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欅と櫻とキャプテンと

櫻坂46 2nd tour "As you know?"
愛知公演2日目を運よく目の当たりにでき、満足感と疲労感と少しの寂しさとともに家路につきました。

どうしても日程の都合がつかず福岡公演に行けない自分にとって、いわゆる「地方公演」を見るのは最後の機会でした。


残るは東京ドーム公演。
櫻坂46のキャプテンを務め、私の「推しメン」でもある菅井友香さんにとって最後のステージ。

その公演について、大きな話題を呼ぶトレーラーが発表されたのは、愛知へ向かう夜行バスの中でした。

欅坂46東京ドーム公演から櫻坂46東京ドーム公演に至る日々。
欅坂46・櫻坂46菅井友香キャプテンのラストステージとなることに触れる一コマ。

そして、もう新たな作品で耳にすることはないと思っていた「欅坂46のOveture」が流れはじめる。

たたみかけるように、菅井友香さんの姿と[fusion]の文字と共にその動画は終わったのでした。
詳しい説明もなく。

なかなかまとまらない感情の中で、真っ先に思ったことをこうツイートしました。

そして様々な方のツイートを見て―――約2年前からその名前について触れられるたびに巻き起こってきたように―――「欅坂46」と櫻坂46東京ドーム公演について様々な意見を目にしました。
 
今に始まったことではありませんが、SNS上には興味深いものから全く理解できないものまで様々な意見に溢れています。
いちいち気にする必要もないし、今回もそう違いはないのですが…。

キャプテンの、推しメンの節目に臨む今、冷静になりきれず複雑な気持ちを拭えずにいます。 

トレーラーがどうあれ
これからやってくるであろう事前情報がどうあれ
その公演で見られるものはその場に臨まなければ分からない。

憶測を立てても何の意味がない。

それを改めて胸に刻んだ上で、それでも自分の心の整理のために、今思うことを残したいと思います。

残したいと思いますが…

「渡邉理佐 卒業コンサート」を控えて「欅曲」についてツイートしていたことです。
簡単にまとめてしまえば、一番はこういうことなんだろうなと思います。

「櫻坂46東京ドーム公演」と「欅曲」

菅井友香さんの旅立ちともなる東京ドーム公演。
何らかの形で「欅坂46」について触れるんだろう。
「欅曲」もパフォーマンスされるのだろうか。
「fusion」というからには、少なくない時間そうなるのかもしれない。

そんな想像をしつつ、その公演で欅坂46に触れることについて
個人的には「そりゃそうだよね、欅にも触れるよね」と真っ先に思ったのでした。

「メンバーが望んで」欅坂46の曲に触れるなら、それをただ前向きなものとして受け止める以外に出来ることはない。

かつて「大切にしてきたことを今一度手放す」選択をしてたどり着いた櫻坂46だからこそ、手放したものを「あえて手の中にまた収める」ことだって、メンバーが望むならばそうすればいい。

受け手はそれをただただ目の当たりにすることしかできない。そう思っています。

かつて菅井友香さんは「欅坂46のためなら死ねるなって思ったんです」とまで言葉にしました。
今どう感じているか全てを知ることはできませんが、櫻坂46になってからグループを前向きに導こうとする言葉の中にも、欅坂46に対する思いを感じさせる言葉をたくさん残しています。 

そんな菅井友香さんの願いなら、櫻坂46メンバーが思うなら、欅坂46の曲を「櫻坂46東京ドーム公演」でやることだって「櫻坂46の今」を目の当たりにする一つとして楽しみに待っていたい。
それに対しての好き嫌いは人それぞれ当然あるはずだけれども、今はとにかく目の当たりにできるのを楽しみにしたい、そんな気持ちです。

「櫻」坂46のツアーで
それも「1st」アルバムを引っ提げた公演のラストで
加えて「東京ドーム」公演で欅坂46について触れる必要はあるのか。

櫻坂46として進む今、水を差されたような気持ちになる。そんな意見も見かけました。 

素晴らしい地方公演、言うまでもなくそこには「欅曲」「欅坂46」を感じさせるものなどありませんでした。
過去の姿に囚われる必要がない、凛々しく進む「櫻坂46」が詰まっているライブだと思っています。

