見出し画像

私の唇からほくろが消えるまで

自分の唇がコンプレックスだった。
腫れぼったい形だから、口角が下がって怒っているみたいに見えるから、だけではない。

私の下唇には、昔から大きめのほくろがあったからだ。

いつからあったか分からない。気がついたらそこにいた。一番古い記憶で、小学生の時。お隣のお家の小田くんに「こいつ、口にチョコチップ付いてる!」とみんなの前ででっかい声で叫ばれた。私がこのほくろと長い長い人生を共に歩むことになる、一番最初の記憶だ。

口にチョコチップなんて、可愛いもんじゃないか。今なら無い色気を振り絞り、チョコチップおひとついかがですか?なんてユーモアたっぷりにメンズを誘惑するダシに使う。

だけど当時は思春期真っ只中、大勢の前で自分の唇のほくろを笑われた日にゃあもう、学校を辞めるしかない。とぼとぼと帰宅しながら、考えていた。学校を辞めて今までもらったお年玉を握りしめて、鞄には命の次に大事なたまごっちを入れて、イケてる子はみんな持ってた一輪車に乗って、どこか遠くへ行って1人で暮らしながら、毎日たまごっちのミニゲームをして、レベルと親密度を上げて、このめめっちをレベル99まであげて…

と、ここまで妄想を繰り広げているうちにいつの間にか家に着いていた。この幼い少女の心に、大きな黒いほくろ…いや、黒歴史が刻まれた。それと同時に、私とこの憎きほくろとの戦いの日々が幕を開けたのだった。


唇とは、以外に見られないものだ。このでかいモンを背負ってる私がいうのだから間違いない。

先日、10年来の友達ゆみちゃんに「あれ?唇にほくろ、あったっけ?」と言われて驚いた。てっきり、何やら触れてはいけない空気を感じ取って気を遣ってくれているのかとばっかり思っていた。ところがどっこい、この業を背負いし私の唇に、この十年間ただ単に気が付かなかっただけだったのだ。
私以上に驚いたのはゆみちゃんだろう。世界中いろんなほくろがあれど、まさか唇の真上にこんな黒々と存在感を放つほくろがあるなんて。それから会うたびにほくろチェックをされるので、若干鬱陶しくて最近では自分からほくろの状態報告をしている。状態報告ってなんだ。

はたまた、ある時期にカフェでバイトしていた頃。後から入った大学生涼太くんの指導係をしていたのだけど、入社してからずっと付きっきりだったのにも関わらず、3ヶ月目あたりでようやく「あれ?唇、怪我してます?」と心配された。怪我じゃない、ただのほくろだ。
それから会って話すたびに唇を凝視されるようになったので、気がまずくてカフェのバイトは辞めた。なんという退職理由だろう。

そんなようなことが多々あったので、最初はバレることが少ないこのほくろだけど、むしろ後々からバレる方がめんどくさい、そして恥ずかしいのだということに気が付いたのだ。


マスク文化も落ち着いたある日のこと。病院帰りにデパートに行った。ひとしきり回ったあと、トイレに入り化粧直しをするためにマスクを外した。パッと鏡に映った自分の顔面に驚いた。

あれ?ほくろ、大きくなってない?

いや、気のせいかもしれない。きっとそうだろう。マスクをしている自分の顔に慣れていたから、違和感だっただけだ。
でも、本当に大きくなっていたら?
このまま大きくなり続けて、いつしか私の顔面を覆い隠さんばかりに巨大化したら?

いや、そもそも、ほくろの持ち主でさえ久々に外で凝視する自分のほくろに違和感を覚えたのだ。こんなでっかい唇のほくろ、他人から見たらさぞ恐怖するに違いない。

膝がガクガクした。立っていられず、冷や汗が止まらない。過去の黒歴史がフラッシュバックする。震える拳をギュッと握りしめながら、唇を噛み締めた。いや、ほくろを噛み締めた。

その足で、すぐさま向かったのは、近所の皮膚科だ。数年前から美容医療にも力を入れ始め、先生が優しいと評判がいい。飛び込みで行ったにも関わらず、快く迎え入れてくれたその病院で、早速ほくろの相談をした。

