「みんな」という便利な言葉のおとし穴
今回は、日頃気になっている言葉について、みなさんと一緒に考えてみたいと思います。
「みんな」という言葉のワナ
「関西人はみんなおもしろい」
「男の人はみんな浮気する」
「京都の人は裏表がある」
こういった言葉を聞いたことはありませんか?
私は昔から、このような「まるまる、だからこう」という決めつけが好きではありませんでした。
なぜなら、これらの言葉は無意識のうちに人々を傷つけ、偏見を生み出す可能性があるからです。
カテゴライズ差別の危険性
私はこのような考え方を勝手に「カテゴライズ差別」と呼んでいます。
確かに、カテゴライズ自体は人間の思考の自然な過程です。
ただ、それが行き過ぎると、個人の多様性を無視し、ステレオタイプを強化してしまう危険性があります。
例えば、「関西人だからおもしろい」というのは良い意味で使われることが多いですよね。
「まあちさん、さすが関西人!おもしろい!」とほめ言葉で使うのは良いと思うんです。
一方で、「関西人なのにおもしろくない」というマイナスにはたらく言葉は、人を傷つける可能性があります。
個人的な経験から
私の小学三・四年生時の担任の先生はカテゴライズ差別をする人でした。
私は一人っ子ですが、「一人っ子だからワガママなんだね。」と言われた事がショックで、大人になった今でも忘れられません。
「ワガママだね。」と言われるのは耐えられたと思うんです。
「一人っ子だから…」という決めつけが子どもながらに、「こういう決めつけをする大人にはなりたくない」「親に対しても失礼」と思ったんです。
他にも二十代の頃、「男の人はみんな浮気する」という言葉に強い違和感を覚えました。
これ本当によく周り(そこまで仲良くない人)から言われた言葉なんですよね。
私は当時から(今も)好きな人の絶対条件が “誠実な人” でした。
若い頃から危険な香りのする人は苦手でした。笑
二十代の当時付き合っていた人も誠実で、浮気の心配はないと思っていましたが、周りの人から「そんな平和ボケしてたらあかん、男の人はみんな浮気する」と言われたことがあります。
(何言ってくれるねん、浮気されんかったで)
この言葉を言われるたびに、「その“みんな”ってだれ?少なくともあなたの統計の中だけやん」と言い返していました。
この経験から、人は往々にして自分の限られた経験を普遍化しがちだということを学びました。しかし、それは危険な思考法です。
その理由は、私たちが出会う人たちは、世の中の全ての人のごく一部に過ぎないからです。
地域差別の問題
「京都の人は裏表がある」という発言を耳にすることもよくあります。
(これを読んでいる京都人の方がいらっしゃったらごめんなさい)
私には京都出身の友人が何人かいますが、そんなことは全くありません。
このような発言は、一部の経験を全体に当てはめる危険な一般化です。
なぜ人は決めつけてしまうのか
人が安易に決めつけてしまう理由はいくつか考えられます。
経験の一般化:限られた個人的経験を普遍的な真実と勘違いする
認知バイアス:自分の信念に合う情報だけを選択的に受け入れる
単純化欲求:複雑な現実を理解しやすい形に単純化したい心理
決めつけから抜け出すには
ではどうすれば、このような決めつけから抜け出せるでしょうか?
自分の思い込みを認識する。
「みんな」「必ず」などの言葉を使う時は要注意多様性を意識する。
一人一人が異なる背景と経験を持っていることを忘れない好奇心を持つ。
自分と異なる背景を持つ人々と積極的に交流する批判的思考を養う。
メディアや周囲の意見を鵜吞みにせず、多角的に考える
子どもたちへの影響
私たち大人の言動は、子どもたちに大きな影響を与えます。
「〜だからこうだ」という言葉を安易に使うことで、子どもたちの中に無意識の偏見が植え付けられる可能性があります。
私はいつも息子に「みんな違ってみんないい」と伝えています。
「人それぞれ違う」「一人一人に個性がある」だからおもしろい。
そんなふうに違いをおもしろがってくれるような人になってほしいなぁって思っています。
最後に
「みんな」という言葉は、時に便利で、時に危険です。
便利すぎるが故に、私も無意識で使ってしまっていないか気をつけたいです。
プラスの意味で使う分には問題ありませんが、マイナスの文脈で使う時は要注意です。
私たち一人一人が、言葉の力と責任を意識し、より思慮深くコミュニケーションを取ることで、偏見のない、互いを尊重し合える社会を作っていけるはずです。
あなたの周りにある「みんな〜だよね」。
それは本当に「みんな」なのでしょうか?
今日から、ちょっとだけ意識してみませんか?
スキ♡とっても励みになります♩