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翻って、自己はない

こんにちマイザー。みなさまいかがお過ごしでしょうか。
相変わらず私はタフでマッスルでハッスルな心と裏腹、軟弱な身体でバランスのとれていない毎日です。健康的に入院したい。健康な入院で、誰かに保護されてる感にあやかりたい。不健康な入院は避けたい。

本日は、若干哲学ちっくな内容です。
(内容いみわからん、みたいな人もいらっしゃるかと存じます。)

結論、自己はない。

もし、メンタルがお元気なときだったら読むことをおすすめできるのですが、もし病んでるときだったら絶対に読んではいけない『二十歳の原点』っていう本があります。

(精神が不安定なときはぜったいに読んではいけない、ひっぱられるから)

センシチブなティーンの皆さまが陥りやすい、自己との葛藤、社会との葛藤、機微な心の動き、刹那と希望のせめぎ合い、そんなものがリアルな二十歳の女性の日記として遺されている貴重な一冊です。
でも、病んでるときはぜったいに読まないでください。精神がすごーーーく元気なときにだけ、読んでください。

わたしがスタートするCommuComでは、他者とコミュニケーションをするうえで、まず『自分を理解することが大切』と伝えます。ただ、これはすごく誤解を生じさせる表現でもあって、矛盾にも聞こえるかもしれませんが『そもそも自己はない』という仮説を最近もっています。

自己はなにも解決してくれない

わたしの古い記憶で、どこまで情報が確かなのかわかりませんが、わたしが好きでよく引用する話で、ニューカレドニアの先住民のカナク人の話があります。

カナク人は言語がとても特徴的らしく、当時読んだ雑誌に

”カナク人には『からだ』を表す単語がない。
(だから、太ったも痩せたもない)
自分たちの存在は、
『からだ』という個体に
閉じ込められてるという認識ではなく
『魂』として存在する。
自他の区分が曖昧で
『魂』としてつながる。
だから、木ともブラザーだぜウェイ”

説明ヘタかも、スマヌ

みたいなことが書いてあった。
それを読んだ当時のマリエちゃんは、この考え方がおもしろくて心が燃え滾った。

自己は曖昧で、つねに建設過渡期

人間が『自己と向き合う』ってとても大切なことだと思うけど、ちょっと人間の心を複雑に捉えすぎてしまうきらいがある。心って、にんげんって、実はもっとシンプルかもよ。とのお告げ

逆にいうと、自己と向き合いすぎると、ドン詰まりがち。答えはないのに、答えを探しつづけてしまう感じ。だからといって、自己から逃れ続けるのも違う。適切な容量の自己と向き合うことは必要。

自己と向き合うことで『自己ってめちゃくちゃ脆くて曖昧やんけ』ということに、自覚的になれたらよいのだと思う。確たる自己は存在しない。鮮度フレッシュな今の自分を掬うしかない。

福岡伸一先生っていう生物学者さんがいますけど、わたしたち生物って『今』の連続で存在しているわけであって、『ずっと居続けている』存在ではない。(表現むずかしい)
昨日の自分と今日の自分は違う。わたしたちは、壊れて、つくられて、を繰り返し、たまたま今生きている。(気になる方は動的平衡でググr)

『自己』という目に見えないものも、同じじゃないかと思う。
「昔●●な経験したから、今●●なんだ」
という原因論的な解釈だけでなく、
「今●●であることを納得するために、昔の●●を持ち出してる」
という結果論で考えるのが建設的だと考えている。(アドラー的な)

たとえば、
「昔いじめられたから、コミュ障です」
という人がいるとする。

それはとても心が痛いことだが、上記がわかったところで、時間は戻せないし過去は変えられないので解決策がない。ドン詰まる。これが原因論的な考え方。

つぎに、
「わたしが今コミュ障であることを納得&説明するために、過去の経験を活用している」
という認識に替えたとする。

「いじめられたこと」をコミュ障の言い訳に使っているだけであって、だからどうした、となる。こう認識すると、だからどうした、の次は「どうしようか」と考えるしかない。原因がわかったとて、今のコミュ障が治るわけではない。

自己を理解したり、心の状態がわかったところで、何も解決しない。自己を理解したことで、行動がかわればそれは変化である。わたしたちは想っている以上に、心だけでなく行動や環境に大きな影響を受けているんじゃないかと思う。
行動や環境次第で、いくらでも自己(心)は変化するんじゃないかとも思える。

だから、確たる自己はなくて、つねに自己が建設途中なんちゃうか〜しらんけど〜

行動分析学がおもろい

おもろい、おもろすぎる。1冊本を読んだら、あまりにおもしろくてまた別の本を読みはじめる。行動分析学、めちゃめちゃおもろい。

行動分析学は、心理学の一学問体系であるが、驚いたことに一ミリも感情に触れない。心の在り方に一切触れない心理学なのに心理に触れない。ワロス。最高。気持ちよい。潔い。

わたしは日々子どもと暮らしていて、生活のいたるところに無意識にこの行動分析学にそった取り組みをしてると気づいた。

どうやったら人は行動するのか?どうやったら問題行動を解消できるのか?どうやったら望ましい行動を起こせるのか?
そんなことを、心理一切無視で解説してくれる行動分析学。最強におもしろい。事例なんかはまたこんど書きたい。

ご興味ある方、ぜひ本読んでみてください。

さいきんの脳みそでした

ということで、最近のわたしの脳みそを放出してみました。読んでくださった方がいらっしゃいましたら、ありがとうございました。

今週末は青森・三沢のマーケットキャラバンにて!
よろしく哀愁でございます。


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