だから、櫻坂46東京ドーム公演という一つの節目で、過去の姿でもある欅坂46に触れる必要があるのか。
そういう姿は見たくない。

その意見も分かるけれども、(菅井友香さんやメンバーが望んでいるという前提ですが)キャプテンの旅立ちを控えたライブで欅坂46に全く触れないということもまた噓になる、それまで進んできた道のりを否定することになってしまうと私は感じています。

言わずもがな、積極的に欅曲「を」やってほしい、欅曲がなかったら残念だというつもりではありません。
(と言いつつも心の中には目の当たりにしたいと思う曲はありますし、最近その気持ちが漏れて止まらなくなってもいますが。
これは、今の自分にとって文章に書きづらい気持ちです。それをも残しておきたいのですが。)

メンバーが望むならと繰り返し言っているけれども、本当に望んでいるものなのか、どのような経緯で「fusion」にたどり着いたかは分かりません。
欅坂46の改名と同じように、(おそらく)メンバーの意志など関係なく、色々な思惑の中で運営が決めたことかもしれない。

でも、「嘘と真実」など受け手に分かりようもないし、分かることなどできない。
分かりようもないのだから、目の当たりにするものは「きっとメンバーが望んでいるはずだ」とそう信じるしかない。

メンバーが望むならば、受け手はそれを素直に楽しみに前向きに待っていなければ懸命に作り上げるメンバーに対して失礼にもなってしまうのではないか。
メンバーはいつだってライブで「正解」を示してきたのだから、東京ドームでもそうなることを楽しみに待つしかない。
きっと、欅坂46も愛するものとしていささか偏った考えだと思いつつも、そんなことを思っています。

「欅坂46」と「櫻坂46」

いわゆる「欅曲」が(ユニット曲を除き)解禁された「渡邉理佐 卒業コンサート」を目の当たりにした後、私はこんなことを書いていました。

櫻坂46は「欅曲をパフォーマンスする」ぐらいのことで、「櫻坂46の今」への思いが揺らぐようなグループではなかった。
きっとそうだろうと思ってはいたけれども、いざ欅曲を目の当たりにすることで鮮明に分かった。
 
必要以上に欅曲への鎧を着ていたのかな、とも感じさせられた。
事あるごとに感じさせられる、変化をも恐れないような櫻坂46への頼もしさが増していた。
 
しかし、当然のことでもあるけれども「欅曲」で目の当たりにした姿は「欅坂46」ではなかったようにも思う(今回選ばれた欅曲の雰囲気や、卒業コンサートという場であることもあろうが)。
かつて際立ったような、不安定さすら伴いながら爆発力を感じるようなものは見られないのだろうな、とも感じられた。
 
でもそれは当然のことで、仮に欅坂46が欅坂46として今存在していたとしても、メンバーや与えられる曲の変化や移り変わりによってグループが変わっていくことは必然だ。
そもそもありとあらゆる組織は変化していくし、変化していかなければ存在している意味がない、とすら思っている。
 
凛々しさに貫かれながら、どんな曲をやろうと、メンバーに変化があろうと、その変化すらも頼もしくいとおしく追いかけたくなる「櫻坂46」が大好きなのだという気持ちも強くなっている。
 

櫻坂46「渡邉理佐 卒業コンサート」に寄せて
https://note.com/m_s_ys/n/nb4584acde2d3#091d99db-e55b-415d-824c-f075e5adceba

これは、頼もしい2ndツアーを経て東京ドーム公演へと向かう今も変わらず思うことです。
 
欅坂46・櫻坂46に―――そもそもアイドルグループに、アーティストに―――何を感じるか何を求めるかというのは、受け手がいつどんな姿を見て知り好きになったか、好きを感じるポイントは何かによって大きく異なっていると常日頃感じています。

