見出し画像

科学で「飯テロ」に抗おう、という話。

私は今、減量の真っただ中にあります。

それというのも、ここ1年で体重が増加してしまい、大学に入る時に購入したスーツを着られなくなったのです。スーツを着る場面が間近に控えており、かつ金銭的余裕のない私にとって、今もっているスーツを着られるようにすることは喫緊の課題なのです。

それにしても、減量は非常に辛いものです。減量中とはいえ、何も食べないわけにはいかないので、鶏むね肉などを購入するためにスーパーマーケットに行くわけです。そうすると、当然ながら目的外の食品が目に入ってきます。特に、カップ麺や揚げ物、サシの入った牛肉などは、強烈な引力をもって私の心を取り込もうとしてきます。それらの誘惑から逃れるためにはどれほどの精神力を要するか、というのはダイエット経験者であれば想像に難くないでしょう。

さて、減量中の身に襲い来る誘惑はスーパーマーケットやコンビニの食品ばかりではありません。テレビを点ければ、流行りのスイーツや名店の逸品が登場し、長年培われた技術で美味しそうに撮影された料理映像が流れます。CMに入っても、油断は禁物です。有名芸能人がゴクゴクと(後からつけられた)音を立てながらビールを喉に流し込み、宅配ピザの広告では持ち上げられたピザからアツアツのチーズがとろ~りと溶けだします。

それらの映像を避けようとしてYouTubeを開いても、別の形で悪魔が潜んでいます。見たい動画がないかと画面をスクロールさせれば、「至高の」「悪魔の」などと並べられた料理研究家の動画や、縁がカラフルに彩られた中に高カロリーの完成品を据えたゆっくりお料理チャンネルの動画など、今にもよだれが口角から垂れそうなサムネイルが紛れ込みます。料理関連の動画を避けたとて、動画冒頭に挿入される広告が食品のプロモーションであることもままあります。これら以外にもInstagramやTwitterなどでも料理の動画や画像がタイムラインに登場することも多く、結局のところデジタルデバイスに触れる限りカロリー爆弾の被害を避けることなど不可能なのです。

これらに加え、近年では視聴者の食欲を掻き立てる技法が多く登場しています。例えば、頻繁に見かけるのが「ヨークポルノ」です。「ヨーク」とは卵黄を意味する英単語で、薄い膜を割って溢れだす黄身など、動きのあるタンパク質の画像や映像をヨークポルノと呼びます。先述したとろとろのチーズが伸びる映像も、ヨークポルノの概念に包含されるでしょう。

ヨークポルノをはじめとして、人々に食への衝動を駆り立てさせるコンテンツを「フードポルノ」と総称するようです。身体障害者などをお涙頂戴的に扱った番組を「感動ポルノ」と呼称することがありますが、いずれの単語も欧米由来であり、欧米人はどうも感情を尖鋭化させるコンテンツを「ポルノ」と表現する傾向があるようです。一方、日本でこの言葉をあまり聞かないのは、恐らく「飯テロ」というより一般的な隣接概念が存在するためでしょう。言葉の東西はさておき、チャールズ・スペンスの著書『「おいしさ」の錯覚 最新科学で分かった、美味の真実』(長谷川圭 訳)では、フードポルノの欠点として以下の4項目が挙げられています。

・フードポルノは食欲を増進させる
・フードポルノが健康的でない食生活を促進する
・フードポルノを見る頻度が高くなるとBMIも高くなる
・フードポルノは脳を疲れさせる

本書によれば、レストランのレビュー記事を7分間眺めるだけで、空腹の者だけでなく食事直後の者でも空腹感が増すという研究結果が出ているようです。つまり、空腹の如何に関わらず、美味しそうな食べ物を見ているだけで食欲が湧いてきてしまうのです。この食欲に忠実に従えば、ぶくぶくと太っていくのは自明で、BMIが高くなってしまうのです。

しかも、フードポルノに挙げられる料理は高カロリーのものが圧倒的に多く、野菜たっぷりのサラダやきんぴらごぼうなどは「引きが弱い」ためフードポルノとして扱われることはあまりないように思われます。これを踏まえると、フードポルノを見る頻度が高くなると高カロリーの食品に目が行きがちになり、不健康な食事に誘導されてしまう可能性が高まるのです。本書によれば、特に大きな問題は、テレビの映像に登場した料理の内容や量を基準としてしまい、自宅やレストランでも同様の料理を同量食すのが適切だと捉えてしまう点にあるといいます。これを踏まえると、デカ盛り料理を扱う番組はフードポルノとして悲惨なものと言えるでしょう。

