人に”与える”ことについて

今年から少しずつ他人に“与える”経験を増やしていこうと考えている。
あまり交友関係の広くない僕でも何かできることをないか、と考えたとき、一番に思いついたのが「寄付」だった。

ということで今年は、能登半島沖地震と台湾東部地震に対して、ささやかですが寄付金をお送りしました。

実は寄付はこれまでの人生でも他に複数回、行っています。
覚えている限りでは東京マラソン。
2回出走しているのですが、どちらもチャリティーランナーとして出走したので、合計22万円ほど支払っている。

ただ、これは”東京マラソンを走れる”という見返りつきなので、もちろん贈られた側にとっては嬉しいことだと思いますが、僕としては寄付の本筋ではないと思った。

いま、「ふるさと納税」という制度が流行っている。
実は能登半島沖地震には、やり方が一番わかりやすいからという理由で僕もそれを利用して寄付させていただいています。
ただ、これに関する返礼品はありません。

寄付をした代わりに何か返礼品を受け取れるってすごく良い制度だとは思います。
だけれど、僕、個人的にはですが、「返礼品は要らない」と思っているところがある。

もちろんこの制度が寄付を主眼に置いているものではないことは知っているのですが、僕個人は、他者に与えるなら、無償の方がずっと気持ちがいい。

与えることに対して見返りを求めるのってなんだか違うと思っています。
それを求めてしまうと見返りがなければやらない、ということだし。

お金が全然なかった昔と比べて少し、ほんの少しだけお金を使えるようになったからこう考えるようになったのかもしれません。

そして幸せなことに現在、その状況にあるのだとしたら、それは僕に対して多くの人が与えてくれたから。

だから、どんなやり方でもいいから次は与える側になっていきたい。

もちろん与える相手はそれなりの見識眼を持って見極めますが、お金ではなくても、もっともっと人に気持ちよく与えられる男になっていきたいというのが、40代からのちょっとした目標ではあります。

「人のために見返りを求めずに何かをしてあげる」ことに、いまだに心理的なブロックが働くことが多いですからね。
貧乏性が染み付いているのかもしれません。
ただ、これに慣れないとフリーランスとして仕事を人に振ったりできないし、期待しない方が忘れたときに返ってくることもあるかな、とも思います。

昨日、自己投資について書きましたが、他人へ投資すること=他己投資も、同じくらい大切だと感じています。

漢字で一発変換されないのでなかなか広まっていない概念かもしれませんが。

読んで頂き誠に有り難う御座います! 虐げられ、孤独に苦しむ皆様が少しでも救われればと思い、物語にその想いを込めております。よければ皆様の媒体でご紹介ください。