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コミュ力って何だろう

こんにちは。マリエです。文字とともに生きる。

独りよがりなコミュニケーションは一種の装備

「虚無の蔓延」というパワーワードが入ってきた。虚無が蔓延している。ツイッターを眺める毎日には虚無が蔓延している。己の存在が虚無になる。

SNS社会になり、核家族化、単身世帯の増加が進み、各産業のデジタル化が進み、人と人が対面でコミュニケーションする機会が減った。
『コミュニケーション』とカタカナでごまかすのではなく、日本語として理解しようと思うと、『対峙』という言葉がぱっと浮かんだ。

『対峙』とは、”にらみ合っているさま”などを指すようだが、現代のコミュニケーションはまさに対峙、己と己のぶつかりあいになっていると感じる。

たまに出くわす、己の話を一方的にぶちまけて相手を疲弊させる存在。本人は気持ちよく話しているようだが、これはコミュニケーションではない。対峙であり攻撃である。

コミュニケーションは本来、対峙でもなく戦いでもない。いうなれば『融和』である。われわれが肉体的境目を超え、一つになる手段である。

このたまに出くわす、相手との融和を成しえない一方通行コミュニケーションは、攻撃的かと思いきや本来は『守備』、つまり自分を守るための装備なのだと思う。

コミュ力って何だろう

最近、コミュニケーションやコミュ力について考える。コミュ力っていう言葉は、なんとなくチャラい感じがする。別の言葉を考えたい。
私はいわゆるコミュ力を先天的にもって生まれた。コミュ力には恵まれた人間だ。

しかし、このコミュ力とされるものを『一種のスキル』かのように扱うのは、いかがなものかと思う。磨けば光るものなのだろうか。なんか、ちょっと違うと思う。

流暢にしゃべること?話題が豊富なこと?人を選ばず話せること?

果たして、コミュ力に求めるものって何だろう。人とのコミュニケーションに悩む人は、もっと前段階の根本的な部分を埋めることが大事な気がする。

まずは安心すること

『安心』という経験は、人間性を致命的に左右する。安心できる場所、安心できる時間、安心できる存在、それらを経験しなければ、常に戦闘モードでストレスにさらされ、自己開示はもちろん他者受容も難しくなると思う。

私見だが、コミュニケーションに難がある人は『安心』が足りてないように思う。コミュ力を上げようと、うわべだけのコミュニケーションスキルを習得するのではなく、まずは『安心』できる経験を積むのが先決に思う。

多くの場合、『安心』とは家族という単位に求めがちだが、家庭環境に難がある人は、他人でも宗教でも偶像でも何でもいいから自分にとっての『安心』を感じられる場が見つかればいいと思う。

ありのままを出す難しさ

「ありのままの自分でいる」ことは大層むずかしい。赤子としてありのままの姿で生まれたわれわれは、「ああしなさい、こうしなさい」と怒られるのが怖いから、面倒くさいから、周りにあわせてだんだんと自分を制御するようになる。
自分を制御することが習慣化すると、「ありのままの自分でいる」ことはとても困難になる。本来もっていた”ありのまま”を失いたくないと思いながら、私は子どもが机をたたくのを注意する。しつけって何だろうといつも思う。

ありのままの自分を出すと嫌われてしまうんじゃないか」「迷惑をかけてしまうんじゃないか」そんな風に思うこともある。でも実はこれが真逆なことを知っている。しかし、知っていても行動に落とし込むことは難しい。私にはまだ修行が足りない。

【ありのまま×安心】の訓練をする

人間はシンプルで、訓練しなければできるようにはならない。何事も初っ端からいきなりできるタイプの人間がいるが、それはレアポケモンと思って差し支えない。とるに足らない自分は、訓練をするしかない。やればできると思ってやるしかない。

誰しも最初っから歩けたわけじゃない、床を這いつくばって、棚にもたれて、人の足をつかみながら少しずつ足腰とバランスを鍛え上げていく。
世にいうコミュニケーションスキルを本当の意味で上げるには、【ありのまま×安心】で他者と交わる機会を増やすことが有益だと思う。最初は怖いかもしれないけど、傷つく覚悟で進むしかないのよね。

嫌われたらそれまで

わかってるのよ、頭ではわかってるの。嫌われたらそれまでなんだけど、わかっていても『嫌われる勇気』ってなかなか出せないよね。わいも絶賛訓練中です。一体何年がかりの訓練や。しかし、人は急に変わることはできない。徐々に徐々に、気づいたら大きく変わっている。
長年の訓練のおかげで、私はついに猫をかぶれなくなった。最近では、嫌なときは嫌な顔しかできない。これでええんと思います。

なんとなく、自分がコミュニケーションという言葉について思っていることを綴ってみた。10月24日(火)、せせらぎと焚火を眺めるだけの会で、需要があればコミュニケーションというものを一緒に考える会をやります。何卒。

サポートいただきましたら、私も誰かをサポートしエンドレスサポートトゥゲザーします。