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【出産】おどしている訳ではないのよ(苦笑)ー其の2ー

こんなお産、御免だわ(全員)

※あくまでも個人の体験談です。
 ただ、これを話すと『まだ自分はマシだったわ』と、安心(?)
 してくれる方もいるので、長くなりますが書きます。

其の1の続きです。

無痛分娩なんて、高嶺(高値)の花だったのよ…

・入院3日目

微弱な陣痛とバルーンが苦しくて、熟睡できず、朝食を食べる元気もありませんでした。
朝の健診でバルーンを抜かれましたが、子宮口が1cm開いたかどうか。。(なんですと!!)
取りあえず、昨日に引き続き、陣痛促進剤を点滴で入れました。
『昨日のよりも強い?』促進剤に強弱があるかは分かりませんが、昨日に比べて点滴の速度は早いような、、それでなのか、不自然な陣痛(?)が不規則に襲ってきて、苦しい。。
収縮の度に声が出てしまうので、陣痛室に移動することにしました。
そこでテレビを観ながら何とかお腹の張りと収縮の痛みを紛らわせていたのですが、健診の度に子宮口が開いていないと言われ、分娩台から降ろされて陣痛室で待機。
お昼ごはんも食べれず、ひたすら痛みを逃して、耐えて、うんうんと唸り続けていましたが、これが陣痛のピークでは無かった事に気付くのは先の先。
分娩台に上がる度に、『もう、子宮口開いてお産でしょ』と、思うが「子宮口が開いてないですね」と、降ろされて点滴の速度がまた早くなったような。。
医師の診察が終了する18時が1日の中での最後の健診。
もう、この苦しみから開放してくれ、、と、願っていましたが、子宮口2cmも開いていないっ!!
今日もお産は諦めましょうと、医師が不在となるので促進剤の点滴が外されました。

後から怨み節を言うなら、医師の都合でお産をコントロールしようとするなっ!!ですね。。

点滴が抜かれても、激しい陣痛の痛みは続き、夕食どころか、水分も取れない。

もう、この時には痛みが襲ってくる度にかなりの声をあげていたので、病室には戻らず、一晩を陣痛室で過ごすのですが、陣痛が始まって分娩台へ行く方達を何人見送ったか。。
なんて、気にもできないぐらい、意識が朦朧としている中で激しい痛みに耐え切れられず、「もう、無理っ!!」「苦しいっ!!」「お願いだから殺してくれーーーっ!!」と、一晩叫び続けました。

陣痛室が5階だったのですが、本気でそこから飛び降りようとしました。(本気と書いてマジと読む)

しかし、自力で動ける事ができず、立ち上がることもできなかったので、「殺してくれーーーっ!!」「殺してくれーーーっ!!」と、叫ぶばかり。

旦那と実母が朝から付き添っていたのですが、旦那は私の姿に見るに耐えなくなり、睡眠を取らないとてんかんの発作が出るからと翌朝来るといって20時頃には帰ったそうで(覚えてない。後から聞いた話)、朝から最後まで付き添っていたのは実母でしたが、ナースステーションまで叫び声が届いていたらしく看護師さん、助産師さん、実母も『こんな苦しむ人がいるか』といった感じで、次第に疲弊していくのでした。

助産師さんから「いきまないように!」「目を瞑らないように!」「力を逃して!」と、声を掛けられていたような気もしますが、ムリムリムリ(ヾノ・∀・`)

産科の医師がいないので、どうにも対応する事ができず、放置!…は、言い過ぎか。

それでも、あまりの酷い光景に真夜中には麻酔科(?)の当直医から錠剤の痛み止め(?)を貰って飲むが、効きやしない。

叫び疲れと色々な疲労で、陣痛の波が引く度に気絶していました。

鼻からスイカ?手の指を切断?
比喩は比喩でしかありませんな。自分は一択「殺された方がマシ」

こうして、皆が疲弊しながら入院4日目の朝を待ち続けるのです。

書き出すとペラいなー表現力の無さにガッカリだけど、痛みに耐えて偉いね。とか、要らないから。
出産は、あくまでも過程に過ぎず、大事なのはその後の子育てだ!!
母親が元気なかったら、赤ちゃんのトラブルにも対応できないです。

痛みに耐えられなそうと不安が少しでもある方は、家族と医師、助産師さん達と相談して、出産の在り方を相談するのがいいかと思います。
出産は、陣痛だけじゃなくて、子宮口も開かないと分娩できませんから。
子宮口開くのを待って、陣痛を長引かせるのはお勧めしたくないです。はい!

痛みに耐えたからといって、その後の育児がうまくいくというものではないのですから、出産は、通過儀礼!どう迎えたいかを選ぶのも大事だと考えるんですよね。個人的には。

……そして、続きます。

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