パリ五輪開会式を見た“自分”を見て思ったこと
昨日、パリ五輪の開会式をテレビで視聴しました。
豪華絢爛で、フランスの人権やジェンダー、人種に対する意識の高さにも感激しました。
出場国全ての紹介を経て、朝5時くらいまでは見ていたのですが、さすがに眠気には勝てず、そこで寝てしまいました。
昔は正直、すごく視聴率が取れる、みんなが見るようなコンテンツである五輪の開会式には、少しも興味がありませんでした。
競技も、たまたまテレビを付けてやっていたら視聴するくらいで、出場選手に肩入れしたりも、あまりしなかった。
それが、今回、開会式を興奮しながら見たように、五輪を楽しめるようになってきたのですが、考えてみれば、これは他の国民的イベントや行事にも当てはまることに気づきました。
年を取ると、こんな風になる。
「斜に構えていたものを、素直に受け入れられるようになる」
定番だから、大衆的だからという理由で避けていた物事、個人的な事情で毛嫌いしていたものに、ちゃんと目を向けられるようになった気がします。
それこそ若い頃は、
「クリスマスやバレンタインデーなんて、恋人がいないならただの“日”でしかない。くだらない」
と思っていたような気がします。
それがだんだんと、パートナーがいるとき/いないときに関わらず、クリスマスシーズンが好きになってきたんですよね。
イルミネーションに綺麗に彩られた夜の町に浮かれたカップル、忙しそうなビジネスパーソン、懸命に働くお店の人などが渾然一体となっている光景を見ると、心が弾むし、この時期はグルメも美味しい。
今は、「クリスマスって良いな」って思えるんです。
今日は、花火大会に足を伸ばしてみました。
町の人たちが、お店やマンションから外に出てきて、至るところで立ち止まり、夜空を見上げてさまざまな光の輪に見入っている光景。
風流ですよね。一体感も感じます。
昔はこれにも全く興味を示していませんでした。
それが今は、楽しみで仕方ない。
今年はまだ行けていませんが、海もぜひ行ってみたい気持ちになっている。
季節の風物詩を受け入れ、それを、徐々にですが、ちゃんと味わえるようになってきた。
こんな自分に、吃驚しています。
自分の性格が丸くなってきたかどうかは自分では判断ができないので、僕を知る人に聞くしかないのですが、こうやって自分も年を取っていくのかと思うと、なんだか寂しい気持ちもしますが、時間というのは不可逆なので、ある種の諦観も感じながら、しんみりとそれを受け入れる気持ちにもなります。
定番をしっかり楽しむ。
それって、孤独を解消し、社会とつながる方法の一つではないかとも思います。