ひか

好きなものたくさん 2児の母

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この声よ 君へ

「僕はどうしても僕のままさ」 「君はどうしても君のままさ」 「やめたりできない」 「もう顔上げて涙を拭きなよ」 「君の痛みは君のもの」 「そして優しくなれ」 そう優しく詩う充に「突き放された」と思った。 楽園と名のついた場所で、足元が崩れていくような寂しさと苦しさに襲われた。 BAND AGEではじめて聴いたときから、なんとなく、共感できなかった。 ただ、この時はサプライズのひまわりや、黒ちゃんのピックがとんできたりと、嬉しいことが多かったから、なんとなくで済んでいた。

    • 一緒に復活したもの

      12年子育てしてきて、一番苦しかったのは去年一昨年だったのだけど。 長女が未満児と呼ばれていたころも、まあそれなりに苦しかった。 その苦しかった時を、一緒に乗り越えて笑い飛ばしてくれた友達の多くとは、引っ越しとコロナですっかり疎遠になったのだけど、数少ない今も頻繁に連絡を取る1人が、この度関東に戻ったというので、仕事も暇になっている今がチャンスと、会いに行ってきた。 待ち合わせした改札で、6年近くぶりなのにすぐに私を見つけて声をかけてくれて、うっすら涙ぐんでくれたことに感

      • 過ぎる時に 答えかき消されても

        "あの日"は、もうすぐ妊娠8ヶ月に差し掛かる頃だった。 持病があること、逆子だったこともあって早めの里帰りを勧められ、東京から四国に戻ったのはその前日のこと。 前日の移動の疲れからかお腹の張りがあって、検診のモニターを長めに受けて帰宅したのが15時半ごろだったと思う。 待合室にテレビのない病院で、モニターをつけたりしたのもあって携帯もみていなかったので、妹に「お義兄さんから家に電話があった。会社にいて無事だって伝えてって。」と言われたとき、私はまだなにも知らなかった。

        • いつか君が大人になって振り返ったとき

          意外と若い子がいるなと思った。 私がSOPHIAを知ったのは2001年、中学生の頃。 すでにデビューから6年たっていたこともあって、熱心な向日葵さんたちは10代後半~20代前半くらいで、私より年下の子は少なかった。 まだ「SOPHIAns」って呼び方がなかった頃。 活動休止前も、私の年代はSOPHIAnsの年齢分布のなかでは若い方だったと思っていたから、ちらほら見かける自分よりも遥かに若い子の姿に驚いた。 席が隣だったのもハタチくらいの女の子で、1人参戦のようだった。お

        この声よ 君へ

          共に泣いて笑った日が背中を押した季節

          前日に「ヒマワリ売り切れたりしないよね?」と呟いてたのも忘れるほど忙しい午前中を過ごして、新幹線に飛び乗った。 物販の状況を確認しようとスマホのロックを解除したら、再会の約束をした友だちからの「ひかちゃんの分のヒマワリも○○ちゃんに頼んどいた!」って通知に、まだ再会してないのに涙目になった。 昔と変わらず「後から来る私の分も」と頼む前に思ってくれたことが嬉しかった。 そして「9年ぶりでお互いがすぐわかるのか?」って思ったけど、そんな心配は全く必要なかった。 手を振る姿が同じ

          共に泣いて笑った日が背中を押した季節

          もしもあなたに届くなら

          2011年に長女が生まれて、産後3ヶ月で武道館に行った。 2012年は初日の横浜BLITZ。 2013年は横浜BLITZと渋公。 渋公のあとの活休発表に、同じ人の声も音もそこにあるのに、なにかが違うと思ったのは、私の気のせいじゃなかったんだと、どこか納得した自分がいた。 次はいつ会えるかわからない、会っておきたい、と向かった9年前の武道館は悲しかった。 そして、9年という長い時間で、信じることを諦めた。 もちろん復活は嬉しかった。 9年の間に次女が生まれて、地方に引っ越

          もしもあなたに届くなら