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9割が空き家の自然あふれる地域でリトリートに浸かった体験を振り返る


死は、生の中に息づいている。


こんな人へ向けて書いています

・「人生の切り替え」を目的としたリトリートに興味がある人
・山梨県の芦川地域に関心がある人
・ライフコーチが自分自身の人生に向き合った所感を知りたい人
・まーのこれまでとこれからの物語に関心をもって下さる人

非日常の旅路は、人生のギアを変えてくれる


こんな人が書いています

川の字で寝ようと配置をしても毎晩あらぬ位置に転がっていく1歳半の息子と、これまでの人生の意味付けを捉えなおした妻とともに、群馬県に暮らす33歳の話好き。

『人の命に苗を植える』を存在意義として掲げ、この表現としての天職の創造に挑戦中。

自分自身の命が願う生き方に気付き、暮らしに織り込む構造づくりを支援しています。要するに、あなたが生きたい居場所への中継地

世界に居場所が増えたなら、僕らはもっと自由に生きられる。

この自己紹介の質感も変わってきました


初日の体験に関する記事

一日目を終えた翌朝に書いた記事。

日常から離れてみて驚いたのは、古民家の中でも、外を歩いていても、圧倒的な「イマココ」にいる体感だった。

樹々の生命力に圧倒されて

初日に出会った巨大な樹々の幹を再掲。生命力がド迫力。


初日の散策で山の中の寺社へと向かう道すがら、とてもとても大きな樹々に出会った。

何本もの大きな幹。思わず抱き着いてしまう観光客が多いのだとか。


僕は掌で触れただけだけれど、大地に根差した圧倒的な質量は、経てきた年月の長さと、命の時間の雄大さを感じさせた。


大木の在り方は、力強いエネルギーと、落ち着いた静けさとを両立していた。僕が望む自己像と重なるものを感じ、写真を何枚も撮った。


僕の現在地(初日当時)

自分の「仕事」を「時間」と「意識」のサイズをふまえて表現。


初日にまず描いたのは、自分自身の現在地だ。「仕事」をA4の紙1枚に表現する。

このとき、紙のスペースの使い方は、実際に時間をかけているもの、自分の意識の多くを占めているものをふまえて描いて欲しい。


青いペンで左下から書き始めた。

僕の関心は、子どもから始まった。

真っ先に出てきた僕の仕事は、「おむつ替え」だった。


日々、子どもと接する中で必ず発生する、暮らしのための仕事。食事・排泄・睡眠・衛生・情緒・安全。

人を養育するために気にかけるあれこれを書き出しおえて、次へと進む。



次に描いたのは右上だった。休職中の僕の今の多くを占めるのは、やはり「休息」である。

中でもサウナが意識を占める割合は大きいなと思った。僕の中で「真の休み=サウナ」という図式が出来上がりつつあるのだと思う。


他に、意識的に(強制的に)休むための誘導瞑想だったり、意識を遮断するためのアイテムとしてのアイマスク、寝ること、気分転換と運動を兼ねた散歩など。

一旦組織人としての活動は全停止、ということで、「忘却」。今は考えないことが仕事だ。



3番目に書いたのは左上。

物語を、取り込むことだ。

文字や音声を問わず。漫画やゲームも含めて。

僕はこのインプット活動に、物語の接種をする意味を見出している。



最後に書いたのが右下。

このnoteを含めて、日々の表現活動をし続けている。

そしてコーチ業だ。


最近はセッションをすること以上に、自分の人生に向き合い、質感を捉え、表現し、この体感をもとに人と交流することのプライオリティが高い。


セッションは決まった少量の時間、全身全霊で望むスポット的で特別な場だが、それ以外の圧倒的多数の時間、僕は僕の人生を生きている。


「セッションとセッションの間の時間に価値が生まれる」ことを信じているし、そのことをお客様にも伝えている以上、僕自身もそれを体現している、ということだと捉えている。