また、フードポルノは脳を疲れさせるという指摘については、ピンとこない方が多いと思われます。ただ、この指摘も他の3つと同様に重要です。フードポルノを視聴すると、我々は頭の中でその食べ物を口にする用を想像してしまうといいます。そのため、我々は自身が生みだした想像の誘惑に打ち勝とうと精神をすり減らしてしまうようです。こうしてフードポルノは我々を意志薄弱にし、軽率な選択をする傾向を強めてしまうといいます。すなわち、フードポルノを閲覧した後は、お菓子やファストフードなどの健康的でない食品を選択しがちになるようです。

それでは、我々はフードポルノが書き立てる欲求に抗う術を持たないのでしょうか?

フードポルノが感情を利用するものであれば、ダイエットもまた感情を利用して効率化できます。例えば、全く同じフローズン・ストロベリームースを提供する実験では、黒い皿で提供した場合に比べて白い皿で提供した場合には甘みを10%、香りを15%ほど強く感じたという結果が出ています。すなわち、同じ甘みを得るために必要な砂糖の分量が、白い皿で提供することで抑えられるわけです。

また、女性被験者にトマトスープを提供する実験では、アロマを足したところ短時間で満腹感が得られ、アロマを用いなかった場合と比べ10%ほど食べる量が少なくなったという結果が出たといいます。このように、香りを用いて食べる量を減らすことも、有効な術の1つとして考えられます。

これら以外にも、視覚や嗅覚、聴覚など、味覚に限らない様々な感覚を活用することで食欲に抗えると考えられます。近年では様々な領域に科学が入り込んでおり、「食」も例外ではありません。近代以前と比較して食料の確保が容易となった現代社会において、我々はともすれば美味を追求し、過剰に食すこともままあるでしょう。そこで、食事に関する科学(≒ガストロフィジックス)が大きな役割を担うと考えられるのが生活習慣病の予防です。脂質、糖質、塩分などの過剰摂取により生活習慣病のリスクが高まるというのは言うまでもありませんが、特に重要なのが糖尿病の予防です。

日本透析医学会の発表によると、2020年に新しく人工透析を開始した患者の原疾患として最多であったのが糖尿病性腎症(糖尿病を原因とする腎機能障害)で、比率は40.7%にも上ります。また、2015年度の厚生労働省発表資料によると、人工透析にかかる医療費は1年間に総計1.57兆円に上ると推定されており、人工透析治療が様々な補助制度で費用のほとんどを賄えることを考えると、1.57兆円がほとんど全て医療費として国民にのしかかってくるのです。もちろん、生活習慣によらない腎障害も多く存在するため「透析患者=生活習慣が悪い」という考え方はご法度です。また、糖尿病も1型糖尿病などの場合には生活習慣の乱れによらず発症します。ただ、生活習慣の改善により予防可能な糖尿病性腎症が存在するのも事実であり、予防活動が奏功すれば国民が負担すべき医療費を削減できるのです。

食事に関する科学が人々にもたらすのは、ダイエットの効率化や食事のパフォーマンス向上だけではない、と私は考えています。ガストロフィジックスを有効に活用すれば、生活習慣病に陥るような暴飲暴食から国民を守り、医療費削減のような国民の生活全体を向上させられるのではないでしょうか。食事は人間生活の根本をなす行為ですから、医療費削減だけに限らず、他にも有効活用される場面が存在するでしょう。それゆえ私は、「ガストロフィジックス」という分野に大きな期待を抱いています。

そんなことを言いつつ、今日も飯テロの爆撃をもろに食らう私です。

【参考文献】
チャールズ・スペンス 著、長谷川圭 訳、『「おいしさ」の錯覚 最新科学で分かった、美味の真実』、角川書店、2018
一般社団法人 日本透析医学会、「2020年末の慢性透析患者に関する集計 第 3 章 2020 年透析導入患者の動態」https://docs.jsdt.or.jp/overview/file/2020/pdf/03.pdf
厚生労働省保険局国民健康保険課、「糖尿病性腎症重症化予防の取組について」、2017年10月19日 https://www.mhlw.go.jp/file/06-Seisakujouhou-12600000-Seisakutoukatsukan/0000114064_13.pdf


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?