いろいろなレンズで医療現場を見つめる視点を持ちたい(文化人類学からの提案)

医療人類学に出会って、最初にアーサー・クライマンの『病いの語り』を読んで、強い衝撃を受けました。それによって、私には次のような変化が起こりました。

アーサー・クライマンの本を読んで.001

今日はこの中から医療専門職の『自文化中心主義』について書いてみたいと思います。自文化中心主義とは、自分の属する文化の価値を基準に、他の文化を判断することをいうのですが、自分の文化がいちばん優れていて、他は劣っていると考えることを指します。医療専門職はその教育過程で、徹底的に医療専門職としての文化をたたき込まれますので、医師の指示に従わなかったり、提案に同意しない患者さんに遭遇すると”問題患者”として批判的な視線を向けます。しかし、医療者にとって「当たり前」のことが、一般の人にとっても「当たり前」とは限りません。今日は医療専門職がしばしば使う表現から、この問題を考えてみたいと思います。

■「病識がない」からみえる『自文化中心主義』

糖尿病診療の現場ではしばしば「あの患者、病識がなくて困るよ」といった表現を耳にします。この「病識がない」という表現は医療専門職文化の中においてのみ通用する言葉で、一般社会ではあまり使われません。一般社会にも通用する言葉で表現すると、「医師の指示に従わない患者」のことを表現する言葉であることに気づきます。要するに「病識がない」という言葉は医療専門職の『自文化中心主義』を象徴する言葉であることに気がつきます。私たち医療専門職は自分たちの文化では理解できない異文化を生きる人々を「病識がない」という表現で切り捨てているのです。

■医師のカルテに散見される「拒否」という表現

拒否.001

医師が記載するカルテには時折「拒否」という表現が散見されます。

・精査入院を勧めたが「拒否」

・インスリン療法を勧めたが「拒否」

・心房細動のリスクについて十分に説明し、抗凝固療法を勧めたが「拒否」

この「拒否」という表現には「医師の提案は絶対的に正しく、患者はそれに従うべきであり、従わなかった場合に生じる不利益に対して、医師は責任を負えない」という意味が含まれているような気がして、いつも胸が痛みます。医師が患者に対して検査や治療などの医療行為を提案するとき、医師がその結果に対して、患者と責任を共有し合う関係が構築されることが望ましいと思われます。医師がこうした患者と責任を共有しあう姿勢を持っているのなら、「拒否」という表現は使わないのではないでしょうか?

患者が医師の提案を受け入れなかった場合、どのように表現したら良いのでしょうか?昔の私は「同意されず」と表現していました。しかし、その後『固辞する』という表現を使うようになりました。『固辞する』という表現には「同意できない」「どうしても同意したくない」という患者さんの強い意志を表現できると考えたからです。異なった文化に出会ったときこそ、私たちは患者さんの生きる世界を理解しようと努力することが求められる瞬間なのです。

■病いの当事者は異文化を生きる人々である

2つのまなざし.001

医療人類学には「疾病/病い二分法」という考え方があります。医療専門職が考える病気を「疾病、Disease」と呼び、患者によって体験されている病気を「病い、Illness」と呼びます。医師はDiseaseの専門家ではありますが、患者がどのように病いを体験しているのかは分かりません。例えば、腫瘍内科医は白血病がどんな病気であるのかは知っていますが、目の前の白血病患者がどのように白血病を体験しているのかは分かりません。その意味において「医療者にとって、患者とは異文化を生きる人々である」とも言えるのです。

■すべての診療実践は意味の解釈を伴う解釈学的実践である。

バイロングッド.001

米国の文化人類学者であるバイロン・グッドはその著書(『医療・合理性・経験 バイロン・グッドの医療人類学講義』)の中で、

「人間の病いは基本的に意味論的な、つまり「意味」をもつもの(meaningful)であり、したがって、すべての臨床実践は本来 意味の解釈を伴う解釈学的実践である」と述べています。

このことを、日常診療の場面を例に説明してみたいと思います。

医師:あなたのA1cは12%、蛋白尿も出ていますし、眼底出血も始まっています。糖尿病の合併症が全部出ているんです。これがどういうことか、分かりますか?すぐにインスリン注射を開始しないと大変なことになるということです。

患者:インスリンを注射するくらいなら、死んだ方がマシです!

これに対して、多くの医療専門職は「病識のない、困った患者だ」と反応するのではないでしょうか? しかし、同じ言葉に対する一般の人の反応はどうでしょうか?おそらく「この人、いったいどんな気持ちから、死んだ方がマシだなんて言ったんだろうねぇ」「インスリン注射って、死んでしまいたくなるくらい、つらい治療なんだろうねぇ」など、さまざまな反応が聞かれるのではないでしょうか?

それではなぜ医療専門職は「病識のない患者」というステレオタイプな反応をするのでしょうか?

それはおそらく医療職は「自分たち専門職の判断がもっとも正しいと信じている」からであり、もう少し正確に言うなら、私たち医療専門職はその教育過程を通じて、『医療専門職文化』というレンズで世界を見るように訓練されてきたからに他なりません。私たちは生まれ育った家庭、社会、環境から学習し、それが”当たり前”と考えるようになります。こうして形成されるものの見方・考え方=「文化」はしばしば世界を見つめる『レンズ』に喩えられます

■さまざまなレンズで世界を見つめられるようになりたい

私たちの日常診療にはこうした『意味』の解釈が求められるシーンに満ちあふれています。そのとき、私たちはさまざまなレンズで世界を見つめることができるようになれたら、どんなに良いだろうかと考えるのですが、まさにこれこそが、文化人類学が私たちにもたらしてくれる恩恵なのです。




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