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新婚旅行記 六日目

電車に揺らされ、何を言っているのか全く分からない社内アナウンスに起こされながら、浅い眠りを繰り返し、寝台特急も朝を迎え、ヘルシンキ中央駅に到着した。

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リュックサックを背負い、重たいスーツケースと重たいまぶたを必死で持ち上げながら、プラットホームへ降り立った。
人々はせわしなく、ガラスの天井で濾過された光の中を縦横無尽に行きかう。自分の時間感覚だけが引き延ばされているようだった。

すぐに現地ガイドを見つけることができた。中年の小柄な女性である。そそくさとあいさつをしながら連れられるままに駅の外へ出た。そこはもうヨーロッパだった。濡れた石畳と芸術的な建造物が立ち並ぶヨーロッパの風景が広がっていた。

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ロヴァニエミにはどちらかというと森と湖のフィンランドのイメージに近かった。一方、ヘルシンキはそのイメージよりも、ヨーロッパの国という方があっているように思う。
なお、他のヨーロッパ諸国に行ったことがないからこのイメージが正しいのか比較しようがない。単純に田舎と都会の差であるのかもしれない。
そんな第一印象だった。次に思ったのが調和がとれた街だということだ。街の雰囲気が統一されている。日本人にとってはオシャレだと感じる人が多いだろう。

まずは荷物をホテルに預けてしまおうということで、大通りやら、おすすめの飲食店やら、観光名所のあるとこやらを軽く説明してもらいながら、ホテルへ向かった。
それにしても石畳はスーツケースを転がすのに向いていない。
雨は降ったり止んだりしていた。

ホテルは駅から10分ほど歩けば行けるところであった。
というより、ヘルシンキの街自体がコンパクトなのである。観光名所のだいたいは歩いて行ける範囲にある。
賑わっている大通りと、比較的静かな小さな通りがある。路面電車が市内を走っている。
また、ロヴァニエミのように工事されている道が多い。これは冬に工事ができないから秋のうちに終わらせてしまおうということらしい。

ホテルはそれなりに良いホテルだそうで、閑静なところにある。そこに向かう途中はけっこうな登り坂である。
ガイドさんの話を聞きながら、スーツケースを引っ張るのは大変である。ガイドさんを先頭に、妻、私と行進は続く。
歩いていると、どうも後ろから嫌な気配を感じた。3人組が後ろを歩いていた。少し嫌な感じである。ほどなくして、その人たちは別の道に逸れていった。ガイドさんも怪しんだようで、スリかもしれないとのことである。
一応荷物の確認をということで、リュックを見てみるとファスナーが開けられていた。すぐに中を確認する。とは言っても、リュックには上着類しか入れてないので、何も取られていなかった。良かった良かった。

断じてそういう話ではない。これは屈辱だ。怒りが湧くほど屈辱的だ。
悔しい。恥ずかしい。手を出されたことが、狙われてしまったことが、屈辱的なのである。少しでも触れられたことが、開けられてしまったことが悔しいのである。警戒を怠った自分が、気付けなかった自分が恥ずかしいのである。

一方で、収穫もあった。それは、警戒心を十分に高めることができれば、対応可能だということだ。まぁ、私が遭遇した程度の技術しかもたぬスリ相手ならばという仮定ではあるが。
正直、言い訳的なことを言うと、昨日、限界を超えた精神的ダメージと、疲労、時差ボケと睡眠不足で脳機能はあきらかに低下していた。それに加えガイドさんがいるという安心感、油断もあった。それらがなければ、警戒心を高めれば、HSPのこの私からスリを行うなど不可能に近いはずだ。

だから、この時点から私は誰も信じなくなった。
そうするとひとつの疑念が生じた。以下は妄想であるが、この現地ガイドが実はスリグループとグルだったのではないかという疑念だ。なぜなら、もしもスリをすると想定した場合、現地ガイドと組む利点が大いにあるからだ。

スリをするには相手に隙があること、あるいは隙をつくることが重要である。それには警戒心を緩めさせ、意識を他のことに向けさせることが大事だ。
そのために現地ガイドは良い役割を果たす。まず、私のように観光客が安心してしまう作用がある。そして、観光地の説明や建物の説明などで話の注意を向け、ミスディレクションを引き起こすことができるからだ。さらには土地勘もあるから絶好のスリポイントに誘い込むことも容易である。観光客はまんまと心と荷物の懐を開け、スリの難易度は低下する。

