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4年前を、思い出していた

私にとって、美大は憧れの場所でした。

勉強しかしてこなかった私の手にはきっと届かない。憧れや希望だけで、あらゆる唯一無二のものを持った人たちに敵うはずがない。それでも、教わりたい方がいて、そこに根付く考えを覗きたくて、ここにしかないものがあると確信してしまった日がありました。
私のまんなかには、長い間変わらない夢があります。これまでもずっと、そのための選択をしてきたつもりでした。だから、どんなに遠い遠い涯でも、私はそこに行きたかった。支えてくれたたくさんの方々のおかげで、憧れの場所に来ることができました。この場所で学ぶ、その中の一人になることができました。やっと、夢に近づけるのだと思っていた、4年前の冬でした。


流行病が騒がれ始めたのが、ちょうど受験の頃でした。マスクを外さないようにと言われた試験中、私はこの場所でたくさんのことを学んで、突き詰めて、また夢に近づけるんだ、と呑気なことを思っていました。開かれた窓から流れこむ冷たい冬の空気を、マスクを少しずらして吸って、期待を飲み込んでいました。

まさか、たった4年の中で半分以上も、学校に来られないことになるとは考えもしませんでした。世界中の人がそうであったように、外を知らないまま、生きていました。なにかを作ることをしてこなかった私には、その間の課題は振り返りたくもないものばかりで、何からも得られるものがなくて、得ようともしなかったのだし、その頃をもっと充実させられていたら今はもっと違ったかもしれないと、後悔ばかりが落ちていきました。そしてほとんど、その頃の記憶がありません。一人で同じような毎日を過ごしていたのだと思います。圧縮されたような、引き延ばされたような日々でした。憧れの場所はずっとずっと遠くにあるようで、1年が過ぎていきました。

誰のせい、とは言いたくもなかったし言えなかった、誰のせいでもないことは私たちが一番知っていました。同級生とはほとんど会ったことがないのに、学校に行けないフラストレーションが溜まっているような空気を感じていました。待つだけではだめで、自分から動かなければいけないような気がして、空回りしながら、動いてみました。これでよかったのか今でもわからないし、今でも思い出します、変わらなかった日々のことを。そして、失ったたくさんのことを。

入学してから2年が経ち、今まで作ることに向き合ってこなかった自分が露呈してきました。もう何をすればいいのかわからなくてぐちゃぐちゃで、ずっと、どこかでわかっていたはずなのに。学生同士で言葉を交わしながら作って、考えて、落とし込んでいくことの大事さを知っていたのに、必要な単位を取り終わっていた私は、必要最低限しか学校に行きませんでした。つくるということにおいて楽をしたり効率を求めたりすることが先の自分にとってどれだけ重い罪なのか、なんのための今の時間なのか、少し考えれば、全部自分のせいとわかるはずでした。

だから、というのは違うかもしれないしおかしいと思われるのだろうけれど、私はここからの大学生活は本気で自分と、制作に向き合おうと決めました。ちゃんと制作に向き合うということは、今までにやってこなかったことをちゃんと回収することだったし、どうしようもなく弱い自分とも向き合うことで、しんどいことばかりでした。でも、制作が終わるのを、最初から最後まで見届け、やり遂げるのは私だけだという、強い何かがずっとあった気がしています。そして1人でここまで手を動かし続けられたのは、支えてくれた大切な人たちがいてくれたからでした。私1人では絶対にここまで来られませんでした。たくさんの夢を、大切な人たちのおかげで見ることができました。私は、制作に向き合えて幸せで、感謝の気持ちでいっぱいでした。でも、悔しかったです本当に。その中で、私を、私の制作を、見つめてくれる人がたくさんいたこと、私はここにいてもいいのかもしれないと思いました。そしてずっと作り続けてもっともっと上へ、先へ、行かなければならないんだとも、思いました。


振り返れば別ればかりの日々でした。失ったたくさんのことやもの、諦めなければいけなかったこと、突然絶たれたチャンス、我慢するしかなかったこと、手放すつもりなんて絶対になかったのに崩された絶対、手放したくても手放せなかったもの、探しても探しても見つからないもの、見過ごしてしまったこと、もう二度と会えなくなってしまった人。息継ぎをする暇もなく時間は過ぎて、どこにも立ち止まることのできない海の中にいました。

こんな日々は、きっとずっと続く、そう思って、(遅すぎたけれど)止まっていられないと気づいて、前を向いて、絶対に掴みたいものを自分の手で掴むんだと決意をすることができたのは、この別れの日々があったからだと思います。

そして私は、本当にたくさんの出会いに恵まれました。引き寄せられるように幸せだった時間がありました。本当に悔しいし悲しいことばかりだったけれど、それらの度合いを比べることはできないけれど、今やこの先の未来を、大切にできるたくさんのことに出会えました。自分から動いて初めて得られたこと、ずっとほしくて待ち望んでいたもの、ぶれさせてはいけない想い、誰も気がつかなかったほんの些細なできごと、縁が広がっていったこと、ずっとずっと大切にしたい人。そして、私のまんなかに強くあり続けた夢を、やっと形にできるときがやってきそうです。この夢だけは、私の唯一の希望でした。未来でした。


この4年間のことは、目を瞑ってもう二度と思い出したくないことばかりです。でもその中に、きっと忘れもしない時間があったから、ただ楽しかったとか悔しかったとか一言で片付けられない気もしています。都合よく面倒だったことは忘れてもいいのかも、と思います。大切な想いや時間だけをしまっておけばいい。

だから、時が止まっているような気もしました。辛いような、着実に終わりに向かう以外の道筋はないけれど、その中に私は何を見たのだろう。大切にしなければいけないものを、私の中だけで抱きしめて守り続けること。短絡的な感情や、安易な勢いに振り回されたり惑わされたりすることなく、もっと先で、大切なものを抱きしめて離さないで守ることを、ずっと忘れないでいたいです。


結果論としてしか、その未来に立つ自分にしか、この道のりがよかったなんて言えない中で進むしかないのだけれど、その未来に立つ自分は今だから、今の私が幸せでいなきゃいけないんだと思います。


長い長い、あっという間の4年間でした。たったひとつの、高いビル群の隙間から見える一つの星だけを追いかけて、闇に飲まれ、何度周りが見えなくなっても、立ち上がることができなくなりそうでも、私は、ずっと変わらなかった夢と、側にいてくれた大切な人たちのおかげで、こうしてまた、前を向いていることに、なんという名前の感情をつければいいんだろう。感謝だけでは足りない、大きななにかがあるんだと思います。

本当に、たくさん悔しかったです。そしてたくさん幸せでもありました。これらは多分、この先も一生このままだと思います。この悔しさや幸せ、出会えたものや大切な人たちを抱きしめて離さないで、これからを生きていくのだ、と、そんなふうに、これらの日々や時間のどこかが、愛おしかったです。

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