見出し画像

Maa2のダンス遍歴(32)~OSN waack~

【一行でわかるあらすじ】
初優勝したぞう🐘

バトルのことばっかり書いているが、この頃ようやくwaackダンスの楽しみ方をわかりかけてきていた。と思う。

とりあえずいろんなバトルに参戦するも、ワックバトルはことごとく予選落ちだった。

いや上がらへんのかい

まぁ一回一回ジャッジも違うししょうがない。
地道に練習や、と思いつつそんなこんなでまた数ヶ月。
毎日続けていく中でいろいろと成長してんだかしてないんだかわからなかったが、2on2で負けて凹んだその日から毎日投稿していたインスタグラムの練習動画は200に迫っていた。

秋ごろに本気になり、年明けに悔しくて大泣きした後時は経ち、季節は春。ゴールデンウィークに毎年大阪にて行われる「OLD SCHOOL NIGHT」というイベントに参加することにした。
世の中ではOSNと呼ばれているが、北海道の一部の過激派の間ではオスンと呼ばれている。

オスンはダンスを大きく分類した際にオールドスクールと呼ばれるLOCK、POP、BREAK、WAACKダンスの大会で出場者が合計1000人を超えるとか、超えないとか。とにかく人が多い。
最寄駅からの道がわからなくとも、怖そうな人について行けば迷わないという謎システムにしたがい会場に到着した。

入り口前には血の気の多そうなダンサー達が集まって列を作っていた。

エントリー待ちの列の様子

とにかく人が多い。
初日に予選、2日目にトーナメント、という具合に2日間の日程で進む。

出場者は国内の参加者のみならず、海外からも多数参加していた。
アジア諸国のみならず、アメリカ、ヨーロッパからも参加者が多く、いよいよ何の会合かわからなくなっていた。
あとはとにかく人が多い。

オスン waackの参加者はだいたい250人ほど(?)で2つのグループに分けて予選が行われる。
125人から30人に残るのが最初の門だが、本当に記憶がないが何も惜しい感じもなく予選落ちした気がする。

台湾や韓国でも見ていたが、少し上達したからこそわかる。
海外のダンサー達はさまざまな踊り方ですごく楽しんで踊っていた。

俺の心のバキがそう言っていた

ああ、楽しそうだ、羨ましいな。
とはいえ、楽しんでいる中に大きな努力や、見る人達への気遣いも見えた気がした。
自分は承認欲求で踊っていて、それで無理矢理上達したが、努力の足りなさも感じた。

2日目は行かなかった。
自分が見に行ったところで蚊帳の外だし、自分が上がった時に行けばいい。
派来年とりあえず一次予選あがるぞ、と決めて次の日はちんぱち達とヘラヘラ酒飲んで終わり。

打ち上げには行った。
正直他のwaackerがほとんどどこの誰なのかよくわかっていなかったので、開始前近くの席に座って話しかけてみた。
簡単な自己紹介の後、どちらから来たんです?と聞いた。

彼は
「昔は最初は東京に住んでて、その後大阪に引っ越しまして…」
といろいろ教えてくれた。
「そのあと静岡、あ、違う、名古屋あたり、でその後大阪行って」
としばらく続けてくれた。

まさかすべてを告白するつもりか?

その後話が終わる前に乾杯の音頭が各国の通訳を含め始まり、15分ほど話したが、彼のことはZEBEさんという名前だけしか聞けなかった。

そのさらに翌日、 バトルロイヤルというwaackの2on2イベントが十三という町?で開催され、多くの海外勢が参加していた。
海外勢と戦いたい一心でナカトミを誘い、暴れながらエントリーした。
これで日本人と戦って負けたらクッソ萎える。

結果best16まで勝ち上がり、Alvinとyoyoという中国で(多分)トップレベルの人達と当たった。
これは自分も出し切れたと思ったが、普通に地力の差もあり負けてしまった。
負けてしまったが、楽しかった。

茨城の優勝のおかげで
心が蚊トンボから少しだけ成長

そんなこんなで、大阪の旅は終わった。
結果だけ見れば残念であったが、着実に前に進んでいた気がした。

自分のダンスってなんだろうな、どうすれば楽しめるんだろうな。と前向きながら悩んだ。
その結果、このときから踊り方が大きく変わることとなる。

大阪ではOSNやバトルロイヤルでは
まだまだ自分が何か残せるレベルではなかったが来てよかった。
知らないこと、わからないことを学べて非常に勉強になり、スッキリした。

だが、たった一つだけ気がかりなことが心に残っていた。




ZEBEさん結局どこからきたの

その謎の答え(?)もいずれ見つけるべく
俺はまた関東に戻り修行を続ける。

次回「WDC  waack side」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?