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愛育病院での入院【日記編】

こちらは日記のようにまとめて記載してみようと思います。
費用などに関しては「出産費用編」へ記載予定。
(※2022年9月現在の様子ことです。また記憶と記録をだどりつつ記載していますが個別事情や情勢変化で異なる点もあるかと思われます。詳細は必ず病院に確認し、あくまで日記として軽くお読みくだいませ……!)


0日目(出産当日)

出産後は最低でも二時間程度LDRで待機。
産後の後処理や母体を落ち着けるためと思われる。その後病室に移動。移動時点で大部屋しか空いていなかった。
導尿の管などは抜去されていたので産後は自力で歩行してトイレへ。会陰の傷の恐怖が……。トイレ個室内に助産師さんと一緒に入り無事自力で排尿できるか目の前でチェックしてもらう。人の目の前で排尿……と一瞬思ったがそういうことを気にしている余裕はあまりなく、私自身羞恥心が薄いタイプなのですぐどうでもよくなった。
しかし、この時急激に血圧が下がってトイレ内でぶっ倒れてしまった。助産師さん二人がかりで「キリストの降架」のように車椅子に運ばれて3メートル先のベットへ逆戻り……。

ルーベンス キリストの降架
wikipediaより

倒れた時「周囲の声がだんだん遠くなってくる」って本当やな、とやけに冷静に思った。排尿によって急激に低血圧となり倒れたようだと落ち着いてから話があった。こういうことに備えて助産師さんと一緒にトイレに入って排尿するのだった。助産師さん助けてくれてありがとう。。

愛育病院では母子同室になるのは0日目(愛育病院では出産当日を0日目、出産翌日を1日目とカウントするようです)が、私はトイレで倒れてしまったのと少し発熱もあったので間が空いた。お母さんと赤ちゃんの容体によって母子同室にするか決める模様。ちなみに私は午前中出産、その日の消灯前に赤ちゃんを1度だけ隣に連れてきてもらった。メンタル的に疲れてが出ていたこともあり私の本格的な母子同室は1日目(出産翌日)からとなりました。

この日14時ころに空く個室への移動希望がとられたが、まだ自分のトイレも無事に済んでいないので母子同室は先だろうと踏んで個室移動はパスし再度翌日空室が出たタイミングで検討したいとお願いしました。結果的にこの通りになりよかった。(※ただし個室の空きが確実ではないのでその点注意が必要。)

1日目(出産翌日)

無事にトイレに行け、(麻酔の後遺症なのか?産後の昂りなのか?)謎発熱も治まり私の体調も安定してきたので本格的に母子同室開始。この日の昼過ぎには個室(25,000円、シャワー、トイレは共有だが部屋を出たすぐのところにどちらも揃っている。一番安価な個室)が14時頃に空くとのことだったので移動。移動のお手伝いをしてくれたスタッフさんが荷物を手際よく運んでくれた。昨日あまり起きあがれなかったので産褥パッドがずれてシーツや衣服が血まみれになってしまっていたので着替えなどもしていたらあっという間に時間になった。
大部屋室内は他の方もいるでの電話禁止だったが、個室になったら室内で電話ができた(大部屋で電話をしたい場合談話室的なところに移動して通話しなければならない)。夫とテレビ電話をして赤ちゃんの様子を見てもらった。感染症対策で面会が禁止されていたので気兼ねなく室内で通話できるのはとても良かった。近くの個室からも家にいる上のお子さんと電話しているらしい様子の声が少し聞こえることもあった。みんな家族に会いたいよね。電話ができるのは精神的にも大いに助かった。
また、大部屋では自分のベッド、赤ちゃん、荷物などで広いとは言えなかったが個室に移ってからは余裕が出た。
個室にはソファがあり面会ができるようであれば来てくれた家族はそのソファでくつろぐことができる。ソファは変形させると簡易ベッドになるようだった。
個室内ではイヤホンなしでも問題ない音量でテレビをつけていることもあったが、個人的に自宅にテレビがない生活を10年してるのと、赤ちゃんのお世話が忙しくテレビはほとんど見なかった。テレビ見ている時間があれば寝たかった……。

赤ちゃんの授乳、排泄などはコットにバインダーが付いていてそれに手書きで記録していくそれと時計を見ながら赤ちゃんのお世話を実施。大部屋の時からだが、買い物、トイレ、シャワーなどで赤ちゃんから離れる場合はコットに乗せた赤ちゃんを新生児室まで預けに行かなければならない。私の個室は新生児室から距離があったので急な尿意がくると「トイレが目の前なのに駆け込めない……!」と焦る。

