僕が君を好きになったら、世界はどんな風になるのだろうか。②

「多分入れると思うんだけどなー」
「まあ、このご時世どこでも入れるでしょ」
お昼には少し早めの時間ではあったし、ウイルス感染の件で、世の中のイベントやその他興行的なもの全てが自粛モードになっている。そんな中で外食も勿論、例外ではないので、土曜日の銀座にしては、心なしか人通りが少なく感じられた。

「夜しか来たことないけど、確かこのへん…あ、あった」
「わ、思ったよりふつうにお客さんいるね」
ガラス張りで店内がよく見えるその店は、さすがにグルメサイトでも高得点を得ているだけあって、予想していたよりも、既にたくさんの客が入っていた。ドアを開けると、20代半ばくらいと思われる爽やかな青年スタッフがやって来て、にこやかに「2名様ですか?」と尋ねてきた。
「はい」
「こちらのお席へどうぞ」
2人掛けのテーブル席を案内されて、彼女には奥の席を勧めて座る。紙1枚のメニューは、分かりやすいランチのみのメニューになっており、セットはメインのパスタ3種類から選ぶ形なので、比較的決めやすい。お互いに何となくメニューを決めた頃、先ほどのスタッフがやって来て、注文を取って行った。

「夜は結構、予約取りにくいんだよ」
「へえー。そうなんですね」
「最近、仕事は?どう?」
「うーん、そんなに変わらないけど…」
「そういえば、この前、あのー、あれ、あいつに会った、会社辞めるからって」
「ああー、そうらしいですね」
会えば、仕事関係の話が多い気がする。
まあ、元々同じ会社の中で働いていたのだ、1番共通の話題だし、自然とそうなるだろう。でも、最初の頃はもっと違う話もしていたと思う。なんだか面白い人だなあ、と思った記憶が彼にはあるのだ。

しかし今は、こんな調子になることが多い。彼女も 社内にそんなに仲のいい人間がいるワケでもなかったので、誰かを話題に出したところで反応が薄いことが多い。そう考えると、いくら共通の話題とはいえ、特別盛り上がるワケでもない。話がそれほど盛り上がるワケでもないと思うと、やはり会うと決まるまで、ちょっと億劫に感じてしまうものだ。これが、イヤなわけじゃないけど、好きでもない所以かもしれなかった。
まあでも、最後はいつも彼がこれからやりたいことや、既にやっていることなど、彼女はいつも一生懸命聞いてくれていたので、居心地が悪いワケではない。

注文したパスタが届いて、美味しい匂いが鼻をかすめた。自分のはコンソメ風のパスタで、彼女はアラビアータだ。彼女は嬉しそうに、自分が注文したパスタにフォークを入れて、食べられる量だけ巻き付けて、そのまま口へ運んだ。
「ん、辛い。でも美味しい」
「でしょ。あ、これジャガイモだ」
「え?それ?」
「うん、そう見えないけど、ジャガイモ」
「……。」
一瞬、彼女が何か言いかけてやめたように見えた。
それに気付かないフリをして、違う話題を振りながらまた食べ始める。

彼女はよく自分の話を聞いてくれた。口数こそ少ないが、ちゃんと聞いてくれてるのが分かる。
「そういえば、何で資格の勉強してるんです?」
「あー…何か色々考えたんだけど、転職して今の会社入って、会社変わったらもっと幸せになれるかと思ってたんだけど」
「うん」
「結局、そんなに幸せじゃないなって」
「…それはもう入る前から分かってたことじゃない。今はただの通過点でしょ?」
「うん、まあ、そうなんだけどね」
自分でも、自分のことなのにうっかり忘れていたようなことを、彼女はよく覚えている。確かに、前の会社には不満があったから辞めたのだ。これ以上、今の会社にいても、自分の成長が見えないと感じたので辞めた。更に上を目指すには、もっと切磋琢磨できるような環境が欲しかった。

