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betterとbestの間に

「皆、betterとbestどっちがいいかな?」
「先生、bestです」
「私もbest」
「bestっててっぺんですから」
「でもてっぺんって成長しないよね」
「いえ、また次のベスト目指しますから」
「それって言ってみればベターじゃないかな?」
「うわ、論破されている」

私の生活の傍にはいつもラジオがいて、家事や作業をする時もラジオを聴いていることが多い。その時はオードリーのオールナイトニッポンを聴きながらパックをしたり、歯磨き、歯磨きをしていた。オードリーANNを聴いていると終盤に流れるあるCMでいつも心がざわついて、毛を逆立ててしまう。
それは会話形式で進むCMで、先生の「betterとbest、どっちがいい?」という問いかけから話は始まる。bestがいいと答える生徒に対して先生は、bestだとのびしろがないため常にbetterを目指すべきだと答えるのだ。このCMを聞くたびにラジオの空気がふぁーっと霧散して現実に引き戻されてしまう。
この話は生徒も先生も言いたいことは同じで、betterも bestも同じ意味で使われている。それなのに生徒が誤った価値観を持っている様な先生のセリフに、心の表面を爪で撫でてくるような気持ち悪さを感じる。
要は評価者の時間軸が違うだけ。bestが良いという生徒の目線は行動者と同じ時間軸で評価しているが、betterがいいという先生は全てが終わった後に評価をしているのだ。教科書に歴史の偉人について書き綴るようなもの。言葉は違えど同じようなことを考えているのに、前提条件が曖昧なせいですれ違ってしまっている。CMが始まってから終わるまでに頭の中でこの整理を繰り返していて、きっと日常でもよくあるんだろうななんて思って、気づけばまたオードリーのトークに戻っている。
実はこのCMが始まってからずっと思っていたけれど、オードリーのお二人のトークが面白いので、終わる頃にはいつもすっかり忘れてしまっている。書こうと思ってから随分と時間が経ってしまった。思ったことを形に残すのは難しい。

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