私の不思議な体験

閉鎖空間は古典的な恐怖体験の温床である

これは新婚旅行で私の身に起こった本当の話である。

フライトが朝早くだったため、前日から空港隣接のホテルに泊まった。

部屋は十分な広さのあるツインルームであった。
ユニットバスの洗面所には何のために使うのかわからない受話器がついていた。
高級な良いホテルではあるが、年季も入っており、バスタブの黒ずみがやや気になった。

ホテルというものはどこも照明が薄暗い。
まあ、暗い方がリラックスできるのだから当然ではあるものの、どこか陰鬱さを感じるものである。

夕飯を済ませたあと、シャワーを浴びようと思った。
寝巻きをユニットバスルームに持ち込み、とりあえず用を足す。
便器ヨコのレバーで水を流す。
水が流れる音と同時に微かに電話の鳴る音がした。
最初は部屋の電話がなっていると思ったが、鳴り方は不規則であり、壊れた電子音のようにプツリプツリと鳴っていた。

バスルームの受話器が鳴っていたのである。

この電話に出てはいけないと一瞬で悟った。
こういう場合、受話器を取って耳に当てると、この世のものでは無い者の音声を受け、電気が消え、ふと鏡を見ようものなら、見えるはずのないものが見えると相場が決まっている。

そこで私は受話器を1度取り、耳にはあてず、すぐにもとに戻してみた。
それでも呼出音は鳴り止まない。それどころか先ほどよりも音量が大きくなり、コール音の間隔も早くなってきた。
まるで、いつまでたっても起きない人に対し、目覚まし時計の音が大きく早くなっていくみたいに、受話器は鳴りつづけた。

いくら煽られても、出るわけにはいかない。数々のホラー映画から学んだことである。
ただ、逆に出なかった場合の方が悲惨な結果になるシナリオも想定される。その場合、呼出音はプツリと止み、一時の静寂が訪れ、安心感がわずかに芽生えた瞬間、なにかしらの物品が破損、あるいは壁または天井が破壊され、物理的怪奇現象が発生し、異世界との交流が悲惨な形で幕開けるのである。

そんな事態にするわけにはいかないので、私は部屋にいる妻に助けを求めた。
妻も異変に気づいていたらしく、すぐにバスルームに来てくれた。
そしていったん受話器を取り、置いて、部屋の電話でフロントへ連絡しようということになった。
さすがに妻は冷静である。私はおおいに動揺している。

しかし、いくらコールしてもフロントには繋がらない。これだけ大きく立派なホテルなのにそれはおかしい。

つまり、異次元的閉鎖空間に連れ込まれた可能性を否定できなくなった。
この場合、全ての通信手段はなぜか遮断され、部屋のドアもなぜか開かず、異次元的何かからの攻撃を受けるのを待つしかない状況である。
そんな闘いを覚悟しつつも、どうしようもないのでバスルームの受話器をもとに戻した。
そうすると、もう呼出音がなることはなかった。

一応大丈夫そうだぞと言いたいところだが、大問題である。
私はこの後シャワーを浴びなければならないのである。

もはや古典的にやり尽くされた方法であるが、シャワー中に何かが忍び寄り、気配を感じて目を開けるとそこには、、、というパターンが想定される。
しかし私は立派な大人であるから、ちゃんとシャワーを浴びるのであった。シャワー中は何事も無かった。

そこで安心しきって、身体をバスタオルで拭いていると、扉がゆっくりと少し開いた。
おっと思わず口に出す。妻が何かアメニティグッズを取りに来たのか、シャワー音がやんだものだから、トイレに来たかと思ったが、それ以上扉は動かず、もちろん誰も入ってこなかった。

恐怖心が一気に戻ってくる。明らかに何者かの侵入を許してしまった。
バスルームから一刻も早く立ち去りたい私は、自ら扉を開ける。身体が半分濡れたまま、全裸で部屋に出た。

妻は驚く。私は事情を説明する。
妻はとにかく大丈夫だからとなだめてくれる。
しかし私の心は恐怖に支配されてしまっていた。

その日はもう何も起きることはなかった。

次の日の早朝にテレビが勝手に着いた。
もはや古典的すぎて、驚くのも馬鹿らしくなってしまった。

不思議で怖い体験であったものの、私にとっては忘れられない新婚旅行の思い出のひとつになったわけである。


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