「編集者」とは何か?を意識することになったので、ものすごく久しぶりにnote書くことにした話。
久しぶりに会ってランチした友人に、
「私の思いを文章化する作業を、手伝って欲しい。」
「あなた文章を書くの上手だから。」
と、言われ。
そのように言ってくれる友人が身近に1人でもいることは大変ありがたく嬉しいことだ!と思いつつ、
しかし…
「あなた文章書くの上手だから」と、言ってもらえるほど、私って文章、上手だっけ?
と、急に不安にもなり……
(本業はパズル教室運営者)
何ならこのところ、自分の文章を否定され続ける半年間を過ごしており……
(詳細はまたあらためて)
気づけば相当長い期間、いろいろあって「文章筋トレ」をサボっていることを自覚し……
(最後の更新は2021年2月)
ものすごーく久しぶりに、戻ってきましたnoteの世界に!!
やはり「note毎日更新」に勝る、文章力の強化法は無い!と思うので。
ただ、よくよく考えると、
彼女は私に「文章を書いて欲しい」と言っているのではなく、
「文章を書くのを手伝って欲しい」と言っているわけで。
つまり、著者ではなく、「編集者」としての役割を、私に求めていらっしゃる。
ちょっと待て。
「編集者」って、何だ!?
……と、あれこれ悩んだので、その記録をここに残しておきたいと思います。
※私は編集者という職業の仕事内容そのものはよくわかってない人間です。夫が編集経験者なので、漠然としたイメージがあるだけです。
まず思い出したのは岸田奈美さんのこのnote
もう、これ読んでいただければ、私、何も書くことないのですが(汗)
長いので要約しますと。
ご自身の文章が引用され作成された難関中学の入試問題を、作者である岸田さんは全く解けないのに、編集者である佐渡島さんは、ほぼ模範解答な答えを書くことができた、というお話。
ここから岸田さんは、「編集者」の仕事について、
その文章の「最初の読者」として、
「書き手の言葉が、誤解なく、読者に伝わるかを徹底的に考えること」
「伝達のエラーをできるだけなくして、作者と読者をつなぐこと」
ではないか、と、考察を深めていらっしゃいます。
なるほどなるほど…
つまり私は、友の文章が、誤解なく他の人々に伝わるように、アドバイスをすれば良いわけだ。
なるほどなるほど…
ピアニストの思いを文章化するには
で、その、私の友人は、いったいどんな文章を書きたいのかというと……
ピアニストとして、ピアノ教室運営者として、
音楽への思い、音楽教育への思い、
を、
形にして、多くの人々に伝えたい、
そのために文章にまとめたい、
とのこと。
彼女はすでに、「演奏する」という自己表現手段を持っており。
ゆえに「文章を書く」という手段での自己表現は、得意ではない……と、自分で思っている(たぶん)。
結構いい文章書いてるのになぁ、と、彼女のピアノ教室のチラシ文章など見るにつけ私は思うのですけどね。
そして、ピアニストであるがゆえに…
「演奏会で演奏できるようなクオリティまで仕上がっていなければ、人前でピアノを弾くことはできない」
と考えるのと同様に、
たとえブログとしてネット上に文章を公開するだけだとしても、
「一定レベル以上のクオリティに仕上がった文章でなければ、公表してはいけない」
と、考えていそう。
いやそんなことはない…
そんなことは、全然なくて、ネット上には星の数ほどの駄文が溢れているのだ……友よ……
……と、彼女の周辺で誰よりネット上に駄文バラまいてる自覚ある人間として思うわけですが(汗)
しかしnoteの「投稿」ボタンを押す時の、「えいやーーー!」と気合いのいるあの感じは、とてもとてもわかるので……
彼女が慎重になる気持ちも、痛いほどわかるのです。
私が彼女の傍らで常に考えておかねばならないのは、彼女が「人前で演奏する」のと同じぐらいの心意気で文章を仕上げようとしている、ということ。
この部分への理解が、彼女の文章の「編集者」となるなら、必須の心得であるような気がします。
音楽の知識ないけど大丈夫?
ところで私自身は、音楽の基礎知識はほぼ皆無。
中学校の時に吹奏楽部だったから、辛うじて楽譜は読めますけど…程度。
そんな人間が、ピアニストの書く文章の編集者になるって、可能?不可能?
