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【育児日記】 私は東大に興味がない

こんにちは。

1歳8ヶ月の娘ともうすぐ生まれる胎児(?)を育てている痲-ma-です。

私は生粋の本の虫なので、kindle unlimitedを愛用(?)しています。読みたい本をKindleで購入しつつ、あるテーマについてざっくり知りたい時はunlimited本の同テーマの本をまとめてザクザクと読んでいくというスタイル。そうすると、一人の著者の意見に左右されずに、大局を捉えることが出来るのでおすすめ。


さて、Kindle本で教育系の本を探していると、とにかく多いのが「東大に受かる子どもの◯◯な習慣」とか「東大生を育てた親の子育て法」とか。類似するもので、ハーバードなんかも良くある。

とにかく冊数もレパートリーも多い「東大」関連書籍。これは裏を返せば、それだけ東大に子どもを入れることがすごいことで、一種の憧れで、タイトルとしてキャッチーだと言うことだと思う。

しかし、私はこの手を本を見ても正直「読みたい!」「気になる」とはならず、興味も惹かれない。それは何でかしら?と思ったのでまとめてみることにした。



トップオブトップに興味がないのかも

そもそも東大というと、日本においてはトップオブトップ、つまり大学の中では誰もが認める「一番」の大学です。だから、東大に受かったとか、東大生をというだけでそのトップのエリートであるイメージがあります。

そして、そういったイメージに対して「すごいなぁ」とは思いつつも、私個人としてはそこまで興味がないのだということに改めて気づきました。もちろん、大前提として、東大やハーバードなどの超名門に入るだけの人はすごい努力をしたはずだし、尊敬はしています。あくまで個人の興味関心という意味です。

そういえば子どもの頃、私は中学受験をしたのですが、志望校についてもレベルを全く気にしていませんでした。私が選んだ学校は、校舎に一目惚れした学校です。笑 制服でも校風でもなければ、そこに通ってる人たちでもない。なぜか、校舎。

そこに行きたい!と決めて、持ち前の過集中で6年生になってから急に躍進を遂げたので、塾の先生達は「このまま行けば御三家も狙えるよ!志望校を御三家に変えよう!」と説得されました。が、当時の私は全く聞く耳を持ちませんでした。今思うと、先生泣かせの生徒でしかない。結局、自分が気に入った学校をそのまま第一志望に据えて、そこに進学しました。

この傾向は、結局大学院選びまで続くことになりました。私はアメリカの大学院を受験し、進学しました。その際に、学部時代にお世話になった教授には「将来研究者になるのであれば、修士・博士課程はなるべくレベルの高いところを選んだほうが良い。出来る限りivy leagueを選びなさい」的なアドバイスを受けました。

が、私が結局進学したのは、ivy league ではありませんでした。(一応レベル的にはギリ準じてはいるけれど。そして、今研究者にはなってないので、それすらも宝の持ち腐れ感。)

好きかどうかで決めがち

私はものを選ぶ基準が多分人とズレている。自分にとってのこだわりポイントがあって、それが満たされてなければトップであってもなんでも、興味はない、という極端さがある。

そして、そのこだわりポイントというのは結局のところ、自分が好きかどうかという部分に集約されているような気がします。多分、そういう世間知らずな部分があるので、世間一般からみて「この人は本当にもったいないことしているなぁ」と思われてるんじゃないかと、たまに思う。

自分で言うのもなんだけど、私はなかなかに恵まれたものを持っていたりする(自己肯定感アゲアゲ人間か?) 。しかし、その活用があまりにも下手すぎる。

ちょっとだけ、自分の「好き」とか「個性」とかを社会に沿うように調整することが出来れば、例えば簡単に高収入の仕事が決まったり、誰もが認めるエリートになれたり、その他色々と皆が羨むものを手に入れることも出来る気はしてる。あくまで、推論ではあるけれど。

しかし、周りの人でそういったものをやすやすと手に入れている友人知人を横目で見ながら、時々ちょっぴり羨ましいなぁとも思いながら(羨ましいと思う程度の良識?はあるらしい)、それでもなんだかんだで今の自分で幸せだからまぁいっかと思っている。

そんなポンコツな部分も含めて、自分であることを気に入っているというか。ある意味ナルシストなのかもしれない。


ニッチを攻める方法もある

そもそも、どうしてそういう人間になったかと言えば色々と理由はあるのだけれど、一番は「注目されるのがとても苦手」というのもあるような気がしている。

私は、子供の頃やまだ若い頃、割と本気で「透明人間になりたいな」と思っていた。

自分という存在を他人から認識されなくていいから、色んな世界を見聞きして、吸収したいなと思っていた。人に注目されてしまうと、途端にストレスを感じてしまい塞ぎ込んでしまう。人に気づかれないくらいの目立たなさで、自分は自分のやりたい事に集中させてもらえてれば、それが幸せだった。

人からの印象として、良くも悪くものび太タイプの雰囲気だったので、見くびられがちというか、あまりに注目を集めないタイプだったのは幸いだったなと思います。誰も私の事を最初から注目しない。目をつけられない。

そのおかげで、自分得意分野だけが突出していったので、結果ニッチな世界では認められるような人間になった。そもそも、興味関心も世間一般とはちょっと(大分)ズレていたから、それを好き勝手やっていただけで自然と唯一無二になっていった。

唯一無二でいるということ

狭い狭いフィールドで、唯一無二になるという戦略を自分でも気付かないうちにとっていたようです。それは、競争を勝ち抜いてトップになるのとはまた全然違う道だと思う。なかなか一筋縄には行かないし、理解されない事も多い。途中、道がそもそもなかったりするので自分で開拓する必要があることもある。

でも、自分の性質的にはこういうやり方が合っていたし、自分の幸せという軸で見ると、このやり方で良かったなぁと思います。

自分の子どもの教育法、勉強や学びの習慣について考えるにあたって、私がやってきたやり方って果たしてどうなんだろう?という事を最近は思ったりもします。万人向けのやり方ではない気がするから。

子どもたちの素質として、「東大の〇〇」系の本を参考にしたほうが本人としては向いている可能性だってある。だから、そういうのも含めて知識として入れておこうとKindle本をダウンロードはしてみたりする。

しかし、どうしても興味が持てずに積ん読になっているのが現状です。

今はまだまだ子どもが小さいので、今後どういうアプローチで接していったり、勉強のサポートをしていけばいいのかというのはまだまだ未知数。もしかしたら、実際に子育ての中で課題に直面した時に「読まねば!」となって一気に読み切ってしまうのかもしれない。

とりあえず、その時はその時ということにして、今はまだ、私流のやり方でちょっくらやらせていただこうかと思います。きっとそのうち、自我がどんどん芽生えてきて、私流だなんて言ってられなくなるのだろう。

おわり。


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