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新婚旅行記 一日目

結婚式を終えて1日たった。晴れやかな非日常を終えて、ほっと一息ついたところだ。かといって普段の日常に戻るのではなく、さらなる非日常に向けて出立する日である。すなわち、新婚旅行である。フィンランドへ行くのである。

とは言っても、今日は午後から関西空港へ向かうだけで、フィンランドへのフライトは明日の朝になっている。

旅の荷造りは昨日ほとんど済ませた。あとは各種書類のコピーをとる必要があった。妻は午前中だけ仕事に行っていたから、終日仕事を休みにしていた私がその任を果たすこととなった。コンビニに行って、コピーを済まし、ついでに電車の中で食べる昼飯を調達した。あとは妻が帰ってくるのを待つのみである。

重たいスーツケースを引きずりながら徒歩で近くの駅まで向かった。10月になっていたが気温は25度くらい、太陽の陽射しは強く、歩くと汗をかいた。まったく、これから北極圏にいくとは信じられぬ。今は寒さにあこがれながら駅の中に入る。
田舎の駅はバリアフリーとは言えない。プラットホームが別れているのにエレベーターはないのである。階段を移動するしかない。いったい車椅子の乗客がいたらどうするつもりなのだろう。まさか駅員が2人で担ぐのだろうか。
なんだか電車に乗るまでに体力を使ってしまった感じがした。昼時はとうに過ぎていたので、腹も減ったが喉も乾いた。席に座るやペットボトルの水をいっきに半分ほど飲み、パンやらおにぎりを食べた。

特急に乗り換え、関西空港へ向かう。しょっちゅう大阪へ出張のある自分は特に感慨を感じなかったが、妻は少し懐かしんでいたようである。たしかに、京都なんかはふたりでよく遊びに行ったものだから、たった一年ほど前のことなのに、私も京都を通過するときは懐かしい思いをした。

関西空港へついたら、直結しているホテルへ向かった。もう夜の7時だ。腹も減っており、とにかく荷物を部屋に置いて、夕飯を食べたかった。
エレベーターで移動して、部屋に向かおうとして驚いた。とにかく部屋数が多い。自分たちの部屋まで行くのに何十もの部屋を通りすぎた。
個人ツアーを予約するとき、あまりホテルについては意見を出さなかったものだから、ありがたいことに少し値段が高めの良い部屋が選択されていた。部屋は広々としたツインルームであった。さすが、国際線を擁する空港にあるホテルとみえて、コンセントが日本式と海外式のふたつ付いていた。
バスルームの洗面台の横には謎の受話器がついていた。また、部屋のテレビを付けておけば音声だけを流すことの出来るボリュームスイッチもバスルームにあった。

良いホテルではあるが、年季も入っており、バスタブの黒ずみがやや気になった。概してホテルというものは薄暗い。暗い方がリラックスできるのだから当然ではあるものの、どこか陰鬱さを感じるものである。そんなことを考えながらトイレを済ませ、夕ご飯を食べに出かけた。

しばらく日本の食べ物は食べられないから、空港内にあるお店でお好み焼きを食べようということになった。だいたい大阪で何か外食するとなったらお好み焼きを食べる我々である。

空港内は海外からの旅行客と日本人が半々くらいに思えた。しかしそんな中でも関西人は目立つ。あの関西弁と言うやつはどうしてこうも目立つのだろうか。

目的の店は行列になっていないものの、1組だけ待機していた。その後ろに並ぶ。前のご一行は関西人の10代の女性2人と30代くらいの子連れ女性1人であった。いったいどういう関係かわからないが、甲高い関西弁で周りのことなどお構いなしにおしゃべりをし続けていた。
この一行に罪は無いが、私が苦手とする人種のひとつである。こういう人達が近くに居ると、どうしても会話の内容が気になって聞き耳をたててしまう。というよりも聞き耳をたてるまでもなく耳に入ってくる。逆に耳栓がほしいくらいである。

そんな騒がしい人達が先に店に入り、やっと静かに待てると安堵し、店先に置いてあるメニューから注文内容を妻と相談しているうちにお呼びがかかった。

私はとにかく先ほどの一行の近くにならないことだけを祈った。ほんとにそれだけは嫌だったのである。不安の8割弱は実現しないと言われているにも関わらず、私の祈りは誰にも届かなかった。例の御一行様の横の席である。
ご飯の美味しさに集中できなくなってしまったし、妻との会話もままならない状態へ変わってしまった。繰り返すが、隣の御一行に罪はない。私が騒音に弱いせいである。
聞いていると話の中身は、タピオカ、マツエク、ラインなど無味乾燥を究めた。まさに10代女子の典型像である。その話題についていく30代もまたすごい。