僕が提供しているものは、「セッション」単体でも、「まーとの対話」でもなく、僕との関係性の総体だ。


そこに、「僕の人生」を語る活動なくしては、成り立たないと思っている。僕の価値の一番の源泉だと捉えている。


ざっと書き終えたあと、「特に大事だと思っているものはどれだろう?」と思案して、オレンジ色の丸をつけた。



そして、こんな風に時間を使うことに没頭させてもらえているのは、妻のおかげだな、と気付かせてもらった。



これを他の参加者の方々と見せ合って、フィードバックをし合う。僕が気付かせて頂いたのは、「暮らしの中で、生と死を繰り返している」という構図だった。

左下と右上を行き来している。

すなわち、子どもの生を育み、自身は活動を停止し、死ぬ。

その生と死を行き来しながら、物語を摂取し、自身の人生を吐き出している。そんな構図が立ち表れてきた。



生の中に、死が息づいていた。




自身を象徴する自然物

鹿の角のような、雄々しい枝。生と死の象徴。


個々人で芦川の自然の中を散策しながら、「自身をもっとも表す自然物を拾ってくる」ことになった。

僕が拾ってきたのは、樹の枝だった。


頭の中にずっとあったのは「生と死」という言葉であり、それを反芻しながら歩いていて、ビビッときたのがこれだった。「かっけぇ。。。」と思った。


この枝を持ち上げた瞬間、自然と笑みがこぼれた。いたずらっ子のような、周りの反応を楽しみにするような感情だ。面白くなってしまった。


この枝をもって帰る道すがら、矯めつ眇めつ眺める。節々に穴があいている。乾燥している。もしかして何か虫が棲んでいるかも?なんだか菌類が繁殖しようとしているかも?


この枝自体は死んでいるのだろう。でも、かつて生だったこの枝は、これからを生きようとする生の苗床となる。


生と死の同居。


そして、鋭く長く伸びている枝をみて、僕のこれまでの「盲目的な成長欲求」の発露を感じた。

尖っているのは、自分の身を護るための武装のようにも感じた。


そして、そのように生きてきた僕は、死んだのだ。

でも、死してなおその形は、硬い構造は、遺った。


ここに息づくものはなんだろう?



そんなことを考えていたら、宿に戻ってきた。

戸を開ける。

目を丸くする主催たちの顔を見て、なんだか嬉しくなった。





手放したいもの、終わろうとしているもの


人生の未完了。

今、終わろうとしているものはなんなのか?

何を、終わらせたいのか?


翌日の問を聴き、僕の中に浮かんできたこと。

それは、「はたらく」ということだった。

「はたらく」ことが、僕の中で終わりを告げようとしている。


もっというと、ファイナンスのための、タクシージョブ的な、生活を成り立たせるための糧を得る、という役割の終わりだ。


妻が働き始める中で、暮らしを見直している今がある。

一家の大黒柱がスイッチしても、なんとか暮らしていけるのではないか?ということに、妻と日々向き合ってもいる。

それは、一つの選択肢であり、決断はまだまだ先のこと。

それでも、あり得る未来の一つ、という感覚だった。


このリトリートに来て、この問に触れて真っ先に浮かんだのが、このことだった。


ただ、その後参加者とともに話していく中で、様々に話が拡がった側面もある。

自身のもっとも「価値を創れる活動」を、僕は人との対話である、と信じている。その活動を活かして生きる道を模索することが、「はたらくを終える」前段にある未完了なのではなかろうか?


その天命を、果たして全うしているだろうか?


そんなことを、話していた。

何が終わろうとしているのだろう。何を、終えようとしているのだろう。




埋葬

僕の、墓標。蒼く息づく花々の中に立てた。

手放すものを決め、自身の象徴を埋葬することとなった。

「拾ってきたものを埋めてきて下さい」

再び芦川の自然へと繰り出す。


台風の影響か、雨が降り出していた。

僕は前進を雨合羽に包み込み、一目散に道を歩いていた。

「元あった場所に戻そう」

そう考えて歩んだのだが、辿り着いた場所をあらためて眺めてみて、なんとも味気なかった。空き家と、そのゴミ捨て場のような庭。

ここには、死しか無いように感じた。

僕を埋葬する場所としては、時間が終わってしまっているように感じた。


そこで方向転換をして、更に山の中に入っていく道を登る。

そうして見つけたのが、小さな青い花の群生地帯だった。


ここには命が息づいている。

日当たりもいい。

立てかけられそうな、まっすぐに枝が立ちそうな場所もある。


迷わずここに決めて、墓標を立てた。

そして手をあわせ、目を瞑り、拝んだ。


僕を象徴する、僕の墓標。

既に死んだ樹が、新たに生の苗床となる場所。

命に囲まれ、土があり、日が注ぎ、雨に濡れる場所。


さようなら、これまでの僕。




生と死

代わりに持ち帰ってきたのは、生を象徴する命。


代わりに、名も知らぬ青い花を持ち帰ってきた。


接ぎ木とまではいわないまでも、葉の数枚と茎が残っていれば、新たな生育環境でまた生きられるのではないか?そんなサイズの花を持ち帰った。


随分と小さくなった僕の新たな象徴。

たくさんの刺々しい枝はなく、大切なものを包み込むかのような形状に、何を抱え込んでいるのだろう?と想いを馳せる。


僕の最小限は、どこで再び生きることができるのだろうか?



