聞こえてるんだよ、だけどね。

「聴覚情報処理障害(APD)」というものを初めて認知した時はとても衝撃だった。
私に起こっているこれが一種の障害だなんて、考えたこともなかった。だって他の人がどんなふうに聞こえていてどんなふうに耳からの情報を理解しているかなんて、そんなこと考えたこともなかったんだから。
私はただ、自分は頭が悪いから、ボーッとしているから、だから人の話をきちんと聞けないダメなやつなんだって思っていたの。

例えばこんなこと。
車を運転している時、助手席の母から「ここの信号右に曲がって」と言われた。私は「はーい」と言って左に曲がった。もちろん母は焦って何で逆に曲がったのかと私を責める、というか呆れる。この時私は、暫くどうして自分が責められている、というか呆れられているのかを自問自答、数秒後に「あっ、右だったのね」と気付くのだ。
他にも、仕事中急に「これってこうだっけ」なんて聞かれて咄嗟に「はい」って答えるけど、実際何を聞かれたかなんて答える時には飲み込めていなくて、答えた後で「やばい、違うこと答えちゃった」なんてこともある。
こういう時は訂正するものの、だいたい変な目で見られがち。
あと会議中は途中から上の空。書記当番だったりすると大変。後から誰かに必死に内容を聞き返す羽目になる。とても疲れる。

聴覚情報処理障害、その症状の中身を知って初めて思い当たる節もいろいろあった。
とにかく、聞き取れないんだ、人の声が。
雑踏の中、電話越し、多人数での会話、そのどれも苦手。特に聞き取りにくい声の人っていうレッテルを、誰かに対して貼ってしまう自分がいたり。そして話を適当に流しまくり相槌を打つプロと化していく。

みんな、同じだと思っていたんだ。

限りなく少数派の私たちは、きっとそうじゃない人たちからは理解の及ばない範疇にいる。
理解して、特別扱いしてほしいわけじゃないよ。
ただ、自分でもこの生きづらさが性格のせいだと諦めていたから、障害として名前のある症状たちだったことに少しだけ安堵してしまったの。
ダメなやつだと思っていた自分のその一部分が、落ち込まなくても大丈夫だよって慰められたような気持ちになってね。

私みたく、この聞き取りにくさを自分の怠慢のせいにしている誰かがいたとしたなら、そしてその人にダメなやつの刻印を押している人がいたとしたなら、どうかその人たちに届いてほしいと思う。

聞こえていてもね、私たちにはそれをゆっくりじっくり理解していく時間が、人より少したくさん必要なだけなんですよ。

#聴覚情報処理障害 #APD #発達障害 #生きるのが辛い

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