受付の人がまずカウンセリングをしてくれた。マスク越しでも分かるその美しさは、唇に業を背負いし私の目には眩しすぎた。きっとこの美女さんには唇にほくろがある、なんて想像もつかないんだろうな…悩みなんか全くなさそうだし私とは全く別世界の人…なんてとんでもなく失礼なやっかみを抱きながら話を聞いていると、

「実は私も数年前に唇のほくろをレーザーで取りまして〜」

と、さらっと驚きの事実を話してくれた。
えっ!この天女も頭を垂れるほどの美しい方の唇にも、ほくろあったの!?

信じられなかった。私と同じ悩みを持った、しかもとんでもない美女が目の前にいたのだ。急に親近感が湧いて湧いて止まらない。そして溢れ出しそうになるのを必死に止めながら、二つ返事でレーザー治療承諾書にサインをしたのだった。

その女神(美女は失礼すぎるので女神に昇格させていただく)が言うには、こうだ。

  • 唇なので治りが早い

  • レーザー後、2〜3週間で綺麗さっぱり

  • 麻酔は激痛

  • 麻酔は激痛

  • 麻酔はマジで激痛

とまぁ、衝撃を和らげるためにあえて箇条書きで書いたが、なんせ唇という皮膚薄の激弱部位に打つ麻酔が、とにかく痛いらしい。あの女神が眼をひん剥きながら言っていたので、赤子の頃インフルの予防接種を満面の笑みで受けていたというサイコパスエピソードを持つことで有名な私でも、さすがに震えた。

手術までの1週間は、このほくろと綺麗さっぱりおさらばできることの喜びと期待、そして麻酔による激痛の恐怖と闘いながら過ごしていた。ある程度脳内で予行練習をしておけば間違いないだろうという謎の自信があったので、いろんな妄想もした。

最初は今までした手術の中で今でも鮮明に残っている、背中のイボを取る時の激痛を想像した。今でも背筋が凍るほどだ。でも、本当に痛み対策として効果があるだろうか。もしあの痛みよりもすごいやつが来たらどうしよう。だってあの女神があれほどまでにお顔の造形美を崩してまで言っていたのだ。きっと想像を絶する痛みなのだろう。

そんなこんなで入念すぎるほどの下準備(妄想)をしていた私は、最終的に、どっかの何かの映画で見た拷問シーンにまで辿り着いていた。手足はベッドの四隅に金具で縛り付けられ、迫り来る注射針から逃れようともなす術がない。
「知らない!ほくろがいつからあるかなんて知らないんだよ!助けてくれよぉぉ!」と叫ぶ。いや、助けるために注射を打つのだ。とうとう唇に刺されたその注射針は、もう脳天を貫くような痛みでそのままTHE END…

と、そうこうして過ごしているうちに、いつの間にか手術当日になっていた。普段低血圧な私だが、朝から心拍数が明らかに高い。全身に血流がめぐっている。不安で不安でもう家から出たくない。いっそのことこの瞬間に隕石が落ちて地球が大波乱になってほしい、などと不謹慎にも程がある願いをするほど、緊張していた。

病院に着き、一息つく間も無く診察室という名の拷問部屋へ連れて行かれた。真っ白なそこは、あと数分後には真っ赤な私の血で染まることだろう。

先生が来た。きっと彼はえげつない拷問が得意なことで、界隈では名を馳せているのだろう。そんな気がする。ゆっくりとベッドに横たわった私に、「緊張するだろうけど、一瞬で終わるからね。大丈夫ですよ。」と優しげな声で言ってくれた。最後にせめてもの救いをくれてやろうと言うのか。

注射針が見えた。ギュッと目を閉じる。腹の上で爪が食い込むほど握られた私の拳に、看護婦さんがそっと手を添えてくれた。あぁ、最後におかんの唐揚げ、食べたかったな…。ありがとう、世界。ありがとう、地球…。

…..

..



「はい、麻酔終わりましたよ〜。頑張りましたね。」

終わっ…た…?