新しく入った会社は、大きいだけあって同年代もたくさんいるし、何と言っても業界最大手だ。これ以上のブランドはない。しかし、だからと言って、ここが自分の居たい場所だろうか?と考えると、それも違っていた。業界最大手というブランドで飾られてはいるが、実際、確かに自分は飾られているだけに近いと感じた。
会社それぞれのやり方はあるだろうが、業界も職種も同じなのだ。大概のことは、今までやってきたことの復習と応用でどうにかなる。結果、やってることは変わらない。クライアントですら誰も「ノー」と言う人間がいないだけ、仕事はやりやすかった。だが、その分、何事も起こらない。切磋琢磨する相手などいなかった。

それでも同年代がたくさんいるだけマシなような気がしたし、ここに転職してきた社員たちは、色々な業界から転職してきていて、そこも面白い気がしたし、少しだけ期待もした。
でも本当は、結果は何となく分かっていたから、最初から「箔をつけるだけだ」と思っていた。入社してみて改めて、やはりこんなものかと感じたのだった。

「でも、応援してます」
彼女はそう言って、椅子に掛けてあったバッグから、「はい」と言って紙袋を取り出した。
おおよそ何となくの予想はしていたが、今日は2月最後の土曜日とはいえ、まだ2月。彼女が今回、最初に連絡してきたのは2月の上旬だ。この紙袋の中身は恐らく、チョコレートに違いない。
でもきっと、彼女のことだから、これが例え3月になっていたとしても、チョコを準備してくれるに違いないが。
「チョコレート」
「ああ、ありがとう」
やはりチョコレートだ。受け取った紙袋の中を見ると、何やら他にも色々入っている。
紙袋の中の、ちょっと手触りの良いビニル袋を取り出して見ると「それ、夜食にいいかと思って…」と彼女が言った。
「あ、何か見たことある…引き出物とかで(笑)お湯かけるだけのやつ?美味しそう」
「うん、お味噌汁だけど」
「こっちは?お守り?こんな細かくあるんだ」
「うん」
そのお守りには、「資格合格祈願」と書いてあった。そんな合格祈願のお守りがあるなんて、初めて聞いたし、初めて見た。彼女は前から知ってたのだろうか?それともわざわざ、探してくれたのだろうか?いずれにせよ、いつもこうやって色々考えて何かをくれる。それから最後に、赤い封筒を手に取った。少し厚みがある。
「これは…手紙は家で読むね」
「うん」
そして彼女はいつも、メッセージカードを付けてくれた。今時なかなか、メッセージカードなんてもらうこともなくなったので、これは素直にちょっと嬉しい。
以前、目の前で開けようとして、本気で止められたので、今はいつも帰ってから1人で読んでいる。初めてもらったカードから、どんどん手の込んだカードになっていて、今やちょっとした冊子みたいになっていた。

「あと、一番下にあるのがチョコ」
「何かぐるぐる巻かれてるけど…?有名なチョコなの?」
「うん、何か色々賞とか獲ってるとこみたいね」
「へえー、ありがとう」
去年もらったチョコとはまた違う店のチョコレート。ぐるぐる巻かれていたのは、日本手拭いだった。彼女は和のものが好きらしく、日本手拭いもその1つらしい。この前、誕生日のプレゼントにもらった何やら立派なノートも、違う柄の日本手拭いでラッピングしてあった。実は、彼も結構、日本手拭いは好きであったので、こういうラッピングは好感が持てた。バレンタインは職業柄か、もらったチョコはいくつかあるが、こんなにちゃんとしたバレンタインチョコをくれるのは彼女くらいだった。
ありがたい…。きっと彼が思っているよりもずっと時間をかけて考えて、彼のために選んだに違いなかったが、それでも、彼女に対して、ありがたいというそれ以上の気持ちはあるやらないやら何とも言えない。

さて、ひと通り中身を見て、食後のドルチェに、エスプレッソを飲んだところで、店の外にも客が並んでいることに気付いた。時間は13時半になるところ。ランチにしては長く、2時間弱ほど店にいたことになる。
「そろそろ行こうか」
「はい」
彼女も外の光景を見て、これはと思ったのか、そそくさと身支度をし始める。それから彼女が財布を取り出したので、それを静止しつつ、彼女にもらったチョコレートの袋を軽く掲げた。
「いいよ安いし、これもらったしね」
「…そう?ありがとう」
そうして彼女は、少し申し訳なさそうに財布をしまう。