インプロ

参加者たちと、身体を動かす。

前の人の動きをリレーのように模写しながら、思い切って全身で動く。

ただマネするだけにとどまらず、新たな動きを加えたり、ガラリと変えたり。

そんな連鎖をひとしきり繋げた後に課されたお題。


『マンゴーの寝室』


僕ともう一人が出した単語を組み合わせてできたこのお題。

「まるで目の前にそれがあるかのように、表現を加えていきましょう。前の人が既に表現したものをなくすのは禁止です。」


絨毯だったり、天井だったり、アルコールだったり、テーマソングだったり。

次々に口にされる情景描写を聴きながら、可笑しくなりながら、どんどん付け加えていった先に、同じ景色を見ている感覚が繋がっていった。


マンゴーの寝室は、確かにそこに存在していた。



理想のお葬式

粘土で描く、自分の葬式の光景。


粘土をつかって手を動かした。

テーマは「理想の葬式」。


葬式のイメージなど持ち合わせていなかったので、とにかく気になる粘土をてにとることにした。

青色が綺麗だったのでそれを拡げておいてみた。


いじっているうちに、「樹を創りたい」と思った。

茶色い粘土で幹をつくる。立たせる。

その上にのせる葉と花を用意して、くみ上げていく。

自重にたえられず、樹があらぬ方向に歪む。

それを補強しながら、自立するように創り上げた。



みどりと、オレンジと、桜色。

これは、僕の屋号「tomarigi」のロゴカラーである。


癒しと、活力と、こまーの名前だ。


羽を休めて、力をつけて、また飛び立つ。

そんな居場所にならんとして選んだテーマカラーだった。


僕の葬式は、花に溢れていて欲しい。

そんな風に思い立って、オレンジ色と桜色の花びらをたくさん散らした。



最初においた青色がやけに気になった。

他の参加者が青空を描いていて、「それいいなぁ」と思った。

水色を拡げ、白で繋いだ。

青空と、白雲。


片側にそれを創った矢先、残った粘土の色が気になった。


黒と黄色。

「あ。夜空を創ろう。」

僕の世界に、夜が加わった。


赤も残っていた。

「夕焼けも入れよう。炎のような、燈火のような。」

そうして、樹を囲む世界の外側に、夜と朝とが巡った。


星を創ろうとしたらチーズになったので、それはチーズでいいやってことにした。チーズ好きだし。



最後に、額装をしたくなった。

立派な額縁をつけて、絵画のようにしてみた。

樹がおったっている、立体的な一枚絵。



そこには空があり、一日の時間の流れがあった。



葬式のオープンダイアローグ


自分の葬式をプレゼンしたのち、参加者たちによるオープンダイアローグだ。僕は後ろを向き、人々が「僕の葬式で」話していることをメモしていく。

「ちーーーーん」という鐘の音と、「献杯」の音頭で始まる会話。



どうやら生前、小豆島でオリーブを育てていたらしい。

各都道府県に、土地になぞらえたトマリギを植えたらしい。

そこが待ち合わせスポットになったらしい。

こまーが葛藤しながら、僕の跡を継いだらしい。



そんな物語が展開していき、なんだか愉快な気持ちになった。

「レシピ本出してそうな見た目してますよね!」なんて、前日の酒席の話が、ここまで持ち越されるとは!でも、なんか美味しい料理をつくりたい。

なんならオリーブの樹を植えたい。




僕の存在意義

『人の命に、苗を植える』


皆さんにもらった言葉をふまえて、自身の「存在意義」を言葉にする。


これまでは、「とまりぎを植樹する」とか、「種をまく」とか、そんな言葉をつかってきたけれど、名詞が変わった。「苗」である


苗のことを思い浮かべた途端に、なんだか世界が色づいたように感じた。


どこに植えよう?