生きている?それかここはすでに天国だろうか。

看護婦さんが「大丈夫でしたか?」と声を掛けてくれて我に返った。呆気なかった。あれほどまでに想像を絶するほどの痛みをイメージしていたのに、普段腕に打つ注射となんら変わりなかったのだ。

なんだか、急に恥ずかしくなった。先生、名を馳せた拷問師に仕立て上げてごめんなさい。あなたはまごう事なき名医です。本当にごめんなさい。

もちろん、全然痛くなかった、とは言い切れない。若干涙目にはなった。ただ、拷問を想像していた私からすると、蚊に刺されたようなものだ。大体、自分のコンプレックスを克服するための治療に拷問もクソもない。とんだ失礼だ。とにかく、ある意味下準備のおかげで難を逃れた私は、その後すぐのレーザー治療は打って変わって、ウッキウキな気分でやり過ごしたのであった。


レーザー治療から数日後。

私の唇からほくろが消え、かさぶたが残った。

突然だが、本当に突然だが、私は元来疑り深い性格だ。小学生の頃なんかは弟が私のDSを勝手に使うのを恐れて鍵付きの引き出しにしまっていたし、それでも飽き足らず母親にまで、「かっちゃん(弟)が使わんように見とってや!」と監視を頼む始末だ。

大人になってからなんてもっと酷い。知り合い数人と食事に行く時は大体割り勘になるのだけど、支払いを取りまとめてくれている子を差し置いてレシートをふんだくって、割り勘として提示された金額が正確かどうかチェックしないと気が済まない。私ならこんなやつとご飯になんて二度と行かないだろう。疑り深いと言うより、ただケチなやつだ。

そんな私が、長年コンプレックスだったほくろを決死の思いで取り、その術後は「数週間で綺麗になりますよ」と言われたところで、このかさぶたを目の当たりにしてはとてもじゃないけど信用できない。それほど、しっかりと分厚いかさぶたが、私の唇の上にでかい顔して居座っているのだ。

気が気じゃなかった。これは本当に無くなるのか。もしかしてこのかさぶたが消えた後もあの黒々としたあいつがまだいるんじゃないのか。もう嫌だ、こんなにほくろに振り回される人生なんて!!!

そんな憂鬱な気持ちを抱えながらも、一応は渡された軟膏を気休め程度に塗っていた。どうせこんなの意味ないかもしれない。でも、塗らないよりマシだ。そう自分に言い聞かせながら、来る日も来る日もせっせと軟膏を塗り続けた。

するとどうだろう。
レーザーから1週間ほど経った日には、かさぶたが無くなっているではないか!おぉ!神よ!!仏よ!!私は仏教ですが神にも感謝させてください!こんな疑り深い私をどうかお許しください!

さらにもう1週間後、

私の唇からほくろが消えたのだ。


この二十数年、常にあった一点のほくろ。たった一点、されど一点。
私の顔の、今となってはチャームポイントだったと言ってもいいであろう、唇のほくろ。無くなった今、改めてまじまじと、自分の顔を見た。

ふと、私の心に隙間風が吹いた。ちょっとした物足りなさも感じていた。
あれほどまでに私の人生を振り回し、苦しめてきた唇のほくろ。無くなった今、初めて気がついた。案外、唇のほくろも悪くなかったんじゃないか、と。

私を私たらしめるもの。それが、今は無き、唇のほくろだったのかもしれない。

一抹の寂しさを覚えつつ、久々に顔を合わせる実家の母に、唇のほくろの思い出話を慕わしげに話した。
すると母から一言、

「ほくろ?そんなんあったっけ?」

母よ。この二十数年間、いったい娘の何を見てきたのか。いや、案外コンプレックスというのは、そんなもんなのだ。自分が気にしているだけで、周りからはさほど気にも止められないのかもしれない。

それでもやっぱり、唇のほくろを取って良かったと、改めて思う。自分にしか分からないコンプレックスを、自分のために克服したのだ。人生をより前向きに、豊かに生きていくために。

一瞬でもあのほくろに惜別の思いを抱いた自分が小っ恥ずかしくなりながらも、憑き物が取れたような、晴れ晴れとした気持ちで毎日を過ごしている。


おわり

この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?