少々騒がしかったものの、お好み焼きは美味しかった。腹も膨れ、コンビニで各々デザートを買ってホテルへ戻った。

明日からの旅程詳細を詰めようとしたものの、食後血糖変動のせいと疲れが取り切れていないこともあり、激しい眠気に襲われ、とても計画どころではなく、シャワーを浴びて寝ることにした。現地到着まではまだ時間があるから良いだろうと思っていた。

寝巻きをバスルームに持ち込み、用を足す。便器ヨコのレバーで水を流している時、水が流れる音と同時に微かに電話のなる音がした。

最初は部屋の電話がなっていると思ったが、鳴り方は不規則であり、壊れた電子音のようにプツリプツリと切れ切れであった。

なんと、バスルームの受話器が鳴っていたのである。

これは出てはいけないと一瞬で悟った。こういう場合、受話器を取って耳にあてると、この世のものでは無い音声を受け、電気が消える。そして、ふと鏡を見ようものなら、見えるはずのないものが見えると相場が決まっている。

そこで私は受話器を1度取り、耳にはあてず、すぐにもとに戻してみた。それでも呼出音は鳴り止まない。それどころか先ほどよりも音量が大きくなり、音の間隔も早くなってきた。まるで、いつまでたっても起きない人に対し、目覚まし時計の音が早く大きくなっていくみたいに、受話器はなりつづけた。早く出ろと訴えかけているようで、いよいよ怖くなった。

いくら煽られても、出るわけにはいかない。数々のホラー映画から学んだことである。だが、逆に出なかった場合の方が悲惨な結果になるシナリオも想定される。その場合、呼出音はプツリと止み、一時の静寂が訪れる。しばらく緊張感は保ったまま、安心感が僅かに芽生えた矢先、なにかしらの物品が破損、あるいは壁や天井が破壊され、物理的怪奇現象が発生する。

そんな事態にするわけにはいかないので、私は妻に助けを求めた。妻も異変に気づいていたらしく、すぐにバスルームに来てくれた。そしていったん受話器を取り、呼出音の鳴らない状態で置いておき、フロントへ連絡しようということになった。さすがに妻は冷静である。私はおおいに動揺している。

しかし、いくらコールしてもフロントには繋がらない。これだけ大きく立派なホテルなのにそれはおかしい。これは異次元的閉鎖空間に連れ込まれた可能性を否定できなくなった。この場合、全ての通信手段は遮断されており、部屋のドアは何故か開かず、異次元的何かからの攻撃をうけるのを待つしかない。そんな闘いを覚悟しつつ、バスルームの受話器をもとに戻した。そうするともう呼出音が鳴ることはなかった。

一応大丈夫そうだぞ、と言いたいところだが、大問題である。この後私はシャワーを浴びなければならないのである。もはや古典的にやり尽くされたパターンではあるが、シャワー中に何かが忍び寄り、気配を感じ、目を開けるとそこには、、、というパターンである。想像するだけでおそろしい。

しかし僕は立派な大人であるから、ちゃんとシャワーを浴びるのであった。シャワー中はできるだけ目をつぶらないようにしていたので、何事も無かった。

誇らしげに安心しきって、身体をバスタオルで拭いていると、扉がゆっくりと少し開いた。「おっ」と思わず声がでた。妻が何かアメニティグッズを取りに来たのか、トイレに来たのかと思ったが、それ以上扉は動かず、もちろん誰も入ってこなかった。いや、目に見えぬ何かが入ってきた可能性がある。

いよいよ恐怖である。怪奇現象の再来である。ここまで古典的手法を用いてくるとは驚愕である。バスルームから一刻も早く立ち去りたい私は、身体が半分濡れたまま、全裸で部屋に出た。

妻はそんな私に驚く。かくかくしかじかと事情を説明する。妻からはとにかく大丈夫だからとなだめられる。私の偏桃体は活性化し、脳は完全に恐怖に支配されていた。
それでもだいぶ疲れていたから、怖くて眠れないということは無かった。ひとりだったらたぶん寝られていなかっただろう。妻がいてくれてほんとに良かった。

結婚式の準備などに追われているうちに、気づけば10月。ハロウィンだ。悪霊のひとつやふたつが出てきてもおかしくはない。


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