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哲学とか人生よりも、目の前の出来事とどう付き合っていこうか

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2020年4月読書メモ

リモートワークスタートし2ヶ月が経った。外出が規制されている分、夜、夕食を食べた後や、土日の夕方などに本を読む時間が増えた。もともと本好きではあるが、図書館で借りて2週間で読んで返すを繰り返していたので、自分で購入して積み上がった「積読本」が捗っていなかった。

図書館行けない、本がある、時間もあるぞ。
そこでやっと「積読」に目を向けて消化しようというところ。

とはいえ、この「哲学の先生と人生の話をしよう」は、3年ほど前に図書館で借りて読んでたんだから積読ではなく再読になるのか、、読んだのを忘れてて購入してしまった。けど結果、時間越しで読むと違った味わい。

哲学ってこんな風に「実践」するんだ

「哲学」って聞いたら、デカルトの神の存在証明とか、フロイトの無意識研究とか、ちょっと難しそうな言葉が並ぶので理解するのが難しい印象がある。(とはいえ嫌いじゃない) それゆえ、理論ぽいところがある。

そんな中で、國分功一郎さんの書く文章は日常に近しいエピソード・実体験として共感できる気持ちを取り上げて解説してくれるのでものすごくわかりやすい。「自分の日常に馴染む」のだ、実践的だと思う。
(「暇と退屈の倫理学」は25才に読んで衝撃を受け、大好きになった。)

哲学の先生と人生の話をしよう」も、よくあるだろうなーという相談事に対して哲学の思考や引用を元にお便りを書いていて「わかりやすい」。

相談事が「=自分」と重なる事は1つや2つは必ずあるから、自分の過去の悩みと比べながら、「自分だったらどうしただろうか?」「自分もこんな気持ちになって悩んだことがある」と、日常のシーンがどんどん浮かぶのだ。

そうゆう意味で、哲学は 自分だけでは行きつけなかった視点を与えてくれる多様なメガネ という感じ。(実際実践となったら、簡単ではないこともお多いけど)

自分の話ばっかりする人

そうそう。相談へのお便り読むと、この言葉がよく目についた。

「というか、この相談から相手のことが何も想像できません。結局、あなたは自分のことばっかり話してますよね」

語られない相手の細部。それはつまり、語り手が「自分のこと」ばかりを考えていることを表している。相手のことを考えてたら、自然と語られてくるはず、でしょう?と。 相手への無関心と、相手への歩み寄りのなさを指摘してることも多かった。哲学以前のことやんとも思ったけど、自分自身若い頃(今もあるかも)自分の事ばかりの時期もあって 振り返る

大切な事は「何を言わなかった」か

本の最後に、あとがきとして書かれていた一文がとっても印象的。

何を言わなかったのか?

語られた言葉よりも、語られなかった言葉の方にこそ大切なものがあると。目に見える、耳で聞こえる事をそのまま受け止めてはミスリードすると。

この言葉に対して、漠然と大事な事だと思うんだけれど。まだ「あー、そうだな」と思えるところまで自分の中で発酵されてない。

が、なんかこの一文がずっと気になる

「あの人は、何を語らなかったんだろう?」