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10キロ太ったら、親の束縛から自由になったはなし

はじめに

毒親育ちにとって、自分の親がそうであると、いつ気付くのだろうか。
最近は、毒親というワードが流行っているから、案外早いかもしれない。
私の場合は、その呪縛から逃れられたのは、まだ最近で本当に抜け始めたのは、5年くらい前だろうか。

自己選択って!?

そもそも、毒親育ちにとって、自分というモノがないがしろにされているので、自己選択ってなんだって。
自立して家庭も持っているから、それなりに、自分の世界があるようにも見える。けれど、わざわざ自分から親に相談したりして、いざというときの選択を親に委ねるのだ。人生の難問に差し掛かったときこそ、自分で決められないので、わざわざ相談する。
相談して、考えて決めるなんて、体裁のいい言い方だけど、自分で決められないので周りの人に委ねているだけ。
結果、状況は自分の想定外のところにいってしまう。
でも、私は、親の言うとおりにした。間違えていない。
本当に、自分だけ、安全な繭のなかに隠れていていいのだろうか。
そもそも、繭の中は安全なのだろうか。

産後太りが功を奏したもの

子どもを出産して、体調はあまりいいとは言えなかった。
けれど、子どもたちは待ってくれない。
体力が必要なので、美容とか、おしゃれはどこかにいってしまった。
必死でなければ、育児は出来なくて、結果、以前よりも体重は10キロ増えた。
もちろん以前であれば、その増加について、親はとやかく言ってきただろう。けれど、産後、体調を崩したので、栄養をつけることについて、病院からの指導もあり、あまり言われなかった。
孫に視野が移ったせいもあるだろう。

母親は、買い物が好きなので、私の服やパジャマなんか、よく買っていた。正直「なんで!?」という奇抜なモノも、値段が下がっていたからとか、パジャマだから、見てくれよりも、素材がいい物の方がいいと渡された。

私は、服について、自分が着たいモノよりも、もったいないから着なくてはという、変な理屈で着ていた。

Lサイズがくれた自由

そうこうしているうちに、体格が良くなったので、パンツのサイズがMからLサイズになった。
毎日パンツを履くたびに、なんだか、ニヤけてしまうのだ。

ああ、これが自由

パンツごときに、毎日感動した。

もう差し入れは、きっぱり断ることが出来る。
だって、入らないから。

毎日、こう思って、感動していた。

まだ高校生くらいのときの私は、いつもガードルを履かされていた。
体重は48キロで、テレビで観る女の子よりはちょっと太っていた。

太っているから、ガードルを履かされていて、サイズはS~Mくらい。
正直Sサイズは、なんとか入るくらいで、脱ぐとぎゅ~~っと、締め付けた痕がウエストとか、足の付け根についた。
生理の時には、具合が悪くなって、過呼吸の発作を起こすこともあった。
ガードルを脱いで、痛み止めを飲んで横になると少しずつ回復した。
タイミングを逃して、過呼吸がひどくなると、手や唇がしびれて、呂律も回らなくなった。
布団でうずくまるしか出来なくて、動くと吐いた。

病気ではない、大袈裟なんて言われたから、メンタルが弱いのか、それとも何か悪い病気が隠れているのかって怖がっていた。
ときには、このまま死ぬのかとさえ。
自分だけ、毎月来る生理というモノに対応できず、他の人はどうやっているのだろうと不思議だった。

一方、母はガチガチのボディスーツを着ていた。アレを着させられると、いよいよマズいぞと恐れていた。
当時は、ボディスーツかガードルという2択しかなかったのだろう。

成長期に、体を締め付けて育ったので、その後、しっかりツケを払っている。中年になった今、産婦人科には途切れること無く通っている。

主婦だもの

服の選択の自由を手に入れたので、UNIQLOとか、シマムラとか、H&Mとかファストファッションに手を出した。

子供服も買うので、とにかく手軽さを求めた。

価格も高くても3000円くらい。

主婦なので、大体これくらいが予算。

あるとき、子どもたちの写真を見たときに、写っている自分にビックリ。

あまりにもダサすぎた。

これまでも、母の差し入れの奇抜な服、親戚の手作りのワンピースなど。
ダサい服しか着たことのない私だけど、これはなんとかせねばと一念発起した。

主婦が前提。

予算を上げれば、いい服は変えるかもしれない。
でも、センスがない。

着回しが出来ない。

まして、ストックも薄い。

考えた末に、服のサブスクを頼ることにした。

自分の条件は

  • 値段は1月につき1万円以内

  • ビジネスシーンもOK

  • 上品そうに見えるモノ

期間としては秋~夏くらいまで、1年弱お世話になった。
やめた理由としては、パートとして勤めがあったが辞めたので、贅沢だと判断したからだ。プラス「エコーセール」というのが定期的に開催されていて、そちらのセールでエアクロの服を購入できる。
新品もあるが、中古品なので、1枚3000円くらいの予算で、買い物が出来る。
余所行き服ではなく、普段着が中心なので、今はこちらの方が魅力的。

服のサブスクを利用して思ったこと

通りすがりの人の服をみて、ファストファッションだなとか、いっちょ前に、見分けがつくようになった。

自分のクローゼットを改めて観てみると、実は、好きなブランドで固まっている。たくさんあるエアクロの商品から、自由に選んでも、自分の好み=あるブランドで固まるようだ。

このブランドが好きなんだと認識すると、こういう着こなしで着てみようとか、ブランドのコンセプトとか、ひいてはデザイナーに尊敬の念を持つようになった。

こんな風に見えるように、デザインしているんだな

だったら、こういう風に着たいな

こう思うようになったから、少しおしゃれになった。
そして、おしゃれが自由になった。

自分のなかの都合で服を選ぶのではなく、服の魅力に合わせて着こなしを考えるようになったから。

これまでは、服に着られていた。
今は、服を着こなすようになったというところだろうか。

自分っていいな

少しだけ、本当に少しだけだけれど、自分っていいなと思うことが出来た。
パンツがLサイズになっただけだけど、それをキッカケに自分で選ぶことを知った。

自分で決めてもいいんだ。

中年になった今更ながら、そう思うようになった。
そして、親には少し退散してもらうことにした。

そもそも、自分から近寄っていたので、方法は簡単で、なるべく近寄らないだけで事が済んだ。

親には、もちろん幸せでいて欲しい。
でも、影響力があるだけに、一緒にいる間の、ちょっとした一言で、自分をねじ曲げられてしまう。
一緒にいることにこだわらない方が、幸せに過ごせるのではないだろうか。

毒親育ちと、最初に書いたが、毒親が悪い親とは思っていない。
親なりに、子どものことを思っている。
ただ、やり方が正しくないだけ。

わたしも大人なので、自分なりに生きたい欲が出てきた。

自分なりに生きると決めても、スタートはフワフワしていて、危うく見えるところから出発だ。
これまでは、このフワフワな状態を親に報告して、ストップすることを繰り返していた。

今は、フワフワ危うい状況を自分の力で踏ん張りたい。
何事も自分で決めて、自分で頑張ればいいのだから。



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