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日米開戦80年に日本の戦争突入を問い質した本「太平洋戦争への道」

本(太平洋戦争への道 1931-1941)(長文失礼します)

日米開戦となる太平洋戦争までの過程を、満州事変(1931年)まで遡って考察した本です。元々はNHKのラジオ番組で2017年に放送された半藤一利、保坂正康、加藤陽子各氏の対談を本にまとめたもので、各章ごとにまとめとして保坂氏の論評が記されています。

日米開戦から80年となる今年、改めて開戦までの過程を考察することが、現代社会においても重要な作業であると本書は語っています。
本書の起点となる1931年の満州事変に伴う満州国建国と、国際世論の反感を受けての国際連盟脱退による孤立主義が、太平洋戦争に向かう道筋に大きな影響を持ったと述べています。

それと同時に国内にファシズム体制ができ上っていき、さらにファシズム体制を超えるレベルの超国家主義の方向に進んでいったとも述べています。
1932年の海軍将校による五・一五事件や1936年の陸軍将校による二.二六事件を通して、国益のためには要人を殺害しても許容されるというテロリズムの暴力が公認されていく国民感情が醸成されていきます。
さらに本来は国民、国家を守るはずの軍隊が、国民の安全を逆に脅かす存在として機能することになる。つまり政治が軍事に従属していく時代となる訳です。

日本が本当の戦時体制に入っていくのは、1938年(昭和13年)の国家総動員法からと指摘しています。さらに第二次世界大戦の開始は、1939年(昭和14年)9月1日のドイツ軍のポーランド侵攻であり、1940年(昭和15年)の日独伊三国同盟とドイツのヨーロッパ戦線での戦況を睨みながらの孤立主義ゆえの模索が続きます。

そして1941年(昭和16年)の日米交渉での決裂により、開戦やむなしの土壌が形成されていく訳ですが、日本の軍部ではそれでもアメリカは開戦しないだろうとの、ほとんど主観的願望であって、それを客観的事実にすり替えようとしながらも、実際はむしろ希望的事実と結果が逆に出てくると分析しています。
軍部の暴走を許し、国の選択を誤った原因は様々な理由が考えられますが、先ず日本独自の軍事学を持たずに外国の軍事学を模倣したことや、優秀が軍人は軍事のことは学びながらも政治については学ぶことがなかったなどが挙げられます。

昭和30年生まれの私は、20年代生まれの全共闘世代と比較されて無共闘世代などと揶揄されてきましたが、独善的な政権によって議会制民主主義の形骸化が進む日本の現状では、先の世代同様に政治に対する意識がいやおうなしの対応を迫られて来ます。
今年のオリパラ開催についても、その迷走ぶりや独善ぶりが戦前の政治体制とよく比較されましたが、今年逝去された半藤一利氏の「昭和史には全ての問いの答えがある」という言葉が、現代社会の問いに対しても説得力のある文言になっていると思います。

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