だから、そもそも「欅坂46らしさ」「櫻坂46らしさとは」ということも一つの答えがあるようでそんなことはあり得ない。捉え方は人それぞれだし答えはないから。


だからこそ、メンバーがきっとそうしているように
菅井友香キャプテンがきっとそう捉えているように
欅坂46として見せてくれたものも櫻坂46として歩む今も否定せず、どちらも大切なものとして捉えていきたい。

欅曲をやったからといって「かつての欅坂46」は戻ってこない。
同時に、欅曲をやったからといって「今の櫻坂46」が霞むこともない。

そう捉えて、「今の姿」を大切にしたいと思っています。
そうすれば「欅曲を目の当たりにする」ということに必要以上の鎧を着せることもないし、今の櫻坂46にとっては実際にそういうものだと思っています。

「キャプテンの卒業」と「櫻坂46東京ドーム公演」

菅井友香さんの、欅坂46・櫻坂46キャプテンの卒業を控えているから「欅坂46」を東京ドーム公演で「fusion」させるのではないか。

東京ドーム公演は「櫻坂46」のツアー公演として行って、別会場別日程で卒業コンサートなどをやればよいのではないか。

東京ドーム公演では「櫻坂46」としての姿を見たかった。そんな意見もたくさん目にしました。

その意見、とても分かります。

キャプテンの卒業をどう捉えるかは人それぞれだし、全員が「推しメン」と思っているわけでも特別な想いを持っているわけではないし。

それに、地方公演を何公演か経た今、そう思うのは本当によく分かります。


分かるんだけれども…。
「東京ドーム」という櫻坂46が目標としていた場所だからこそ、その場所でキャプテンが旅立っていく姿を見たいとも思うのです。



ここから少し書くことは、本当は簡単に言えることではないし単なる憶測ですが

きっと菅井友香さんが望むならば単独での卒業コンサートもできたかもしれないと思っています。

いつもグループやメンバーを一番に考え言葉にし姿を見せてくれるキャプテンだからこそ
最後の時は卒業コンサートとして菅井友香さん自身がしたいことを、最も輝く瞬間を、ライブを通してずっと見ていたい、そう思うこともありました。
今でもなくなったと言えば嘘になります。

でも、菅井友香さん自身が、キャプテン自身がそれを望まなかったんじゃないかな。
それに、卒業コンサートをするにも東京ドームで行うのは現実的でない。やるとしても他会場になったかもしれない。
だからこそ、「櫻坂46東京ドーム公演」での卒業になったのではないかな。
………何の根拠もない、妄想にも近い憶測ですが。
そう思って納得したい、という憶測です。



目の当たりに出来た地方公演は大阪・宮城・愛知2日目だけでしたが、そこには紛れもなく(あえて不必要に強いこういう言い方をしますが)純粋な櫻坂46がありました。

だからこそ旅立ちの舞台となる東京ドーム公演では、欅坂46の曲であっても櫻坂46の曲であっても、それも含めてグループの歴史として、キャプテンがしたいこと望むことができるステージになってほしい。そうしても櫻坂46は揺るがない。
いつもグループのことを考え姿を見せてくれるキャプテンが選んだことならば、絶対これからの櫻坂46にとっても意味のあるライブになる、そんな気持ちもあります。





………またまとまらなくなってきたこの文章も4,000字を超えてしまいました。

「推し」という存在は、どうにも自分を冷静でいられなくする部分もあって、最近特にその部分が強くなっている自覚はあるし、支離滅裂なことを言っている気がするところもたくさんあります。

それでも、今感じていることを残すために、ここに綴っておきたいと思います。



読んでくださった方はおられるのでしょうか。
恒例のあれ、お渡ししますね。
10月から5月まで売っているチョコ味のあれ、押し付けます。押し付けさせてください。



櫻坂46東京ドーム公演、集う全員にとってかけがえのないものになりますように。

菅井友香さんのラストステージ、旅立つ菅井友香さんにとっても、これからさらに道を切り開く櫻坂46にとっても、前向きさに溢れたものになりますように。