私事ではありますがご報告が。

お久しぶりでございます。

今回は私事をつらつらと書いていこうと思っています。
ポジティブとネガティブを半々ぐらいのイメージです。

まず、仕事を辞めます。
次は何も決まってなくて無職になります。
名古屋を離れるとかも何も決まってないです。
7月末には立派な無職です。

理由は、公私ともに理想と現実のギャップにつまづいて心の病になりかけたからです。
病院にいきまして「まだ病名が付く段階では無い」とのこと。安堵しています。壊れてしまう前に踏みとどまれたと思う。

3〜4月ぐらいの僕は完全におかしくなってたような気がします。
仕事のタスクが増えて、YouTube動画の収録と編集やオリジナル曲の製作が重なって、ある時から仕事も音楽もモチベーションが死にました。

・仕事
業務内容が変わってお客さんとより密に接するようになって案内の作成など事務的な作業が多くなり会社内のミスや不手際に対応することが増えた。これはめっちゃしんどかった。心がやつれていってそれに見合うリターン(報酬ややりがい)を感じれなかった。

・YouTube
足並みが揃わずヤキモキする時間が増えた。生半可にするのは意味が無いと今でも思ってるし、やるからには認められたいし勝ちたいと思っていたがそれが空回りをした。
再生回数や登録者数は微細だが漸増していると思う。
ただ、それは満足には足らなくて焦りがあって、コメント欄や更新頻度にちゃんと向き合う事がしにくくなった。
心の病と免罪符をかざせばそれで済む問題でも無くどうなりたいかをまた誠実に向き合うべきだろうと思う。

・楽曲製作
有難いことに依頼を受けて作編曲やエンジニアリングを請け負うことが増えた。とても有意義でやりがいがあった。
自分の可能性を実感する一方で、アバンdeモーダンとして何が出来たかというと。
もっと曲を発表したいし歌いたいし楽しみたい。
クリエイティブの源泉が枯れる云々よりシャベルを持つ手が震え出した感じ。泉はある、匂いはする、湿った土はある。ただ掘る手が止まる。
伴奏は作ったものがあるがどうも歌が入れれない。龍に眼を入れれない。なのでボカロを買って少しずつ形にしていく作業をして勘を取り戻そうと思う。

ここまで書いて。
僕が何を恐れているのかが僕自身分からなくなってる。クリエイターってこんなもんなのか?クリエイティブに向き合うってこういうことなのか?

僕は半年前にある環境の変化があって、自分は変わったと思う。良いのか悪いのか分からないけど。
その環境では自分の夢に向かって泥だらけになりながら突き進むオーナーの姿を毎日見る。
新プロジェクトを打ち上げては試行錯誤や前言撤回を繰り返しながら邁進している。
ひたむきで強欲で無垢なその姿を毎日見るとなんだか勇気が貰えて奮い立っているのが分かった。
よく巷で「経営者の人の話を聴くと価値観変わるよ」「マインドが切り替わるよ」なんて耳にするが、多分それと同じ類いだと思う。

恐らくそこにいて、自分の現状や欲望、中長期の環境を考えた時に心に葛藤が生じたんだと思う。
やりたいこと、やらなくちゃいけないこと、やらなくてもいいこと。色んなことに折り合いを付けてきたつもりだったけど、そもそもその「折り線」が間違っていたんじゃないかと思った。
山折りも谷折りも何もかもが「これが作りたかったんじゃなくね?」の結論に至った。
僕はそれに恐れと焦りを感じて不恰好な折り紙の鶴を無理やり元の折り紙に戻そうとしたから心が破れかけたんだと思う。
付けてしまった折り目は戻らないのと同じように過ぎてしまった時間は戻らない。8年間の会社員人生が無駄だったとは全く思わない。むしろ勉強になることばかりだった。
けど結果違うものを作りたくなったのならまだやり直せる。折り直せると思っている。

とりあえず今はゆっくりと正方形の折り紙に僕自身を戻すことに専念しようと思う。
そして、これからの自分の方向性を整理するために、またつらつらと筆を進める。

・仕事
狂える仕事をする。その業務がアバンdeモーダンと僕の血肉になる内容が好ましい。スタジオで働いてみたい。勤務地の希望は無いが、東京にも住んでみたいとぼんやり思う。
一方で超絶ホワイト会社で、余暇をクリエイティブに注力出来るというのも大事だなと思う。けど、結局狂える仕事じゃないとまた同じ轍を踏みそうだとも思う。

