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語彙力を上げるアニメ『まちカドまぞく』の話。

 私は趣味で小説を書いているのですが、これから学業が本格的に忙しくなってくることもあり、集大成のようなものとして何かしらの文学賞に投稿しようと考えています。そのため、現在は小説をできる限りハイペースで書き進めているのですが、時にイマジネーションの壁に当たり進めなくなってしまうこともあります。そういった状態では、大抵の場合書き進めようとパソコンの前に座っていてもアイデアなど降ってこないわけです。勉強や仕事などで進みが悪くなった場合と同様ですが、別のことをして気を紛らわせるのが得策なのでしょう。

 私の場合、小説の進みが悪くなった際には散歩に出かけたり食事の準備をしたりすることもありますが、最も多いのがアニメを視聴することです。2020年3月頃からの外出自粛ムードでAmazon Prime Videoを利用し始めたところ、すっかりアニメに取り憑かれてしまい、今では「先輩って昔からずっとアニメ見てたんだと思ってました」と後輩から言われるほどにヲタク化してしまったのです。

 そんな私が見てきた中でも特に好きなアニメに、『まちカドまぞく』という作品があります。本作品は病弱な女子高生・吉田優子が魔族として覚醒し、敵対勢力である魔法少女と戦いのようなもの(ただし、基本的に魔法少女の言いなりになる)を繰り広げる本作品は今年4~6月クールに二期目となる『まちカドまぞく 2丁目』が放映されているほか、二次創作から誕生したセリフ「シャミ子が悪いんだよ」がネットミーム化し、ネット流行語2019でniconico賞を受賞するなど、深夜アニメとしては非常に高い人気を博しています。その人気から「愛され神アニメ」と呼ばれることもあります。

 『まちカドまぞく』が愛される秘訣は、キャラクターデザインの可愛さや声優さんたちの高い演技力、作り込まれたストーリー、秀逸なギャグ性など、列挙すればキリがありません。ただ、私が特に着目したいのは言い回しの面白さ、すなわち語彙力の高さです。本記事では、その語彙力について、実例を踏まえて見ていくこととします。

まず、1期の第1話では、ある朝、優子が目覚めると頭から角が、臀部からしっぽが生えていることに気付くシーンから始まります。その場面において、妹の良子が姉の頭に生えた角を見て「ご立派様」と表現します。「立派な角」という一般的な表現を避け、あえて「ご+様」の尊敬表現を用いたところに初っ端から秀逸な言い回しを感じ取ることができます。

続いて、1期の第5話では、優子が魔法少女の千代田桃からノートパソコンを借りるやり取りが登場します。その際、桃が「OSも最新の入れといたから」と優子に伝えるのですが、ド級の機械オンチである優子は「OS」の意味を知らず、掛け声の「オーエス」と勘違いしてしまいます。ここで優子は「やっぱり古いパソコンだと動かすのに活が必要なんですか?」と発言します。この発言でも、「応援」や「声援」などのありふれた表現を避け、よく知られている割に日常であまり耳にしないと思われる「活」が効果的に用いられています。活に関しては、語が短いことに加え、直線的で鋭い音象徴をもたらす破裂音、[k]と[t]で構成されているため、音の切れ味が鋭く聴き心地が良いものと思われます。

 さて、以上の2例と少し異なるパターンで惹きつけられる表現が、2期の第1話に登場します。この回では桃が優子と遊びに出かける(なお、優子は決闘だと思っている)際に、どの服を着ていくべきか悩むのですが、ファッションセンスが壊滅している桃はどの服を着ても難のある仕上がりになってしまいます。それを見た同居人の陽夏木ミカンは、桃に向かって「クソダサマウンテンだわ」と発言します。この発言の特筆すべき点は、身近な表現を組み合わせて新しい語彙に仕上げているが、意味が極めて受け取りやすいことです。

 「クソ○○」という表現は、主に若者の間で強調の接頭語として頻繁に用いられます(例:クソ不味い、クソかっこいい)。例に漏れず、センスがないことも「クソダサい」と表現されます。ただ、多用される表現のため、「クソダサいわね」であれば至って凡庸な語になってしまいます。そこにマウンテンという単語を付加することでどのような効果がもたらされるのでしょうか。無論、マウンテンは「山」を意味する英単語ですが、山から「大きい」「山盛り」などの単語が連想される方も多いでしょう。それゆえ、マウンテンにも同様のイメージが存在するものと思われますが、マウンテンはスケールを表す語として用いられる頻度が山と比べ圧倒的に低く思われます。したがって、「クソダサマウンテン」はありふれた語をありふれていない組み合わせで結合させることで目を引き、かつ誰もが理解できる表現に仕上げている点が秀逸だと言えます。

 私見ではありますが、語彙力は決して難しい言葉をどれだけ知っているかで測れるものではないと考えています。特に、文章で自身の考えやもっている知識を相手に伝える場面においてはむしろ、そういった意味での「語彙力」は役に立たないでしょう。私が重要視する語彙力は、平易な語彙で的確かつ印象的に表現する能力です。一流作家の中にも、難しい言葉をできるだけ使わないよう意識している方がいらっしゃると聞きます(参考文献のないうろ覚えに過ぎませんが)。それも考えれば当然のことで、一般の方々を対象にしている小説で難解な語彙を乱発した暁には、読者の大半が文章の意味を理解できず、作家の描き出す世界に潜れなくなってしまいます。そんなことは、作家自身も大概は望んでいないはずです。

 『まちカドまぞく』という作品は、安直な考えをすれば1つの深夜アニメに過ぎないのかもしれません。しかし、少し違った視点から観察すれば、多くの人々に強いインパクトを与える言葉の作り方を私たちに教えてくれます。そんな『まちカドまぞく2丁目』の最終話が7月1日(金)1時28分よりTBSで放送されます。たかがアニメ、されどアニメ。可愛らしいビジュアルに隠された語彙力に、耳を傾けてみてはいかがでしょうか。

【参考文献】
篠原和子、川原繁人、「音象徴からみる言葉の身体性」、2013年 JSAI2013 巻 3G3-OS-12a-3

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