赤ちゃんを入れたコット。このコットに乗せたまま母子同室となる。新生児室に預ける時もこのコットに入れたまま連れて行く。

愛育病院では助産師さんが担当制で日勤と夜勤で入れ替わり制、夜勤の方が仮眠中は代理の方が来てくれるという形式だった。ナースコールを鳴らすとその担当の方が出てくれて安心できた。入院中担当してくださった助産師さんは全員違う方だったと思うが、一体何人助産師さんが在籍しているのだ……。皆さんプロフェッショナルで優しく不安になることはなかった。
助産師さんも忙しいタイミングがあるので自分が何時に痛み止めを服用したかなどは自分でも記録を取って管理していた。時間の管理にはラインのkeepメモを使用していた。助産師さんが回ってきたタイミングで薬を服用した時間を申告して痛み止めが切れて辛い!と困らないようにしていた。

この日、夫にはおむつやミルクの購入をお願いした。特にこだわりはなかったが病院で慣れたものを家でも使用したかったので同じものを購入。病院で使用する粉ミルクは数ヶ月に一度ランダムに変えているようだった。助産師さんに粉ミルクの種類ことを質問したら市販されてるのであれば病院側は特にこだわりはない様子。

この日赤ちゃんは母乳にチャレンジするもうまく吸えない。自分の下唇を吸って満足している模様。助産師さん2名が個室にきて色々してくれるもうまくいかなかった。助産師さんから下唇を吸い込んで満足しているので、下唇を吸っていたら指で刺激して吸わないようにするようにアドバイスされた。その後から下唇をツンツンしていた。ミルクは飲んでいた。

2日目

日付変わって深夜も引き続き母乳チャレンジ。少し吸ってくれた。赤ちゃんの学習能力が素晴らしく、「おっぱいを吸うと母乳が出る」「乳首は噛んではいけない」「自分の下唇を吸ってもお腹はいっぱいにならない」とぐんぐん学んでいっているようだった。
が、それよりも母乳分泌にやる気を出した胸の詰まりが深刻になる。特に左胸の詰まりが深刻すぎる。搾乳機ではうまく絞れず、マッサージしつつ手絞りでないと搾乳できない……。個室で胸が楽になるまで助産師さんにマッサージと搾乳をお願いした。自分ではできないことが申し訳なかったが「これは(ガチガチに硬くなりすぎているので)自力では無理です、助産師を呼んでくださいね。」と優しくお話ししてくれた。マッサージと搾乳だけで多分1時間近くはかかったと思う。声も出せないほど痛かった。声を堪えるものの痛すぎて涎が出そうになった。助産師さんが「痛いですよね〜」と本当に優しく声がけをしながら対応してくれるも搾乳する手の力は弱まるわけではないので優しい声と痛みのギャップで途中から笑っていた。でも乳腺炎が怖すぎたので耐え忍ぶ。これが1日に何度かあるし搾乳しないと胸が痛いしでキツかったが楽になることを信じて頑張った。実際日を追うごとに楽になった。助産師さんは神様かと思うようになり始める。

あまり病院の食事が美味しくないとの口コミを見て心配していたが病院の食事は結構美味しかった。昼食時に間食用のおやつもついてくる。水分とゼリー飲料、多少のお菓子は持参してもいいかもしれないが食事をしっかり摂っていればそこまでおやつがなくてもいいかもしれない。母乳がたくさん出る人はもしかしたらもっとお腹空くのかな?

荷物を届けてもらうことはできたが、こちらの荷物を預けて持ち帰ってもらうことができなかったので自力で洗濯するとこになってしまった。面会ができる状態であれば荷物持ち帰ってもらえるのだが……。悪露で汚れた衣類を洗濯するために売店まで洗剤を買いに行ったがまさかの売り切れ!洗剤は夫に持ってきてもらった。コインランドリーは小銭しか使えないので小銭を多めに持ってきた方が良さそう。
荷物を届けに来てくれた夫に窓越しに手をふった。夫は屋外、私は7階の病室からだったので抱っこした赤ちゃんは小さすぎてあまり見えていなかった。ロミオとジュリエット(経産婦)状態で窓の外の夫に手を振った。面会できない時はこうしているご夫妻が多いらしいと助産師さんが言っていた。
この日は他にも退院指導というものがあった。同じ日に出産をしたと思われるお母さん達と30分程度マタニティーノート(事前に病院側から配られる)を持参して赤ちゃんや産後の母体と生活についてお話しや注意事項の説明をされた。もう退院の話!?と思ったが5日目の12時までには部屋を出なければいけない……。赤ちゃんのお世話に困らないように覚えなければ!

