逃げること、のすゝめ
自己紹介を除いて初投稿がこの内容かい!とツッコミが入るのはわかります。でもどうしても今、こんな状況だから書き留めて置きたくて。
明確な治療法が定まらない病の第3波がしっかり足音を立てて近づき、改めて人との距離が遠のいてしまうことに恐れをなしているのはわたしだけではない、はず。
文字通りすゝめ、となるかはわかりませんがこんな奴でも生きているなら私(わたくし)も、と思って頂けたら幸いです。
ステイホームで良くも悪くも己と向き合うことが増え、自分の心の真ん中にあること、それが鮮明化されてプラスに動ける人は勿論すばらしい。尊敬します。実際私の周囲もそんな人ばっかり。
でも反対にどすぐろさが浮き彫りになってしまう方もいるのではないでしょうか。世界、世間、周囲もあるけれどいちばんは自分に対して。私はそうです。考えることがすきなため様々なことを考えては、ぐつぐつと。中身が沸騰したあとも加熱し続けてしまう。
私にとってはそれを肯定する方も提言して下さる人もいたのが救いだったのかもしれません。まあ周りに恵まれているといった類のやつです。
それでもどうしようもなくなった時に何をするか。
逃げます。
…冗談ではなく本気です。(学生時代物理的に場所を移す、という逃げ方をしていたこともありましたね、、はは)
世界から、周囲の環境から、そして自分から逃げます。方法としては趣味に没頭する、寝る、食べる、旅行する、人と話す(話をひたすらに聞いて下さる稀有な方、と前提が入りますが)など。その時々によって変わります。会社や学校を休む、などは肉体的な物もありますかね。
毎年毎日毎時間毎秒逃げるわけではなくても人様世間様のご迷惑になってしまうことには変えられないことも大なり小なりつきまとってきます。罪悪感に支配されることも多くあります。(これが逃げること=悪とされてしまう所以でもあるかと思います)私はつよくないので逃げることに対して頼りすぎてしまっているのかもしれません。自分に対して駄目だなあと凹むことも日常です。でもわたしが生きるためには必要なこと、そう言い聞かせています。そうして今を生きさせてもらっています。
そんな中で、自分のきもちが整理されてすっきりとしていくような(それに時間がかかりすぎる時もあるのがいまの私の課題です、、)、後ろ向きながらも前を向いて歩いていけるのだと私は感じています。恐ろしい程の多趣味人間だったのもプラスに作用していたかと思います。(このお話はまた、後ほど)
逃げることは、ウィークポイントではないと思います。自分が自分であるための単なる手段だと、私は考えています。
かなしい出来事が目につきがちですが、その中ですこしでも多くのひとが生きやすい世の中に、と綺麗事を述べるつもりはありません。が、ほっとできる場所がひとつはある、そんな空間をもてるように私も周りに対して、そして自分に対しても誠意をもって接していけたら、と。
〖小噺〗
逃げるは恥だが役に立つ、漫画原作の連ドラが放映された際に題名の由来がハンガリーの諺というのはチラッとでも当時、話題に上がったのでしょうか。(まあガッキー含め女性陣がかわいすぎるのでそれだけで見る価値アリだったかと思いますが)本当の意味をすとんと理解してくださる方が増えたらもっとステキな世の中になるだろうなあとぼそっと呟きます。ガッキーも真野ちゃんも石田さんもだいすきなので正月スペシャルをたのしみにしながら。
さあ、今日も生きますか。
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