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【インテグレーションジャーニー】第三章 舟出。

指先に任せて書く。

書くことは、考えること。


何を書きたいのかは迷子になっているのだけれど、書きたいという気持ちはくすぶっていて。どうやら「記事をつくっていくぞ」と意気込んで、自分の行動に枷をかけていたらしい。

書くための作法は、目的に委ねられる。


ここ最近、インプット/アウトプット過多の状況になっていて、「考える」という時間がとれなくなっていることを実感する。


僕が自分に向き合っている時間はアウトプットしている時間でもあるのだけれど、リアルタイムでどんどん流れていく音声配信を通じて考えることと、眺める余韻がある文章を通じて考えることは、ちょっと肌触りが違う。


書きたいことが、日々たまっていく。

早いもので、コーチングに出会ってからもう半年になる。


この半年間で僕は、独立し、父になった。


自身に起きた変化を振り返りながら、変化を望む人に役立つヒントを掘り起こしたい。それが、僕が筆を執った動機だ。


※ 【6/1記載】指に任せて書いたものを、プロトタイプドリブンで公開することにします。徐々にリライト予定です。


0.インテグレーションジャーニー


マイコーチのmeiさんにあやかって、インテグレーションジャーニーをもとに振り返りたいと思う。

人間は7つのうちのいずれかのプロセスを生きている。
「日常→旅立ち→拒絶→出会い→試練→成長→帰還」

引用:THE COACH Academy「人生のプロセス」より


「願いを指針に生きる」、人生を取り戻した6ヶ月。


1.日常

2020年11月。stand.fmでSPPとなり、狂ったようにコミットメントをした9月、10月を経た頃だった。妊娠5ヶ月ほどになり安定期に入ってきた妻。

転職してから1年とちょっと経ってはいたものの、タスクベースの何でも屋を脱却できず、自分の居場所を会社の中につくることができずに悶々としていた。

夏頃にすがけんさんに薦めて頂いていたこばかなさんのTwitterをフォローしていたら、「コーチングを教える講座をスタートする」というツイートが流れてきた。

子どもが産まれてくることに備えて「個人で稼ぐ力を身につけなければ…!」と、壁うち企画を重ねていたものの、「果たして相手の変化に役立つことはできているのだろうか…?」という疑問が拭えないでいた頃だった。

説明会に、すぐに申し込んだ。


2.旅立ち

3日間、合計15時間ある講座。始まって半日で「受けて良かった…!」と実感していた。傾聴における意識レベルの話に心が動いたからだと思う。

「コミュニケーションってこんなにも豊かな情報に溢れているんだ…!」という感動だ。

stand.fmで出会った方々に支えて頂きながら実践を重ねていた。それでも当時はまだまだ壁うちメインで、コーチングはたまに興味をもって頂けた方にチラホラと実施させて頂く程度だった。

1月に入り、会社を辞めることになった頃、meiさんのセッションを受けた。サブパーソナリティとの出会いは魔法のような時間だった。

翌週始まった応用Aコースで、コースリードのこっちゃんのコーチングを受けた。わずか10分で涙がこぼれていた。コーチとして生きている未来の自分の姿を垣間見て、鳴り響いてしまった。

転職活動をしながらも、20人もの方に応募して頂いたコーチングをひたすら実践する日々に突入した。

会社は有休消化期間に入っていたので、「自分が大切にしたい時間だけで満たした1週間」を過ごしてみていた。人生を取り戻した感覚に包まれていた。


3.拒絶

体験セッションを無償でひたすら行っていた頃、妻から「いつまで無料でやっているの?」と問われた。「1回目体感して頂いて、価値を感じて下さった方に2回目以降にお金を頂く」というスタンスで壁打ちをずっと行ってきたこともあって、それを維持していた。

1月末に会社を退職し、価格設定をひきあげた。それでも、その金額を伝えるときには声が震えた。価格を伝えることに抵抗感も湧いていた。壁うちで年間契約を頂いていた頃ではあったのだけれど、コーチングにお金をもらうことには、まだまだ慣れていなかった。

お金をもらうことに対する、内なる妨害者がいたのだろう。

あまり気乗りもしないまま、転職活動も続けていた。でも本当は、対人支援に専念して生きていきたかった。こっちゃんとのセッションで見た未来は、人との対話を通じて人の変化に想いを馳せている自分像だったからだ。