店を出て、彼は普段通っている資格の学校へ行くため、来た道とは反対を向いた。彼女も「あ、じゃあ、そっちの駅に行きたい」と言うので、一緒に歩き出す。逆側の駅まで、やはり徒歩4~5分といったところだろうか。
天気は変わらず、呆れるほど良くて、空が高い。
日差しを受けながら歩く休日の街は、人気があまりないこともあって気持ちが良かった。こんなのんびりとした休日の午後はどれくらいぶりだろうか。
彼女のゆったりとした歩調に合わせて、ごくゆっくりと歩きながら他愛のない話をして、まずは彼女が乗る地下鉄の駅へと向かう。が、それでもいいところ6~7分。
すると、彼女はもうすぐ終わるこの時間を察してか、少しずつ言葉少なになった。
「あ、あれ入口。あそこから入れる」
「ほんとだ」
地下鉄の入口の前まで来て立ち止まって、「じゃあまたね」と言ってお互い手を振った。彼はそのまま駅を過ぎて、歩いて行く。彼女もそのまま駅への階段を下りて行ったように思えたが、突然、彼に走り寄って彼の腕をぐいっと引くと、その拍子に振り返った彼に軽いキスをした。
あまりに唐突な出来事に、驚いて呆然と固まってしまった彼に、彼女は「元気で。さよなら」とニコリと笑って、彼の腕をそっと離すと、駅の入口へと消えて行った。

彼は、その後ろ姿を呆けたまま見送った。今のは一体、何だったのだろう?
というか、キスというよりは、単に唇を押し付けるような感覚に近かったが(一方的だっただけに)、でも、何故わざわざ「さよなら」なんて。しかも「元気で」なんて言ったのだろう。意味は量りかねる。彼女には量りかねる部分が多い。
何だかモヤモヤして立ち尽くしてしまったところへ、通行人の声が聞こえて我に返ると、とりあえず、そのモヤモヤを払うように彼は歩き出した。
(そんな気にすることないか…)
彼女はいつもよく分からない。他人の、それも異性である彼女の気持ちともなれば、それはもう余計に。分からないものは考えたところでどうにもならない。

それから数日。
特にそのことには触れていない。彼女も何故そんなことをしたのか触れてこないので、お互いに触れないままで、いつもと何ら変わりない日々。彼女からは普段と変わらず、適度な間隔でメッセージが届く。あの帰り際の、出来事は一体何だったのだろう。あれから、どうしても気になって少し考えたものの、やっぱり分からなかったので、いつも通りならもうそれでいいことにした。別にこれで問題はないのだ。

それより、帰宅後にもらったメッセージカードを開いて驚いた。今までも充分、手が込んでいると思っていたのだが、今回はふつうなら若干引くくらいに大作だったからだ。
バレンタインとは全く関係ない話にはなっていたが、彼女が彼の幸せを願っていることがよく分かる内容の漫画になっていて、つまるところ、彼が笑って過ごせる世界ならば、それは素晴らしい世界であるという話だ。今までと変わらず、何かしらの返事を求めるような内容ではない、が、全6ページもあるこの漫画は、彼だけのために考えた彼女のオリジナルストーリーで、綺麗に彩色までされている。
こんな手の込んだもの、普段、絵など描かない彼にとって、一体どのくらいの時間がかかるのだろうか?と、想像もつかなかったが、たかだかメッセージカードを描くに使うような時間ではないことは確かだろう。そんなに時間をかけてこれを描いたのかと思うと、彼女は暇なのか?などと、つまらないことを思ってしまったがそれは冗談で、瞬時に打ち消され、そうか、それだけ自分のことが好きなのだな、と改めて気付く。
ちょっと愛が重いなとは感じるが、悪い気はしない。彼が彼女のことを好きかどうかは別にしても、何だか、胸の奥が少しほっこりした。

