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「誘導副詞」という文法用語は存在してるか

 先日「黄リー教を楽しむ会」のDMグループのなかで「誘導副詞は正式な文法用語なのか?」という話題があがりました。そういえばわたしも「誘導副詞」という文法用語はリー教ではじめてであいましたが、リー教以外ではみたことがないような気がします。
 ということで今回は、誘導副詞についてしらべたことをまとめてみました。息抜きによんでいただければさいわいです。


そもそも「誘導副詞」とはなんぞや?

 『基本文法から学ぶ 英語リーディング教本』(通称:黄リー教)をもっていない方もいらっしゃるとおもいますので、まずは黄リー教における誘導副詞の説明を引用しておきましょう。

thereは「そこに」という意味の「場所を表す副詞」の他に「誘導副詞」と呼ばれる用法があります。注
(中略)
注 「誘導副詞のthere」自体は固有の意味は表しません(「そこに」という意味を表しません)。「誘導副詞のthere」は下に「誘導ad」と書いておけば、それでいいです。

薬袋善郎 『基本文法から学ぶ 英語リーディング教本』研究社(2021年)p.23より

 つまり誘導副詞とは、There is an apple on the desk. というような文につかわれるthereのことですね。2000年に出版された姉妹書『基本からわかる 英語リーディング教本』(通称:青リー教)にもおなじような説明がのっています。
 Googleで検索するといろんなページで誘導副詞が紹介されていますが、2000年以降にかかれた記事ばかりで、リー教の内容にもとづいているような印象でした。また、日本語研究の分野にも誘導副詞という用語があるようですが、これは英語のthereとはあまり関係がないようでした。


他の文法書には載っているだろうか?

 わたしの家には文法関連の本が10数冊ほどあります。たまたま古本で格安のをみつけたときに購入してたらいつのまにかそのくらいの数になりました。もちろんすべてを文法学習用につかっているわけではなく、普段はリファレンス用として本棚にしまってあります。
 で、しらべてみた結果ですが、じぶんがもっている本に誘導副詞という文法用語はのっていませんでした。だいたいどの本も「存在をあらわすthere」「there構文」「存在構文」というような文法用語をつかっています。

 ここで記事の本筋からはずれてしまいますが、thereについて興味深い説明をしているものがいくつかありましたので引用しておきましょう。

231. 2つのthere(→§ 17)
 次の2つのthere を比べてみよう.
  ① There [発音記号] is no one there [発音記号].(そこにはだれもいない.)
 前のthereは”there構文”(=存在文)に用いられる形式語で、「予備のthere」とか「存在の there」とか呼ばれる.「そこに」という意味をもたず,[発音記号]と弱く発音される.あとのthereは「そこに」という意味を表す場所を示す副詞で,[発音記号]と強く発音される.2つのthereは,きびしく区別しなければならない.

 安藤貞雄『基礎と完成新英文法 改訂版』数研出版(1987年)p.282-283
※[発音記号]には発音記号がはいりますが、noteがフォントに対応してなかったので省略してます

 「予備のthere」という言い方があるのですね。『基礎と完成新英文法』は、『現代英文法講義』で有名な安藤貞雄先生が高校生向けにかいた総合英語本です。学者らしい、ごまかしのすくない説明が特徴なのですが、there構文についても文法用語を明示して「きびしく区別しなければならない」とまでいっていますね。なお、同書は一時期絶版となりましたが現在は開拓社から復刊しています。

There was a book on the table.(テーブルの上に本が1冊ありました)という there構文では,主語になっているthereは名詞句である.

安井稔・安井泉『英文法総覧 大改訂新版』開拓社(2022年)p.92より

 『英文法総覧 大改訂新版』は『現代英文法講義』とならぶ最大級の、日本語でかかれた英文法書ですが、この記述をはじめてよんだときにはおどろきました。there構文のthereが名詞句? しかも単語単体で句? なにかの誤植かとおもいきや、これの補足になる情報が以下の本にのっていました。

この代わりに,文頭には意味内容をもたない虚辞(expletive)の thereが置かれる。こうしてできた文が存在を表すthere(existential there)構文である.1 この構文は談話(discourse)中に新しい人・事物を登場させる働きをもつ.
(中略)
1 このthere には場所の意味や場所以外の独立した意味はない。ダミー代名詞there(dummy pronoun there)(H&P 2002: 1391)とも呼ばれる。

濱口仁『Q&Aで探る 学習英文法解説』開拓社(2023年)p.406より

 there構文のthereを「ダミー代名詞」とかんがえる立場があるということは、さきほどの記述もまちがいではないようです。また、ききかじったことですが、統語論ではthere構文のthereをNP(Noun Phrase)とするそうなので、there単体で句というのもまちがいではないようです。

 さまざまなthereの呼び方や考え方があることが確認できましたね。
 さて、本筋にもどりましょう。


国立国会図書館には、あった!

 リー教シリーズで薬袋先生は独自の用語をつかっていることもありますので、もしかして「誘導副詞」もそのひとつなのでしょうか。しかし、日本語研究にもでてくるということは、一般的な文法用語である可能性もすてきれません。

 フとここで、国立国会図書館デジタルコレクションの存在をおもいだしました。国会図書館の資料をオンラインで閲覧できるだけじゃなく、資料内の全文検索もできたりするのです。
 で、検索してみた結果は……こちら! 「誘導副詞」をふくむ資料が20件以上もヒットしました。現在の学校文法の源流のひとりであるイェスペルセンや、最近ちくま学芸文庫から『考える英文法』が復刊した吉川美夫の名前もでてきます。「誘導副詞」はむかしからいろんな学者につかわれている正式な文法用語だったわけですね。
 (後日、書店にて『考える英文法』を立ち読みしたらちゃんと「誘導副詞」がのっていました!)

 なかでも注目すべきは細江逸記『英文法汎論』泰文堂(1926年)でしょうか。ほぼ一世紀前の本ですが、英文学者・渡部昇一や同時通訳の神様・国弘正雄などに支持された伝説的な文法書です。同書によると「誘導副詞」は英語で"Introductory Adverb"であることがわかりました。
 そこで"Introductory Adverb"と"there is"をGoogleブックスで検索すると、250件ほどの洋書がヒットしました。2000年代に出版された本もたくさんでてくるので、”Introductory Adverb"(誘導副詞)は海外でも現役でつかわれる文法用語ということですね。


おわりに

 ながい記事となりましたが、ここまでよんでいただいた方に感謝をもうしあげます。
 ひとつ留意していただきたいのは、この記事でとりあげたようなことはいわゆる語学力をあげるのに1ミリも貢献はしないということです。
 リー教で「誘導副詞」という文法用語がたてられているのは、ふつうの副詞と区別する必要があったからで、文法用語自体になにか本質があるわけではないでしょう。リー教読者としては英文をよんでいてthereがでてきたら、そのはたらきがわかりさえすれば文法用語そのものはどうでもいいことなのです。

 (……でも、結構おもしろくなかったですか? 知的好奇心をそそられませんでしたか? わたしは好きなので、これからも学習のあいまにこういう記事をかいていきたいとおもいます)

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