シナモントーストが好きになった日
テレビで厚切りのシナモントーストを見た娘が
「これ食べたい!おいしそう!」と言った。
「明日食パン買ってこようか?」聞くと、「うん」と。
次の日食パンを買って、朝食はシナモントーストにした。
ずっと前から棚の奥にしまったままの、未開封のシナモンシュガーを出した。
これは夫が以前「おいしそうだ」と言って買ってきたもの。その瓶には有機シナモンココナッツシュガーと書いてある。
夫は「ついにこれを食べる日が来たか。買ったはいいが、どう使っていいかわからなかった」と。
夫と娘はパンを焼き、私は夫のお弁当を作っていた。
2人とも「…おいしい!おいしいね」と言いながらシナモントーストを食べていた。
私はシナモンがそんなに好きではない。
けど、あんなに「おいしい、おいしい」と2人の平和な姿が目の端に映ったから、私もお昼に食べてみた。バターを多めに塗って。
とてもおいしかった。
おいしくて、なんかよくわかんないんだけど、涙が出てきた。
私は心がハッピーな方に動くとすぐ泣いてしまうんだけど、食べながら泣くことは滅多にない。
ハタチくらいの一人暮らしをしていたころ母が部屋に来て、おでんを作り置きしてくれたことがあった。母が帰ったあと、部屋で1人熱々のおでんを食べながら、ありがたくて泣きながら食べたことがあった。そのとき以来かもしれない。
シナモントーストの味が泣くほどおいしかったからではない。
食べれること自体やその背景が嬉しかったのかもしれない。
おいしい
食べれるってありがたい 幸せ
娘が「シナモントースト食べたい」と言わなかったら食べてなかったかもしれない。娘ありがとう。
よく見れば、日常には幸せが身近にある。
当たり前のようにあって、通り過ぎていく。
大切なものやことほど、すぐ近くにあるのかもしれない。
考えごとをしながらご飯を食べていると味がわからない。何かに悩み、とらわれ、いつの間にか食べ終わっている。せっかくの食事が…。そんな事を数えきれないくらいしてきた。
人間は「考える」と「感じる」は同時にはできないらしい。
あとから考えたら「食事」を味わえたんだと思った。
私は人間だから、生きてると嬉しい、楽しい、悲しい、悔しい、寂しい、さまざまな感情になる。
夢や目標、目指しているところや理想があって、まだそれに到達していないとモヤモヤし、焦り、空回りする。
もっとこうしなくちゃ。こうでなければならない。
勝手にそう思い込み、自分ではないモノになろうとし、自分を狭くし閉じ込める。そこばかりに気を取られていると視野が狭くなり、いまある目の前の幸せを見過ごしてしまう。
それは気持ちよくない。
なんせ、楽しくない。
ご飯を食べたいから食べる。
つまり
〜したいから、する。味わう。
それだけでも本来幸せで、単純でシンプルだ。
まだ幼い子供ほどそれをしている。何者でもないあの無邪気な姿は眩しい。
きっと気持ちが荒れたりすると忘れてしまうもんだから、書きとめておきたいと思った。
今日も朝パンを焼いた。
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