さて、3月も半ばになってくると、ホワイトデーのことが彼の脳裏を過ぎる。常日頃の彼であれば、もらったモノにはきちんとお返しをするのがポリシーだ。仕事関係でもらったチョコレートもそうだが、彼女にもお返しをせねばなるまい。
去年は転職が決まって、会社を辞める直前がホワイトデーとなってしまい、色々と忙しく、ホワイトデーの準備をしている暇がなかった。結局、翌月の彼女の誕生日にホワイトデーのお返しを兼ねたお祝いをしたのだった。
きっと今年も誕生日の頃には、彼女自ら「もうすぐ誕生日です」と連絡してくるに違いない。去年はたまたまそんな事情だったけれど、今年もそれでいいかな、などと思ってしまう。
別々にしないと怒るなんてことはない。元彼などの話を聞くと、彼女の誕生日すら知らないだろうと言っていた。「それでも怒らないの?」と、聞いたことがあったが、それでも怒らないと彼女は言った。

まあ、だからというワケではないのだが。
ちゃんとしたモノを2ヶ月連続で探すのもなかなかに時間がかかる。そしてその度に外で会う約束をするのも、予定が合わなければなかなか難しい。とすれば、そこは1回にまとめたいところである。去年は「会える機会が減るのがイヤ」って言われたのだけど。
そういうのはちょっとだけ可愛いなと思うのだが、今のところ、物理的に無理な気もする。とりあえず、まだ先日会ったばかりだし、やっぱり来月か…というところだ。

そして、そんなことをグダグダと考えているうちに、3月は過ぎた。
彼女とランチをした日から1ヶ月ちょっと、まだ風が冷たい日もあるが、外は桜も咲き乱れ、もうすっかり春の景色だ。ウイルス感染の件は、国としてもそろそろ終息に向かっており、閉鎖されていた彼の会社も部署によって出社できるようになっていた。彼の所属する部署もすっかり通常どおりだ。在宅勤務は在宅勤務で、自分の時間が取りやすくて良かったのだが、ずっと自宅にいるのはやはり、精神的にキツい。仕事は職場でするのが一番いい。

ところで、仕事と勉強で日々忙しく、うっかり忘れそうになるのだが、そろそろホワイトデーなり、彼女の誕生日なりのプレゼントを準備しなければならないと思う。そういえば、去年だったら今頃、連絡がきていたと思うのだが、今年はまだそんな連絡もなく、その後、4月の半ばを過ぎても彼女からの連絡はなかった。
(ていうか、最後に連絡きたのっていつだっけ?)
何気なく、メッセージを見返してみると、最後の日付は3/16となっていた。ちょうど1ヶ月ほど前になる。

彼が転職してから、1~2ヶ月に1度くらいの連絡だった時もあるので、1ヶ月連絡がないくらいは何でもないと言えば別に何でもないことなのだが、絶対連絡がくると思っていた時にこないのは何か引っ掛かる。
例えば、この短期間に恋人ができたとか?それはそれで、何となくムッとするが、それならばまあそれでいいだろう。でも、あれだけ自分のことを好きな素振りで、キスまでしてきたのに(子供でもあるまいに、キスまでしてきたということもないかもしれないが)、そんな急に、他に恋人ができたからさよなら、ということがあるのだろうか?
ああ、あの、「さよなら」はもしかしてそういう意味だったのか?
いや、でも、仮にそうなのだとしても、キスはしなくてもいいはずだ…などと、普段なら考えないようなことが頭の中を駆け巡った。

それより、よく考えろ、逆にこれで縁が切れたとするならば、煩わしいことが減ったということではないのか。別に彼女に惑わされることはないけれど、このままずっと同じではいられないだろうし、付きまとわれても困る。なら、これはこれで良かったのではないだろうか。あれ?もしかして自分は彼女と離れたかったのか?いや、でも本当にイヤならイヤと言っても良かったし、LINEなど無視したってもう同じ会社でもないのだから…とモヤモヤ考えて、ふとイライラしている自分に気付いた。自分は何をイライラしているのだろう。
もう自分の気持ちすら、よく分からない。

その時、昼休みを報せるアラームが鳴って、それと同時に彼のスマホに緊急速報のニュースが届いた。

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