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53:「君たちはどう生きるか」を観て思ったこと。

日付を超えた六本木ヒルズから電動キックボードに乗って思った。

「伝えるってなんだろう。」




その日は、後輩から靖国神社の「みたままつり」に誘われて仕事終わりに行くことにした。

ずっと東京暮らしなので都内の大体のお祭りは行ったことがあったが、このお祭りは初めてだ。広大な敷地での大勢の人、献灯(みあかし)という提灯のようなものが並ぶ景色は、夏の色を感じる。


出店が少ないのは悲しいが、近くのお店で食事をすることにした。

気兼ねなく喋れる後輩なので、仕事や彼女いない話に悲しい花が咲く。




が、そんな楽しい時間を途中退出することに決めていた。

それはタイトルにもあるスタジオジブリの最新作「君たちはどう生きるか」を初日に観たかったからだ。


これだけ情報に溢れる世の中だと、良くも悪くも評価は耳に飛び込んでくる。
だが、大元がここまで情報や広告をシャットダウンをすることは無いだろうと思ったので、初めてジブリ作品を劇場で観ることにした。
嫌いということではなく、幼少期から捻くれていたので皆が見ていると観たくなくなる。二十代後半にこれは間違いと感じる。大きな潮流の中でしか感じれないことがあるのに。


一足先に店を出て電車で六本木のTOHOに向かおうとしたが、駅まで少し距離があるのと人混みの中で疲れていたのでタクシーで行くことにした。
ごくたまに乗るタクシーが贅沢に感じて好きだ。二十歳ごろにラーメンにトッピングをするときに大人になったなと感じたが、今ではあまり動じない。安く食べるより、美味しいものを好きな場所や人と過ごしたくなる。
いつかタクシーに乗ることも、ラーメンのトッピングのように感じるのだろう。





「六本木ヒルズまでお願いします。」

「はい。」




東京の欲望の光が
タクシー内の僕を照らす。



地下鉄内での移動だと暗闇と駅名しか情報は入らないが、タクシーで駅の外観を見ることは大きい。各駅で、それぞれの思い出が蘇る。


指定したわけでもない六本木ヒルズ内のグランドハイアットで停車すると、ベルボーイが迎えてくれる。少し特別感はありつつ、外に出てからTOHOに向かった。




劇場はほぼ満員。皆思うことは同じであろう。
土地柄と21:30~23:50というレイトショーだったので客層には子供はいなく同年代からやや上が多い印象だ。






作品が、
始まる。






そして、
終わる。








批判的なことをSNSで書かないように心がけているのだが、
正直なところ「観たいものと違った。」がここに書ける精一杯のコメントだ。




まだ終電はあるが、頭の中で振り返りながら外の景色を感じながら帰りたかったので、話題の電動キックボードで帰ることにした。



そこで浮かんだ言葉が、
冒頭にある「伝えるってなんだろう。」




自分は変わる、時代も変わる。

それは普通のことだ。



だが、大衆が求めるのはその製作者の「売れた作品」なのではないだろうか。

ジブリでいうところの、トトロやポニョなどの幼少期も楽しめる作品を導入口になって、ナウシカやラピュタ、千と千尋などの「少年少女の冒険活劇」が大衆の求めるものだと思う。


ここから逸脱しすぎると、刷り込まれたジブリらしさと乖離してしまい評価が割れてしまう。



ただやはり、自分は変わる。

幼少期や青年期は怒りの対象が親や大人へ。
やがて自分がその立場になって、次の対象は組織や国になる。

自分なりの正義感がそうさせるのだろう。

育てた子供も巣立ち、エネルギーをかける人がいなくなると、第三者へとそれを解き放つ。それがデモやデマにつながる。今回のコロナ禍で一部の方をみて思ってしまった。


それを否定するわけではない、きっと自分も歳を重ねて少しづつ近づいているだろう。


だからこそ、変わりつつも求められることを提供しているアーティストは本当に凄いと思った。サザンオールスターやMr.Children、ポルノグラフィティなんて僕が幼少期にヒットしてからずっと一線で戦っている。

新作を聴くたびに「あぁ変わらんな」と悪くも思っていたのだが、これは悪いことでないんだと気付かされた。


サザンだと、「男女の夏」が僕のイメージだ。
実際にその手の曲をリリースすることは多いと感じる。

ソロで違う方向性は見せてもグループとしては方向性は大きく変わっていないと感じるので、やはりファンが求めることをしているからずっとヒットしているのであろう。けどそんなグループのが珍しい。皆がそうなら、消えるバンドなんてないのだから。



「求めることより少し上回る」のが生き残る方法なのであろう。
それを方向性を間違えたり想像の範囲内で止まってしまうと、人は退屈してしまう。だが、ジブリなんてそんなことは分かってるはず。

生涯戦ったと男として、最後に自分の作りたいこと・伝えたいことを出し切りたいと製作したのがこの作品であろうが僕の感想だ。


わがままと言われてもよい、それくらいしてよい功績者だ。











最後に、ネオンが煌めく六本木から西麻布への下り坂で思い出した。


社会人になってすぐに、還暦近いデザイナーの先生が言っていた言葉、
今夜にその意味が少しわかった気がします。














「俺はもう、彫刻家になりたい。」