・YouTube
僕はここで勝ちたいと思っている。更新頻度は正義だと思うし、中身もそれに伴うものであるべきで反比例してはいけない。
僕はアバンdeモーダンは彼女が主だと思っている。メインプレイヤーだと思っているが故に足並みのズレもあったのかも知れない。笛吹けども踊らずであって欲しくはないし、舞台を用意する僕の火の玉が鎮火してもいけないと思う。
提案されたことがあるのは、僕1人でのDTM解説動画の投稿。ありだなと思うけど、出来れば2人でのやり取りを主にしたい。そうなると大事なのはプロットの解像度。やりたいようにではなくそれぞれの良さの出る内容。
彼女がDTM初心者であるという強みや弱みを僕が許容・理解出来ていなかった事に今の現状があると思う。
今一度「マーケットイン」「プロダクトアウト」を見直して仲睦まじくタメになるものを作っていきたい。
週3本の投稿でDTM解説、カバー曲、オリジナル曲などを上手く組み合わせていきたい。

・楽曲製作
これが、アーティストのアバンdeモーダンのメインテーマになる。やりたいことはある。書きたい曲も山ほどある。
ひとつひとつ丁寧かつ迅速に。
まずは僕のソロ曲をアレンジし直して1枚のアルバムを作る。そして新曲を作る。ライブスタイルのギター2本verのアルバムも作りたい。
これに関しては完全に僕主導になる。というかここが僕の主戦場だろう。背景や額や鱗を1枚ずつ描いて、最後に眼を入れてもらう。
これは月1曲のペースで進めたい。2022年はまだアルバムリリースの予定は無いのがとても腹立たしく心苦しい。
我々の生きた証を電子の海に放流する瞬間が何気に僕は大好きだ。

風前の灯とはまさにこのこと。
煽られて火が消えたような感覚。
まずは凪に戻して、灯が落ち着くのを待つ。
完全にクリエイティブの習慣が失せたのでまずはデスクに向かって習慣を取り戻す。
そのために、
・2時間DTMの参加
・カバー曲、オリジナル曲の作成(まずは週1曲)
・YouTube動画の投稿再開(まずは週1本)
デスクに向かう恐怖心を和らげながらエンジンを暖めていきたい。

自己肯定感は低い方では無かったのだが、ここまで自分を卑下する時間が多くなるとは自分自身驚いている。気分の乱高下は誰にでもよくある事だと思っていたが病名が付く寸前だったと思うととてもやりきれない。
情熱を持って当たっていたつもりだったのにどうやらそれは狂気だったらしい。その境目が僕には分からない。
ただ周りの人間に害を成すとなると立ち止まらざるを得ない。
しかし、将来に対する不安は宣わるくせに牛歩で安穏と生きるなんてちゃんちゃらおかしいと思う。過去曲の歌詞で「生き急ぐぐらいが丁度いいの」と書いたがこれは僕の本心だ。
年齢も30になり、大した才能も持ち合わしていないのであれば、努力をするしかない。それも他の人より1歩分でも多い努力を。
それは僕なら出来ると思っているし、勝ちたいと思っているからだ。

いや、負けたくないと思っているからだ。

負けるというのは、他のクリエイターにではなく、安穏と老いる人生を選んだ違う世界線の僕にだ。
「ほらみろ、こっちの世界は何も無いけど何でもあるぞ」と嘲笑するもう1人の僕がいるようでならない。
ギターもマウスも触らず毎晩のハイボールだけを楽しみにして生きている僕を、僕は愛せる自信がない。
やれるだけやりたい。
というか勝つまでやりたい。

アバンdeモーダンというデュオを組み私生活を共にしてくれてる彼女には大きな負担と不安を強いた。恥ずべき事だ。
毎日配信のようにを頑張っている彼女も1人のアーティストだった。
彼女は、それぞれがそれぞれのやり方で活動をしてその才能の合流地点がアバンdeモーダンであればいいと言った。
その通りだ。僕が1人のプレイヤーとして何が出来るのかと言うと口籠るしかない。彼女は配信で沢山のファンと交流を毎日のようにしている。
八つ当たりして人のせいにして、もっとこうあるべきと5流プロデューサー気取りだったと思う。そのくせプレイヤーとしての自分の腐った矜持を抱えて右往左往していた。
改善する事は多い。見据えるビジョンは同じなのだから、まだやれる事はある。

改めて吐き出してみると、この記事の中でも強気と弱気が混在している。
ただ、どの言葉も本心だし僕そのものである事は間違いない。
未来がどうなるかは分からないし、不安もある。けれども我々を好いてくれてる人も少なからずいるし、みんなそういう境遇の中で今日も命を擦り減らして作って、歌って、笑って、泣いている。

筆を止めたままのキャンバスが眼前にある。気に入らなければ上から塗り重ねよう。その厚みは作品に更に立体感を作るだろう。塗り間違えたって乾くのを待つ前に筆を足そう。混じり合った色が新しい景色を見せてくれるかもしれない。赤も青も白も黒も、その時信じて手に取った色が僕らの人生を彩っていくのは間違いない。恥じたりしない。空の青も山の緑も夕焼けの赤も自分が感じた通りに塗っていきたい。

ただ1つ懸念があるのは
僕が7月末から「無色」になることだけだ。
それだけはちょっとまじでどうにかしよう。


お付き合い頂きありがとうございました。
また頑張っていきまーす。

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