音大卒で、留学経験もあり、社会に出てからずーっと音楽の力でメシ食ってきた彼女が、文章を書くとして。
全力で音楽理論の話…とかに、なっちゃったらどうしよう。
そうなったら、今の私に何ができるのか?という不安。
しかし、彼女の目的は、「音楽のことあんまりわかってない人に、音楽の素晴らしさや、音楽教育の意義をわかってもらいたい!」ということなので……(たぶん)
むしろ、おもいっきり素人な私が、読んでわかるかどうか?という視点を持てることの方が、価値ある気がします。
じゃ、まぁ、この件は、ひとまず問題なしということで(笑)
磨くべきは、むしろ「文章力」より「質問力」?
と、ここまで考えて、「私自身の文章力をまず鍛え直さないと!」というそもそもの出発点が、そもそも大間違いであることに、自分で気がついてしまいました。
なんてこった。
私自身の文章力など、むしろ、どうでもよくて。
いかにして、彼女の思いを理解するか?
いかにして、彼女の「書きたいこと」を引き出すか?
……の方が、よほど重要で。
あれこれ引き出した上で、それを「誤解なく他の人々に伝わるような形」にしていくのを、手伝えばよいのかな、と。
それこそが、「彼女にとっての編集者になる」ということなのではないかな?と。
となると、私に必要なのは、「何を伝えたいの?」を、引き出す力=「質問力」なのでは?
小学校の授業において最も重要なのは、「発問」であると言われています。あ、一応、私、小学校教諭一種免許状取得者です(もう失効してるでしょうけど)。
例えば、「バスの運転手さんの仕事について学ぼう」という学習内容があったとして。
「バスの運転手さんは、どんな仕事をしているのかな?」と、子どもたちに問いかけることから授業を始めるのは、教育実習生レベル。「バスの運転の仕事をしている」で、話が終わってしまうから。
プロフェッショナルな小学校教師は、子どもたちに、こう問いかける。
「バスの運転手さんは、『どこ』を見ているのかな?」
当然、前を見て運転しているけれど。
乗降時には、乗客の動きとか表情とか、運賃箱とか、バスの中にたくさんあるミラーとか……
実はいろんなとこ見てお仕事していて、単純なバスの運転に留まらない複雑な業務であることがわかるのです。
「どこを見ている?」という発問をきっかけに、子どもたちが多角的にあれこれ考え始めることが重要である!という話。
ちょっと話がそれましたが。
「思い」だったり、「思考」だったり、その人の頭なの中にあるモヤモヤ〜っとしたものを形にするためには、良い質問をする質問者がいると良い!
それもまた、「編集者」の重要スキルではないのかな?と。
それならもういっそ、私が彼女にインタビューする→それをレポート記事にする、という形にすれば良いのでは?という気もするけど、それだと文章化するのは結局私になってしまい、彼女の文章として世に出すのとは、またちょっと違う気がする。
……ので却下。
ということで。私が彼女の文章の「編集者」たるにあたり、彼女が文章をまとめていく時に手がかり足がかりとなるような、「良い質問をする」ことを、心がけの1つとしておきたいと思います。
やはりnoteで文章を書くと良い
……で、結局、文章力を鍛え直すつもりでnoteを再開してみたけど、「それは別に今は必要ない」という、一周回ってナゾな結論に到達し、いやいや、これ、このあとどうするの?みたいな展開になっておりますが(汗)
しかし、こうして書き始めてみることにより、「質問力が大事では?」という、この文章を書いてなければ辿り着けなかったであろうところに思考が到達したわけで。
それはもう、十分に、価値のあること。
過去に2度、note毎日更新に挑戦し、それぞれ100日を少し超えるぐらいのところで挫折してますが……
いずれも、「書いてるうちに、予想外の思考や結論に到達する」ということに、結構な確率で、なってました。
そしてそうなることにこそ、価値がある!と、今、確信を持って言うことができます。
文章を書くことにより、確実に思考を深めることができるので。
ゆえに、友人にもぜひ、「とりあえず文章を書いてみること」をオススメしたいし、「書くことで思考を深める」経験を、音楽活動に差し支えのない範囲でたくさんしてもらいたいなぁ、と思う次第。
それ、全力で、お手伝いするよ!と。
そんなこんなで、本日はこれにて。
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