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青天の霹靂2

前回の続きです。

 突然に決まった入院と手術です。なんの準備もありません。必要になりそうなものを借りに、あるいは買いに行きました。入院期間がわからなかったため、まずは1週間をめどに準備しました。服は病院のものも借りられたのですが、お金がかかるためにそこはケチりました。

 スーツケースを引っ張り入院です。荷物も多いし、送ってもらわないといけないので母が付き添ってくれています。まずは麻酔科のDrの診察があるから8時半に来てくれと言われたのですが、実際に診察があったのは9時15分ぐらいでした。1時間待ちました。その診察が終わり、入院の手続きをするセンターに行きます。必要書類を提出し、病棟に部屋の準備ができていることを確認してもらってエレベーターに乗り込みました。テレビカードを買ってテレビをつけます。高校球児たちが甲子園で白球を追いかけていました。持ってきた荷物を適当に片づけていると担当の看護師さんが来てくれました。病棟でも書類を数枚書きました。署名するだけだった気がします。入院プランをここで聞きました。手術してこれぐらいで離床し、いつからリハビリを開始し、退院の目安はこれぐらいです。そういった説明を聞きます。入院期間は2週間の予定でした。

 待ち時間等で思ったよりも早く時間が経ち、お昼ご飯の時間です。母も病室に入れたので一緒にご飯を食べました。食事はもちろん私の分しかないのでコンビニです。私は素麺でした。することもなく、食後でやってくるのは睡魔だけ。母も帰り、眠すぎたので昼寝しました。どのぐらい寝ていたのかは覚えていませんが、担当の看護師さんの声で起きました。明日の手術についてのことを連絡に来てくれました。そのあとは薬剤師の方や、手術室看護師の方が次々に来てくださいました。夕方ごろ、看護師さんがシャワー浴びましょう、と言ってくれたのでありがたく浴びてきました。そのあとはもう夕食です。6時に配膳されます。まだ外は明るかったです。食事に関しては塩分も糖分も何も制限はなかったので普通食なのですが、入院患者の食事です、あまりおいしくはありません。この病院は食事がおいしくないのは有名でした。食器を下げ、部屋に戻るともうすることはありません。ネットに入り浸り、時間が経つのを待ちました。病院の夜は早く、消灯時間が決まっています。私は個室だったので、消灯時間は関係なかったのですが、あまりに暇で10時頃には寝ていました。入院する前はそんなに早く寝れるか!と思っていたのですが、案外寝れるもんです。

 早く寝たおかげで起きるのも早いです。規則的な生活(強制)が始まりました。手術前は基本的に禁食なので朝食は出ず、水分のみです。手術の数時間前からは水分も禁止なのでペットボトルは冷蔵庫に封印しました。看護師さんが来室され、夜は眠れましたか、と。爆睡しました。と返すと笑ってよかったですと言ってくれました。白衣の天使はここにいた……!手術は昼だったので10時頃から準備が始まりました。手術着に着替え、塞栓症防止靴下を履きます。そのあとに点滴です。私は手術よりも点滴の方が嫌でした。これは誰にも理解されません。心臓バックバクで手汗ビチョビチョです。手術用の針は太いので痛かったです。術後はHCUに入るので、必要な荷物を看護師さんが確認し、準備万端です。ここで前の手術が早く終わったので早くなります、と連絡が入りました。慌てて両親に連絡しました。もう家を出るとのことだったのでまあ大丈夫だろうと。私はてっきり歩いて手術室に入るものだと思っていたのですが、部屋を出る前にベッドに酸素ボンベがやってきました。これ、ベッドのまま輸送されるな、と勘づきます。私の周りで手術した人のほとんどが歩いて移動したと聞いていたので、少し驚きました。病棟のエレベーターホールには家族待合があって、許可証があれば入院患者の家族はここまでは入れます。私が運ばれていると両親が座っていました。貴重品ボックスの鍵を預け、元気な右手で手を振って行ってくるよー!と言い残して病院関係者が通る通路に入りました。エレベーターを待っている間に、すごく元気だけど、緊張してないの?と聞かれました。正直全く緊張していませんでした。だって全身麻酔で寝ているだけなんで。それを素直に伝えると笑われました。なぜ?普通は緊張するものなんでしょうが、全身麻酔で寝ている間に痛みを感じることなく終わっています。何も怖くありません。オペに関して、麻酔に関してのリスクはもちろんあります。術前にしっかりと説明されています。私はそのリスクに同意してオペを頼みました。何かあったときはあったときです。病院なのでそれに対処してくれます。そう考えないと医療行為を受けることはできません。まあこれは個人の意見なのでなんの参考にもならないでしょう。こんな考えもありますよ程度に思ってくれればいいです。

  閑話休題

 ベッドで移動しているので、あらゆる医療関係者に道を譲ってもらいながらオペ室に向かいました。さあオペ室の前に到着です。ストレッチャーが用意してありました。自分で乗り移ってオペ室に入りました。そこからはもうまな板の上の鯉です。台に移され、器具をつけられます。執刀医、私の主治医が頑張りましょうねと笑っていたのをよく覚えています。ふと見た血圧は上が110程度でした。私の心臓には毛が生えているのかもしれません。すぐに麻酔科のDrにマスクをつけられました。麻酔ガスでまずは眠ります。臭いので口で呼吸してくださいと言われていました。確かに臭かったです。一般的なガスの臭いを想像してもらえれば大体あってます。気が付いたら終わっていたというのをよく聞きます。本当にそうなのか、と疑心暗鬼だったのですが、本当です。目を閉じた記憶すらありません。遠くの方で看護師さんが名前を呼んでいたので目を開けると終わりましたよ。と言っていました。まだ頭はぼーっとしていたのでよくは覚えていないのですが、HCUに移動して両親が入ってきたのは見ていました。母が手を振っていました。私も手を振り返したかったのですが、腕は上がりませんでした。主治医がこんなに大きなのが取れましたよ、と摘出した椎間板を見せてくれました。白い丸っこいものだったと思います。なにせ麻酔から起きただけで、完全には覚醒していませんでした。ここの記憶は曖昧です。母がわかる?と聞いて私は分かるよと言ったそうですが、自分が答えた記憶はありません。そのあとは母が私のことをよく寝る子なんで、と言ってよろしくお願いしますと出ていきました。静かになった病室で動けない私はただ痛みに耐えるだけです。目を開けた瞬間には痛いのがわかったので、これに耐えるのかとぼんやり考えていました。よく寝る自覚はあるのですが、痛みで寝れません。そのうえ時間もたちません。時計はあったのですが、天井を見ているだけだったので時間も詳しくは分からず。少し体勢を変えてもらい、痛みに耐えながら目を閉じます。ブツ切りでは寝れていたと思うのですが、なにせ寝た気がしない。ナースコールを押すのを遠慮していたのですが、痛いし、もういいかと思い夜中に追加の鎮痛剤の点滴をもらいました。暫くは起きていたのですが、1時間後にオーダーされていた鎮痛剤が来ました。それをいれてもらってからはすっと眠れ、朝になっていました。


前回から数か月、いろいろとありまして現在です。今回で終わらせるつもりで書いていたのですが、なぜか前回よりも長くなり、そして続きます。どうせなら退院まで記憶しておきたいので随分長くなるかもしれません。こんな一般人の記憶なんて興味もないでしょうが、自己満足です。ここまで読んでいただきありがとうございました。

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