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涙のわけは~感情と理性の関係および脳内感情の擬人化方法~

感動で涙があふれてくる。そういう経験をだれもが一度はしただろう。
映画を見たり、本を読んだりして感情がゆさぶられたときに涙が出てくる。
そして、涙もろさは歳をかさねるごとに強くなる。
どうして人は感動すると涙をながすのだろうか。
涙をながすとスッキリするのはなぜだろうか。

本文のポイント

●感情に素直になると涙をながしやすい。
●自分の感情(とくに喜び)を大切にしてあげましょう。

感情VS理性

自分の感情に対して常に理性がコントロールをかけながら、私達は普段の生活を送っている。
理性がはたらくことによって、私達は社会的にふるまうことができる。
感情をなんとか制御しようと、理性はいつもがんばっているのだ。
このように、理性と感情は対立する関係である。

いつもどこでも涙をながせるわけではない。
これも理性が感情をおさえて、泣くことを控えているからだ。
理性は場所や立場や環境を考え、ここで涙を流していいか判断し、時にブレーキをかける。
逆にいえば、理性がブレーキを緩めた時に、感情に従って涙をながせるのである。

あるいは、感情がブレーキの力を上回った時に文字通り涙が溢れてくるように思う。
そのためには、ひとつの感情だけではよっぽどの衝撃でない限り理性を上回る力が足りないと思われる。
ふたつ以上の感情が複雑に混ざった時は案外容易に涙が出てくる。
これは、単純な感情の動きならば理性は処理できるが、複数の感情が複雑な動きをしたとき、理性の混乱が起こると示唆している。そうすると、身体は感情に従うしかなくなり涙をながす。

涙もろさは歳をかさねるごとに強くなる?
歳をかさねると理性のブレーキが弱くなるという説がある。
加えて、人生経験が増えた分、共感能力の向上で説明するものもある。
(以前、チコちゃんでやっているのを見ました)

いずれにせよ、感情の動きが支配的になった時に人は泣くのだろう。
感情を受け入れて思いやっている状態とも言えそうだ。

いわゆる感受性とは感情に素直になる姿勢ではないか。
感情を素直に受け入れられる人ほど感受性が高いと言ってもいいように思う。

涙を流すとスッキリするのは抑圧された感情が解放されるからなのかもしれない。
歳を取るにつれて、理性と感情のバランスが保たれるようになっていくのだ。


感情を擬人化した映画「インサイド・ヘッド」を参考にする。

この映画は感情をキャラクター化している。
喜び、悲しみ、不安、怒り、嫌悪の5人だ。

これらの感情が身体の行動や表情を操作しており、人によってリーダー的な感情が異なっているとわかる。
主人公は喜びがリーダーの女の子だった。父親は怒りだったし、母親は悲しみだった。

自分は考えるまでもなく不安がリーダ―である。
悲しみと嫌悪の存在感が次に強く、怒りは思春期以降かなりおとなしくしている。
喜びが表に出てくる頻度は少ない。どこにいるのかわからない時がしばしばある。
普段の仕事などでは、ほぼ喜びを喪失したような状態で生活している。
私の喜びは無関心を気取ってるけど、創造的活動の時は1番楽しんでる。他の感情とも距離を取っている感じがする。

通勤中、車の中で好きな曲を流していて、実験的に脳内の感情はどうなっているか意識を向けてみた。
すると感情みんなで大合唱状態だったのだ!
喜びもちゃんといて、ちゃんと笑っていたのである。みんなと一緒に笑って歌っていたのである。

それで、わけがわからなくなってぐちゃぐちゃになって涙がでてきた。
脳が感情一体に支配された状態である。

そしてすごく晴れ晴れとした気分になって、スッキリとした。

私が音楽を聞くのを好きなのは、喜びが音楽を通して他の感情とつながることができるからなのかもしれない。

このように、インサイドヘッドを見てから、自分の中の感情がどうなっているのか想像してキャラクターを与えてみると、客観的に自分の感情を認識できるようになった気がする。

こういうふうに感情にキャラクターを与える方法を、感情の擬人化と呼び、認知行動療法でも使われているらしい。つまり、ストレス解消に良いということだ。(下記本にも出てきております)


そもそもこんな記事を書いている理由は、私の中にちゃんと喜びを見つけられたからである。それを忘れないために、私に起こった現象を書き残しておこうと思った。

感情に振り回されるのではなく、感情に素直になって生きていきたいと思いはじめた。

ここまで読んでいただきありがとうございます。

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