始めに思い浮かんだのは「心」だった。

でも、「身体」と向き合うことを始めた僕にとっては、それでは不十分だった。


心と身体、人間の全部。すなわち、命だ


そうだ、僕は命に苗を植えたいのだ。


なんだかとてもしっくりきた。わくわくした。何かが拡がるのを感じた。




存在意義に沿って生きるなら

3年後、存在意義を発揮して生きている自分を描こう。


ふたたびA4の紙に表現する、「未来の自分」。今回は3年後。

最初に書いた「自分の仕事」と同様に、「まー」を真ん中に描いた。

でも、もう言葉はこれ以上要らないな、と思った。


苗を描き、名前の周りに蔦を這わせた。

拾ってきた青い花を咲かせたら、赤い実を付けたくなった。


やっぱり僕は育った「とまりぎ」も欲しくて、幹のしっかりした樹を描いた。柳の樹にした。風に揺れ、しなやかに、それでもどっしりと根付いている樹。


子どものことが浮かんだ。

桜の季節にうまれた子どもの名は、桜季(はるき)。

彼がすくすく育った未来を想い、大輪の桜の花びらを描いた。


たくさんの花びらを描いていたら、実も欲しくなった。

オリーブとレモンを書き足した。うん、美味しそう。

暮らしの中で、地中海料理をつくりたい。




そんな未来を描いた。




表現

What Can Who?


「本当の仕事」とは、「存在意義を表現すること」である。

思い描いた未来に繋がるよう、現実を描いていく。

黄色い紙はWhat:純粋意欲
桃色の紙はCan:人に喜ばれる活動
青色の紙はWho:誰のために夢中になれるか

ほわっとかんふー?


それぞれを10枚ちょっと書き出して、台紙に張る。

参加者の皆様に、これらを組み合わせた自由連想で、あらたな仕事を表現してもらった。



僕は、声にまつわる連想が多かった。

人が自然に動き出したくなるような、聴き心地のいいガイド音声を創る。

休みや挑戦に向き合いたい人のために、オーダーメイドのタイムラインを引く。


たくさんのアイディアを頂きながら、書き留めていく。



共鳴を願いながら、「本当の仕事」を語る


このブレストをふまえて、自分の「本当の仕事」を語る。

僕が戻ってきたのは、「居場所のポートフォリオ」だった。


「人が、命を使いたいと願う時空間」のことを、僕は居場所と呼んでいる。


この居場所を、自身の命が望むように、最適に組み合わせて表現し、暮らしへと落とし込んでいく。そんな手伝いをして生きたい。


命という苗が、すくすくと育つように。

願いを栄養に、日を浴び、水を吸って、整えられたあなたの土壌で、苗床に根付いて、育っていく。空気も、微生物も、あらゆるものを、願うように共に整えて生きる。


そんな仕事のビジョンだ。


頂いたフィードバックも、具体性に満ちていて面白かった。


「理系男子の為の、パートナーを喜ばせる一日の過ごし方を音声ガイドする」とか、「ダイエットをしたい女性に向けて、絵画をモチーフとしたプレートミールを創作する」とか。



対話をする以外にも、僕が「苗」を届けるための活動は色々あるのだ。


複数の、創職である。




僕の命が願うこと

みんなで散策した最終日。とても気になった樹の幹。


台風が直撃する前の最終日。

散策に出たら、晴れ間が拡がった時間帯に恵まれた。


たまたま僕の墓標の前を通り、ひとしきりそんな話をしたのちに出会った、一本の切られた樹。


葉も、枝も落とされた、幹だけの樹。

それなのに、とても力強い生命力を感じた樹。



このnoteを書くことにして、最初に写真を配置した。

どうしてもこの写真が気になってしまい、最後に配置してみた。

そして浮かんだ見出しが「僕の命が願うこと」だ。



リトリートは終わった。

一通りの表現と、仕事のアイディアも得た。

今後はこれを語り、共鳴する人々に出会い、仕事を次々とこの世に出現させていくことになる。


そうして、この問に立ち戻る。


僕の命は、何を願っているのだろう?

この問を握り続けながら、存在意義を携えながら、生きていく。


そうして、僕と共に「命に向き合う」あなたにも、問うて生きたいのだ。





あなたの命は、何を願っていますか?






ここまでお読み頂き、ありがとうございました!

どこか「仕方ない」と自分の生を諦めていた僕が、人生を取り戻したのは、自分の願いを知り、これを指針に生きることを選び、行動を重ねてくることができたからだなと実感します。
コーチングを学んだことで、僕の変容は加速しました。

労働観が変わり、人生観が変わり、生きる質感が変わった。その感動を届けたくて、コーチの仕事をしています。

そんな僕の挑戦の原点にある想いを綴ったnoteはこちら。



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「あなたの物語に出会う嬉しいその瞬間」を、心待ちにしております。


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