図星である
著名人は敬称を略するのが尊敬の念の表し方だと大学時代に教わった。
ハルキは元々馴染まないと思っていた。
その時代の寵児であり賞味期限のある作家かと子供心に思っていた。
下記にも、もしかしたら作家を侮辱すると思われる言葉を発してしまうかもしれないが、勿論私は作家を尊敬している上での記述だと、甚だ勝手だが読み手の温情に期待してしまう。
ハルキを読み始めると、その上澄み感というか、出し抜けというか、思い付きを並べるとか、そんな印象を持つ。それはそれまでのアーティストの何割か、もしかして全ての試みか、己の潜在意識を浮き上がらせる試みなのか、まあ、一種の実験のような印象を持つ。一見「取るに足らない」「つまらない」事象を挙げ、しかしながら実はそれが物語の核に挙げ連ねられていく。
そこでもしかして私だけが感じている事なのかも知れないが、突然、物語から私達の現実世界に接触するような感覚に囚われることがある。正にこれが私がハルキを読む理由なのだが、読者の「私」などを語られる時があるのだ。それは薄気味悪い位のピンポイントの付かれ方である。
今まで余り意識してこなかったが、今日ふと思い及んだ。
その現象が推しのバンドの歌詞にも当てはまる事が分かった。「まるで見ているみたい」「薄気味悪い位に図星」
私が惹かれるポイントなのか、彼らが偉大すぎるのか、ゆっくり考えていきたいと思う。