このように、信念を曲げるか否かを問わず、事前の信念に反する証拠に対するリアクションが新しい証拠に対する確信にあたります。このような流れで信念が変化していくことに加え、元からもっている知識に矛盾するデータを与えられた場合にはデータが誤っていることの方が多いため、自身の信念に固執することは必ずしも悪い性質とは言えません[19]。

 しかし、現代のような情報社会では、事前の信念が誤りである場合も少なくありません。その場合、事前の信念に対する確信の過程でエコーチェンバー現象が、新しい証拠から新しい証拠に対する確信に移行する過程で認知的不協和やゼンメルワイス反射が認識の改善を妨げ、自身の信念に固執する性質が裏目に出てしまうのです。

 このように、我々には素直に情報を修正できない心理が生まれつき備わっています。そして、それらの心理をここですべて説明しきれているわけではありません。むしろ、説明できていない心理の方が遥かに多いでしょうし、現代の心理学をもってしても未だ解明されていない心理現象もあまた存在するものと思われます。したがって、認識を改善するためには、自身の考え方は本当に妥当なのか、自身の考え方を過大評価していないかといったことを反省的な態度で客観視することが重要です。あらゆる場面に対して言えることですが、与えられた物を受け身で捉えるのではなく、何事も自分で考えることが自身の利益につながるのです。

(終章につづく)

・参考文献

[1] Andrew M. Colman 著、藤永保、仲真紀子 監修、『心理学辞典 普及版』、丸善、2004、p.538-539
[2] レオン・フェスティンガー、ヘンリー・W・リッケン、スタンレー・シャクター 著、水野博介 訳、『予言がはずれるとき この世の破滅を予知した現代のある集団を解明する』、勁草書房、1995、p.5-41
[3] レオン・フェスティンガー、ヘンリー・W・リッケン、スタンレー・シャクター 著、水野博介 訳、『予言がはずれるとき この世の破滅を予知した現代のある集団を解明する』、勁草書房、1995、p.45-278
[4] レオン・フェスティンガー 著、末永俊郎 監訳、『認知的不協和の理論 社会心理学序説』第13刷、誠信書房、1987、p.18-19
[5] レオン・フェスティンガー 著、末永俊郎 監訳、『認知的不協和の理論 社会心理学序説』第13刷、誠信書房、1987、p.25-27
[6] 井垣竹晴、「労力を先行投資した場合のサンクコスト効果の検討」、日本心理学会、第72回大会発表論文集、2008、p.949
[7] Sandeep Baliga, Jeffrey C. Ely, “Mnemonomics: The Sunk Cost Fallacy as a Memory Kludge”, American Economic Journal: Microeconomics 3 (November 2011): 35–67
[8] 山岡重行、風間文明、「被害者の否定的要素と量刑判断」、法と心理、2004、第3巻 第1号、p.98-110
[9] Lerner, M. J., Simmons, C. H., “Observer's reaction to the "innocent victim": Compassion or rejection? “, Journal of Personality and Social Psychology, 1966, 4(2), 203–210.
[10] Linda Carli, “Cognitive Reconstruction, Hindsight, and Reactions to Victims and Perpetrators”, Personality and Social Psychology Bulletin, 1999, 25(8):966-979.
[11] Maël Arnaud, Carole Adam, Julie Dugdale, “The role of cognitive biases in reactions to bushfires”, ISCRAM, 2017
[12] 武内 享介、丸尾 猛、「3) 産褥熱(18.産科感染症の管理と治療,D.産科疾患の診断・治療・管理,研修コーナー)」、日本産科婦人科学会雑誌 第60巻 第6号、2008、p.117-121
[13] 玉城英彦、「ゼンメルワイスから学ぶ~一燈照隅・万燈照国」、日本健康学会誌 第84巻 第5号、2018年9月、p.147-150
[14] Aumyo Hassan, Sarah J. Barber, “The effects of repetition frequency on the illusory truth effect”, Cognitive Research: Principles and Implications, 2021 Dec; 6: 38.
[15] Matteo Cinelli, Gianmarco De Francisci Morales, Alessandro Galeazzi, Walter Quattrociocchi, Michele Starnini, “The echo chamber effect on social media”, Proceedings of the National Academy of Science, March 2, 2021, Vol. 118, No. 9, e2023301118
[16] 総務省 令和元年版 情報通信白書のポイント「第1部 特集 進化するデジタル経済とその先にあるSociety 5.0 第4節 デジタル経済の中でのコミュニケーションとメディア (1)インターネット上での情報流通の特徴と言われているもの」、2022年4月24日閲覧
https://www.soumu.go.jp/johotsusintokei/whitepaper/ja/r01/html/nd114210.html
[17] Lei Guo, Jacob A. Rohde, H. Denis Wu, “Who is responsible for Twitter’s echo chamber problem? Evidence from 2016 U.S. election networks”, Information, Communication & Society, 2020, Vol.23, Issue 2, p.234-251.
[18] 木村忠正、「マスメディア社会からポリメディア社会へ ——ポリメディア社会におけるエコーチェンバー——」、マス・コミュニケーション研究、2020 年、No.97、p.65-84
[19] ターリー・シャロット 著、上原直子 訳、『事実はなぜ人の意見を変えられないのか 説得力と影響力の科学』、白揚社、2019、p.33-34

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