3日目

3時間おきの授乳のたびに「母乳チャレンジ」、「ミルク授乳」、「搾乳」「合間のオムツ替え」で1回の授乳に1時間以上、時には2時間近くかかることもザラにある。次の授乳の時間がすぐにくる。赤ちゃんのお世話をしながら自分の食事、身支度、自分と赤ちゃんの診察などをこなしていると一体いつ寝ているのだ!状態に。だが、不思議と寝不足は感じなかった。興奮してアドレナリンが出ているのか?でも、寝たい時や身の回りのことを済ませたい時は授乳が終了したら次の授乳まで新生児室に預けていた。
この日も地獄の痛みの手絞り搾乳は続いた。よく愛育病院は「おっぱい道場」とか「母乳合宿」とか言われるよう(?)だが特別母乳育児崇拝は感じなかった。お母さんの考えを尊重し母乳育児をしたい人には適切にアドバイスしてくださるし、乳腺炎にならないように本当に親身に対応してくれた。どちらかというと場合は母乳をうまく飲めない赤ちゃんに対してはある意味「おっぱい道場」だったかもしれない(笑)。ただし、そのおかけでミルク混合での授乳が家でもスムーズにできていた。

私の血液検査の結果、この日から食事メニューが変更され貧血食が開始された。希望で追加料金を支払えば食べられる特別食よ、さようなら……。が、3回食というだけでもハッピーだった(「妊娠糖尿病・6回食の食事療法体験談」に記載予定)。味付けも美味しいし、お腹は空くしで毎回ほとんど完食していた。
夫が差し入れてくれたとらやのひとくち羊羹を夜間授乳の合間にたべて一息ついたりしていた。深夜授乳に「夜の梅」、子の顔をみながら食べる「おもかげ」がなんだかいつもより美味しく感じた。
この日は沐浴指導もあった。事前にプレパパママ外来で夫が練習していたのを見ていたのでなんとかスムーズにできた。お風呂に入った赤ちゃんは気持ちよかったのか放心状態のような顔をしていた。
会陰の裂けてしまった部分は縫合されているのと痔が酷かったので毎回の排泄が本当に恐怖だった。痛み止めが切れてくるとジンジンして痛むし円座クッションがないと死んでいた。出産前から服用していた便秘薬と塗り薬を追加処方してもらい無事に排便できた時は嬉しすぎて夫にラインを送った💩。

4日目

まだ手絞り搾乳は痛いものの多少余裕が出てきた。が、まだ左胸は自力で搾乳できる状態にはなっていなかったので助産師さんをナースコールで呼んでお願いしていた。深夜胸が痛い時も対応してくれた。これも個室だったので深夜でも周囲のお母さんたちに気を遣わずにできて良かった。少し余裕が出てきたので搾乳をしてもらっている時は助産師さんと多少おしゃべりしたりもしていた。他愛もない話に付き合ってくださり気が楽になった。退院後の授乳の不安なども話してアドバイスをもらった。

この日夫が自転車で差し入れに来てくれた。なんとこの日から1時間だけ面会okになっておりサイクルジャージ汗だく夫が個室にサプライズ的に来てくれた。赤ちゃんと初対面。嬉しすぎて夫婦で写真をたくさん撮った。翌日の退院のことも少し打ち合わせることができた。

3時間おきの授乳もあるので当然なのだが、お母さんの尿検査などが午前0時以降などやばいタイムスケジュールになっているのにはいつも笑ってしまった。

この日「こころの健康チェック」なるものを受けた。アンケート形式でお母さんの心の健康をチェックするためのもので「赤ちゃんを叩いてしまいそうになる」みたいなチェック項目があった。今は赤ちゃんにそうした感情はないが、一方では追い詰められていく親の心情を想像して何とも言えない気持ちになった。今後こういったアンケートの項目で手が止まりかけるような精神状態に自分がなった時、果たしてそれに客観的に気がついて周囲に助けを求められるだろうか、そうなる前になにか対策はできるだろうか、と少し考えてしまった。

5日目(退院当日)

日付が変わって退院当日。搾乳も母乳も軌道に乗り始めて家に帰っても大丈夫だろうと見通しがついて少し安心。乳腺炎が心配だったので助産師さんと相談して2週間後に母乳外来の予約を入れることにした。
そして退院当日はなんと午前0〜4時の段階から準備が始まる。夜行バスのようなタイムスケジュールにビビる。
そのあと午前8時〜9時に赤ちゃんの先天代謝異常の血液検査。
午前9時30分〜は母親付き添いで新生児科の医師による赤ちゃんの退院診察をします。
12時までには退院なので荷物をまとめたり朝食をたべたり一週間ぶりの化粧をしたりととにかく忙しい。夫が迎えに来て荷物を運び赤ちゃんを運び、病院前で記念撮影をして退院となった。
まだこの時も会陰の傷が大変だったので事前にAmazonで頼んでいた円座クッションを車に積んできてもらっていた。この円座クッションは自宅でもこの後かなりお世話になった。円座クッションは傷が椅子につかないように厚みがあるものがおすすめ。Amazonで一番上くらいに出てきた奴をポチしてそれで十分だった。ありがとうAmazon。ベットに座る時もしんどかったので入院中からあってもよかったかもしれない。

帰りにスーパーのパック寿司を夫に購入してもらい帰宅。かなり久しぶりのお寿司に感動した。家に帰ったら育休を取得した夫が早速赤ちゃんのお世話や家事をバンバンやってくれてそれらにもかなり感動した。
家のベッドに久しぶりに横になってやっと家に帰ってきたと安心した。これからの生活にワクワクと少しの不安を感じたが一瞬で寝た。

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