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Vol.13 検診6回目(27w0d)の日のこと。

好きなジュースはオレンジかグレープフルーツか野菜です、まーちぇです。前回は、検診5回目の話をしました。今回は、検診6回目の時の話です。「反出生主義」とかの話もしています。

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転院してから3回目の検診です。前回、書き忘れていたのですが糖の負荷試験となるものを行いました。めちゃ甘サイダーを飲んで、1時間後に採血をする検査です。炭酸飲料を普段飲まないのもあってか、紙コップ2杯だけなのに量が多く感じました。この頃はゲップも出るようになっていて、こみ上げる甘さが地味に不快でした。その結果を今回教えてもらいましたが、問題なかったようです。妊娠糖尿病ではないことがわかって安心です。
ついでに言うと、転院前の病院でやっていなかった検査もやっていて、その結果も問題ないということでした。病院によって検査項目が異なることもあるのだと思うと、信用しすぎるのも良くないなと思ったりします。セカンドオピニオンというのもあるくらいですし。
性別について聞いてみたところ、女の子っぽいということでした。前回と違う結果だったので、分からないものです。女の子ならかわいいお洋服をたくさん用意してあげたいなと思ったりします。

この頃に知った言葉なのですが、「反出生主義」という考え方があるようです。生まれること、産むことに反対するという意味合いらしいです。詳しくはこちら「苦しみが存在しない世界を作るのは、むしろ良いことではないか」人の誕生・出産を否定する“反出生主義”、あなたはどう考える?に書かれているのを参照ください。正直なところ、子どもを産むことは親のエゴである、というのは常々思っていて、子どもを産む理由についてはっきりと言えることはありません。Vol.1でも書いたように、「子どもが欲しい」という夫がきっかけで妊活を始めました。妊娠中期になっても、子どもが欲しい理由について私が言えることはないままです。だからと言って、子どもを産むことに反対かと問われると、そんな発想はしたことがありませんでした。産む産まないは個人や家族の選択であって、他人に対して産むことを反対するというのはどういうことなのか、理解できず興味を持ちました。調べているうちにだんだんと哲学的な話になってしまったので、もやもやしたままです。「誰の何のために」産まない方が良いのか、家族のことばかり考えている私には難しいのかなというところです。世の中にはそういう考えの人もいるのだと知ることはとても重要だと思っていて、よい学びになりました。

「親のエゴ」に関連して、書いておきたいことがあります。絵本なんかを探していると、赤ちゃんがお母さんを選んだとか、赤ちゃんが生まれてきたくて生まれたとか、そういう内容のものがあったりします。子どもを産むのは親の勝手だと思っている私にとっては、苦手なわけです。そのような考え方を否定するつもりはなく、むしろそう思えた方が良いのではと思います。勇気をもらいましたとか励まされましたとか、救われていますから。どうも私は救われないなと思っていたら、ある本のまえがきにこんなことが書いてありました。

子どもは、自分の意思で生んでくれと頼んだわけではないのに生み出され、生きるという大変なことだけは引き受けさせられるという、いわば理不尽な存在なのだということを出発点にするということです。
だから私は、子どもに、どうだ、生きるって面白そうだろう、感動的なことがいっぱいあるだろう、ということをできるだけたくさん感じてほしい、と願って子育てを続けてきました。

引用:『子育てはキレない、あせらない』 汐見稔幸

この文章を読んだときになるほどなと思ったのは、親の勝手であることを受け入れて、では何が出来るのかを考えている点です。私は心のどこかで「親のエゴ」ということに後ろめたさを感じていたのだと思います。危うく、産んでごめんねとネガティブになるところでした。不安になったときにはこの言葉を思い出して、乗り越えたいと思います。

(続く)

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自分の体重が増えなくなって心配になったけど、そういうものらしい。あと2か月ほどで赤ちゃんが倍くらいの大きさになると思うとすごすぎてなんか怖い。あと、本当に産まれるのか実感がない。

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