4.出会い

お金をもらうことや価格設定に自身をもてなかった頃、clubhouseで現役経営者の方々にアドバイスをもらった。「最初から食える値段でやろう。今すぐ価格を倍にしよう。その金額で売ることが、その金額の価値を創ることになる。」

clubhouseで実演していたことに興味をもって下さった方が応募して下さり、当時「体験セッションは価格自由」と言っていたのだけれど、「価格を決めるの嫌だから、あなたが欲しい金額で買わせてほしい。それだけの価値をちゃんと作る努力をして欲しい。」といって頂いた。「この金額以下でやったら私に失礼だからな!」という激励に、とても励まされた。それ以来、単価を下げる発想は捨てた。

独立前から読んでいたおはなし屋なおとさんのnoteや、大高あみさんのnoteにも随分助けられた。「幸せになる勇気」「勇気の価格」という考え方に触れてお金をもらう勇気を出せたり、「いつまで未熟者の顔をしているんですか?」という肉声に、「売る」ことへの背中を押してもらえたりした。

stand.fmでのLIVEの中で、毎日自分の気付きに向き合い、幸せな時間を取り戻したことへの感動を語っていたら、継続クライアントさんができた。ライブを通じて関わって下さった方々に、随分支えられた。

「在り方くん」というサブパーソナリティの存在に気付き始めた。


5.試練

独立初月の2月、10人を超える方に興味をもって頂き、セッションを買って頂くことができた。しかし、2月後半からパッタリとコーチングが売れなくなった。セッションを受けてくれた方は継続に至らず、アカデミーを申し込みに行っていた。

「コーチングがなんだかわからないから売れないのだ」と考えていたので、コーチングについての勉強ばかりをし、その発信を繰り返していった。

そんな一か月を過ごしていった先に、「コーチングに拘らないから、まーさんと話す時間を買わせて欲しい」という言葉と出会う。「コーチングへの囚われ」を手放して、その先に進んだ瞬間だった。


6.成長

会社をやめた。自分の好きなことに出会った。夢中になれる時間を過ごした。ずっとこれが続いていく人生にしたいと思った。お金をもらうことの抵抗感覚に出会った。勇気を出すことを学んだ。お金の捉え方が段々と変容していった。お金をもらうこと、お金を払うことに目が向くようになっていった。自分ができることを語れば語るほど、ドツボにハマっていった。相手に寄り添うことを重ねていたら、望んだ関係性が紡がれていった。


そうして、子どもが産まれた。


7.帰還


気付けば「妻と子どもと一緒にいる時間を最優先にしながら、自分が没頭できる対人支援を仕事にする」という願いを、叶えていた。暮らしが成り立つだけのお金を頂きながら、なんとかその生活を続けている。

「持続可能にする」という次の課題はあるけれど、自分自身が本質的変容を通じて、願った暮らしを手に入れた、という意味で、僕の舟出の章はいつの間にか終わっていたのだった。


そうして、次のジャーニーへの旅立ちが既に始まっている。

「第四章 築城」


第三章の終わりに残った課題「持続可能にする」ということ。ずっとこの幸福な在り方をしながら暮らしていくために、まだまだ売り上げを追及する必要があるし、出会い続ける仕組みを再現可能にする必要がある。

辿り着いた石造りの街で、僕は今、そこに住まう人々の家を建てる支援をし、城を築くことに着手し始めた。出来上がっていく家、城の評判が、更にまた新しい出会いをくれる。やれることもどんどん増えていく。声がかかり、その街の中で果たす役割の幅が拡がっていく。

今歩んでいるのは、そんな物語だ。

仕組み化や出会いの場所を拡げる場面における拒絶と、乗り越えていくための出会いにさしかかっている感触がある。そろそろ試練だと思う。

子育てをしながら、自分の体調とのバランスをとりつつ、事業拡大に必要な事柄に粛々と向き合い、完了をさせていくべきフェーズだ。これを乗り越え、築城が成ったとき、僕は「願いを指針に生きる」暮らしを、持続可能にしているのだろう。


その先にあるのは、第五章だ。

予感がしているのは、「自分だけでなく、他の誰かを主役にした物語。他の誰かが輝く物語。」に光が当たるのではないか、ということ。


これからの旅路に、わくわくしている。

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