そんな妄想を繰り広げながら、ホテルに着いた。ガイドさんがいないとチエックインは大変だからありがたい。

まだ部屋には入れないとのことで荷物を預けて市内観光に行くことにした。
そこから外に出ると私は警戒心を最高レベルまで高めた。妻がリュックを背負っていたから、それを守るポジションをさりげなくキープしながら、周囲への警戒を欠かさない。ガラスウィンドウの中の商品に興味を示す振りをして、ガラスを鏡に背後を確認したりする。
せっかく観光に来て、このような姿勢で街歩きをするのは損な気もする。しかし、何事も起こさないためにこうするのだ。ご理解いただきたい。
案の定ではあるが神経をすり減らす。ひと通りの観光地を歩き回ったが、疲れるものである。無理やり交感神経を高めるのだから当然である。

この時間は旅行をしていた中でも一番良い天気であった。

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時間があったので、美術館にも寄った。しかしあまり記憶がない。
相変わらず疲れていたし、限界を超えた後遺症みたいなもので、新しいことにチャレンジすることに臆病になっていた。
昼飯など飲食店に入って、注文のやり取りを英語で行うことさえしんどく思えた。それでもなんとかヘルシンキ地元のハンバーガー屋でごはんを食べることができた。

ホテルの部屋に入れる時間になったので、いったん部屋に入った。なかなかの高級ホテルらしくグレードの低めの部屋だったが、20畳くらいの広さがあった。
しかしこちらには暖房便座が流通していないのが残念であった。

今夜の食事はあらかじめ老舗高級レストランでのディナーが予約されていた。
これは我々が希望したのではなく、旅行会社が提案してつけてくれたものである。
良い物をつけてくれた。自分らでは行こうとも思わなかっただろうから、良い体験をさせて貰えたと感謝している。

そのレストランは、入口がわかりにくい。同じ名前のシアターがあり、最初間違えてしまった。
扉を自分の手で開けるタイプのレトロな雰囲気のエレベーターを使ってビルの最上階へ向かう。すぐにコートを預かってもらい、席へ通される。
なるほど、これは格の高いレストランだとわかった。落ち着いた雰囲気の中にピンと張りつめた品格が漂っているのだ。客は楽しみ、従業員も親し気に働くが、気の抜けない雰囲気だ。
さながらドラマか映画にでてきてもいい内装の店であった。なんでも著名な建築家アアルト設計のレストランだという。花瓶やらはフィンランドのガラス製品で有名なイッタラのものであった。料理も含めてフィンランドらしさを味わえる所でもある。

創作フレンチのコースが予約されていたが、我々はまさかのワインを飲まないという選択をする。向こうにとっては何しに来たんだこいつらと言った感じであろう。ソムリエなんかは仕事を一つ奪われたわけである。しかしそんなことは表に出さないプロフェッショナルな温かいおもてなしを受けたのであった。優しい人々であった。オレンジジュースはとても美味しかった。
そもそも私はアルコールを人生から排除することに決めたのであるから、いくら新婚旅行の高級ディナーとは言え、アルコールを口にするわけにはいかなかったのである。ワインを嗜み、ソムリエ殿とコミュニケーションしながら料理を楽しむ役は他の客に任せることにした。

とても良い夜であった。疲れやらなんやらで元気を失っていたが、ここで料理を食べ終えると、心が安らぎ少し元気になった。ものごとを楽しむ余裕みたいなものが回復してきたように思う。
店を出て、ホテルへ帰る道中、冷たい風に吹かれながらも、ふたりの心は幸福感でいっぱいになり、ヘルシンキの街中に溶け出して心地の良い気分であった。
やはり、元気のない時は美味しいものを食べるに限る。

時差ボケも修正されつつあったが、満足感と眠気で頭が火照った感じがしたので、とくに何をするでもなく寝ることにした。
ベットはふかふかで、この一連の旅でも一番ぐっすり眠れた夜であった。

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