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開業届に纏わるエピソード

開業届を出そうとしていて、その話をすると
「私も出す!」
という仲間がいて、心がとても温かくなった。

そもそも自分で活動しますよという宣言をするための開業届を、誰かと同日に出すってあまりないことかもしれない。

お互い依存し合う関係ではなく、刺激をもらう仲間。

刺激しあって活動の幅がだんだん広くなってきて、だったら出しちゃおうということになった。

普段まったく占いなんて気にしない質だけど、珍しく『この日』に出すと決めていたので、提案してみると、仲間も乗ってくれた。


そういう日に限ってなにか起こる

そうして迎えた当日。

早朝から息子の体調が悪い。

彼は血が止まりにくくなる持病を持っているが、しばらくはその病気は存在しないかのようになりを潜めていた。
でも今回は放っておくべきではないと、直感した。

ひとまずかかりつけ医にかかる。

そこではいつもの大きい病院での受診を勧められた。
まあ、ここまでは想定内。

大きい病院で検査をすると、思った以上に数値が悪く直ちに入院することが決まった。

けれどベッドが満床で1日だけならという話だった。

もう何度も入院してきたが、1日というのはあまりにも心許なかった。

そこで他の病院を紹介して戴いて、そちらに入院することになった。

病院のベッドに無事収まったのは、19時ころだった。
病院といえばコンビニというくらい、入院すると何度も通うコンビニで最初の夕飯を買って病室で食べた。
私たちがリラックスして病院での日常を始めた頃、医師や看護師さんたちはいそいそと準備をしてくださりいつもの治療が始まった。
いつもと変わらないけど、スタッフのユニフォームが見慣れない。
いつもとは違う病院にいると再確認する。


とってもありがたい存在

息子が小さい頃から、入院中の子供たちの最大の楽しみはYOUTUBEというのはお決まりだった。
そしてかつては、通信料を気にしながら子どもたちの娯楽を許してきたのだが、最近ではフリーWi-Fiを備えているところが多い。もちろん今回の病院も同じ。

治療しながら、体調の良いときにYouTubeに没頭する。

私は自分のiPhoneを子どもに渡して、自由に見させていた。
時折弟とLINEでやり取りしていたが、普段離れることなく一緒にいる二人は、猛烈なスピードでLINEの操作をマスターして写真を送ったり、通話したり、スタンプや文字を装飾したりしていた。
二人の会話ともいえない会話を横で聞いていると、まったりとした安心安全な二人の世界を覗くことができた。
この世に生まれたときから一緒にいるふたりだからこその以心伝心。
言葉の行間に流れる信頼みたいなものを聞いていないふりをして聞いていた。

ところが突然その通話が切れてしまった。
どうも通信状態が悪いらしい。

YouTubeを見ていても度々途切れることがあり、通信速度はかなり遅い。

けれどグルグル回る表示を見ていると、その画面を覗く子どもの顔が見える気がした。
同じ階に入院している子どもたち。

鳴き声から幼い子供たちもかなりの人数いると推測できた。

子どもが入院して不安になって、必死の思いで検索窓を覗いている親もいるだろう。
病棟のWi-Fiには、そういうたくさんの家族がぶら下がっている。

私自身も息子が幼いときには、不安に押しつぶされそうになっていた。
入院っていう非日常が、とんでもないストレスになっていた。

今はどうかというと、もちろん元気なことが大事ではあるけれど、乗り越えられることを知っている。どうせ乗り越えるなら悲観して苦しんで乗り越えるよりも、また入院かってどこか楽観して一日一日を積み重ねた方がいいと知っている。

けれどもそれは経験上、知ることが出来たこと。
今を乗り切るには、やっぱりYouTubeで気を紛らわせたり、いくつもの検索窓を経由して知りたいことをトコトンまで調べることが必要だろう。

グルグル回る待機画面をみながら、同士たちをそっと応援する。


なんとなく一人ではないと感じる

「開業届を出したよ」
という報告をメッセンジャーで確認しながら、何とか当日出せないものかとも思ったけれど、開業日は自分で決めることができ、1ヶ月以内に届けを出せばいいので落ち着いてから提出することにした。

開業届をだすというepisodeが、仲間の中でも様々なパターンがあるというのも面白いだろう。私の場合は「言い出しっぺが出しそびれる」という感じ。

自分がこれから何をしたいか、どうしたいのか、誰のためになのか。

考えるいい機会になった。
バイブルともいえる本を1冊だけ持参していたが、その本を何度も読んだ。

テクニック的なところもだが、今回のことで1つ思い出した大事なことがある。

小さなことに大きな愛を

マザーテレサ

子どもが入院するたびに落ち込んでいた時期に、とても大切にしていた言葉。
確かマザーテレサの言葉。

親が出来ることって、もうこれしかない。

そして今回、この言葉をはっきりと思い出した。
私がこれから生きていくなかで大事にしたいこと。

私の活動の中心は『子育て』に関すること。
私が人に教えられるようなことって、おかあさん業をするうちに身につけたことしかないし、本当に役に立つかなんて受け取り側の判断に委ねるしかない。
ではどうすればいいのか。
しっかりと向き合って成果が出るように伴走すること。

1歩踏み出すその前に、もう一度自分自身を知ることができた。

子どもは5日間入院していたが無事に退院することが出来た。

治療自体は点滴を受けると終わり。

けれどもいつも副作用に苦しむ。
大変な頭痛に襲われるらしい。

今回は…薬を上手く使うことが出来て痛みは最小限で済んだ。
注射嫌い、薬嫌いの息子としてはよく頑張った。

ひどいときには吐き気にも襲われて目が離せないので、ずっと付き添うようにしてきたのだけど、もしも次に入院することがあったら夜の間は付き添いの自分は自宅に帰った方がいいだろうと感じた。

もう彼は大人と変わらないくらい大きくて、ベッドに入る余地はないし、ベッドサイドもそう広くない。
モニターも正常に作動している。小さいうちは寝返りなどで外れてしまっていたけれど、今は彼の異常を正確に感知することが出来るだろう。

なにより自分自身でナースコールしたり、不調を言葉で知らせることが出来る。

私は仲間に「稼げるようになったら、付き添いベッドのある個室を利用出来るようになりたい」と言ったら「違うよ。ガッポガッポ稼いで、病気も治って、いろんなところに旅行に行くんだよ」と返された。

そうか、未来はそうなっているのか。
明るい方に誰かが手を繋いで導いてくれる。

小さなことに大きな愛を注いでいくとそういう未来が待っている。

子どもは大切。
子どもこそ全て。

わからなくもない。
私もそうだった。

けれどもそうではない。
実は子どもは子どもの人生を生きている。
親は手助けする存在で、自分自身を生きていかなくてはならない。

家での日常も動きだした。
さあ、溜まった仕事を片付けよう。


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