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死に向かうという事。

オトンが終末期になって。死について考えるようになった。
ヒトは必ず死ぬ。

その上で、どうあるか。
自分自身は元より、家族がどう受け止めるか。接するのか。

下り行く坂の途中で

うちのオトンは今までに何回か死にかけている。
最初は脳出血。ICUで意識なくただ眠っている姿を見たときは、本当にどうしようかと思った。
その後は回復していくので「此れは家族が纏まるいいチャンスだ」と思ったけど。

次にリハビリテーション病院。
誤嚥性肺炎を繰り返し「このままここで死ぬのかな」と覚悟した。仲の良い親戚も駆けつけてくれた。
結果、元いた大学病院に搬送され肺炎は回復して自宅にて在宅介護をしていく。

在宅になっても何度か肺炎っぽくなった。
夜中に救急車を呼んだ事もある。
その結果、常備薬として肺炎の薬があるし、救急車を呼ぶことにも慣れた。

いいのかわからないけど「何かあった時」に身体が動く様になったと思う。

此間もうちの近くで座り込んでいた人のために警察に電話した。
何でか判らないけど「ご一緒に救急車も如何ですか?」と言われたのにはビックリしたけども。


日々近づく終焉の時

今はオトンが死に向かって弱っていく様を淡々と観察している。
うん、観察、と言う言葉がしっくりくる。
別にデータは取ってないけれど。

夜中咳き込んだり、トイレに連れていく様がシステマティックになり、ちょっとずつ出来ない事が積み重なっていく。
意思表示も出来なくなっていく。
飲み込みも悪く咳き込む、うがいの力も落ちていく。。。。

オカンのこと。

そんな状況をオカンは「理解しない」
日々悪くなっているのを感じてはいるのだろうか。。。
オトンの飲み物にとろみをつけるのが濃くなっているので、理解してると思うけど。
でも前と変わらない接し方をする。リハビリテーション病院の時は近所の葬儀屋に値段を聞きに行ったり。

最近の事

今日、いつも来て頂いている訪問医療の先生にオトンの状態を聞いてみた。
食道がんの末期なんだけど、それに老衰が混ざっている感じの様。
ある日、老衰に食道がんが乗っかって一気に落ちるみたい。

まあ、起き上がれなくなったら一気におしまい、かも。
そんな心持ちでいる。

まとめ。

最初にも書いたけど。
ヒトは必ず死にます。生き物なので。

その最後の時をどう迎えたいのか。
ご本人もそうですし、周囲の家族はどうなのか。

自分はどう看取りたいのか。

家で看取るか、病院がいいのか。
介護できるのか、お金は大丈夫か。

様々なことがあり「ベストの答え」は難しいかもしれません。
でも、色々考えて自分の中で「これでいこう!」という気持ちになれるといいですね。

後悔が残らないように。

おまけ。

さて。
モヤモヤした気持ちを人に話すことで、考えがまとまったり覚悟が定まったりします。
でも、自分の話しをただただ聞いてくれる存在は中々いないもの。

そんなお困りの方向けに「お話しをきくお仕事」をやっています。
あなたの「良い明日への一歩」を踏み出すお手伝いをさせてください。


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