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眺めた自己像は「生と死」を行き来する現象だった。

音に溢れている世界と、音のない世界。

とてもとても大きな幹に驚いた樹

芦川のリトリートに来た。

烏骨鶏の鳴き声。川の音。雨が屋根を叩く音。

生き物と、自然との音に溢れた場所にきて、あれこれと思考の世界に入っていかない感覚になった。

今ここにいる体感にチューニングが合っている。

築300年の古民家にいて、五感が受け取る世界は、今いる時間を味わいたがっているように感じた。



夜になり、アイマスクと頂いた耳栓をして、布団に挟まれたら、音のない世界になった。

日本酒とワインで酔いが回っていたのか、今度はグルグルとイメージの世界に落ちる。

何度か目を覚ましながら、何度もまた遮断された世界に赴いた。


昨日のワークショップで、自分の時間の使い方と意識を占める割合を描き出し、頂いたフィードバックを経て頭の中に残ったキーワードは「生と死」だった。

今の自分をもっとも表す自然物、を一人散策しながら見つけてきた。


雄鹿の角のような木の枝。

一目惚れした枝があり、これに決めた。

かつて生だったもの。今は死んでいるもの。

次の命を育む土台になるもの。

鹿の角に見立ててもそうだなと思った。

人の骨に見立ててもそうだなと思った。

生あるときに、伸びて伸びて、硬くしっかりとした骨格を創りだし、力強く現れた造形。


今の僕は、生命力あふれる緑ではなく、ここまで伸びてきて形作った形を眺めているのかもしれない。

死んだというより、レントゲンのように今のありようを、その土台を、骨格を見たのかもしれない。

生あるものと、死んだものが重ね合わせで在る。


「休む」ことに向き合う今、できるだけ生物としての活動を「止める」ことに向き合っている。死ぬかのように、立ち止まる。そして再生を待つ。


子どもの暮らしに向き合う今、躍動し成長する生々しい生の実感と手触りに触れ、コロコロと変わる表情と、爆発的に増えていく変化に驚いている。


生を眺めるために日々死ぬことを繰り返しながら、そんな日々や体感を、言葉にし続けている。

その生き様や在り方をライトにして、他者が生きる生と向き合い、映った光景や生じた影を見、観察している。


枯れ木の枝のような、骨のような、そんな造形を織りなし描き形作りながら、とまり木の形を成し続けているのかもしれない。

言葉と物語とで紡いだその形は、思想となって、僕が没した後も、「かつて生だったもの」の名残として、世界に遺るのかもしれない。


道端で出会った木の枝を眺めて、そんなことを考えていた。


ある、と、ない、とが重ね合わせの世界。空観の世界。現実と虚構の世界。


自然の中にやってきて、今の命の使い方を描き出してみて、他者と共に眺め、再び捉え直した自己像は、そんなイメージだ。


暮らしの具体と、もっと大きなスケール。虫眼鏡と望遠鏡とを同時に覗くような時間を過ごしている。



ここまでお読み頂き、ありがとうございました!

どこか「仕方ない」と自分の生を諦めていた僕が、人生を取り戻したのは、自分の願いを知り、これを指針に生きることを選び、行動を重ねてくることができたからだなと実感します。
コーチングを学んだことで、僕の変容は加速しました。

労働観が変わり、人生観が変わり、生きる質感が変わった。その感動を届けたくて、コーチの仕事をしています。

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