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自分らしさが分からないあなたへ

みなさんこんにちは、長箸です。
今回は「自分」「自分らしさ」とは何かな、というお話です。
「自分らしさ」が良く分からないという方向けに書いてみましたが、良く分かってる!という方も意外な発見があるかも知れないので、良かったら読んでみていただけると嬉しいです^^
(ちなみに今回はワーク付きです)

自分らしく、とよく言われる

本やテレビ、誰かとの会話の中で「自分らしく」「あなたらしく」と耳にすることは少なくないと思います。
自分らしい行動、言動、職業、服装、髪型、生活様式など…自分は何が好きで、何が嫌いなのか。自分らしく、自分が心地よく生きていきたい。
誰もが思うことではないでしょうか。


「自分らしさとはなんだろう」の迷路

ただ、自分らしさって何だろう?の迷路にはまったことはないですか?
ふと考えてみると、一体何をもってして「自分らしい」のか。

服も髪型も特にこだわりはなく、何となく流行を追ったり追わなかったり、
就職活動は周囲と同じくランキング上位の会社を自分も目指し、
適齢期とされる年齢までには結婚するのが良いだろうと考える。
あなたはそれが好きなんだね、と言われると「いや、別に好きというわけでもないけど…」と思ってしまうことありませんか。
あなたは人生で何をしたいの?と聞かれてもピンとこない。
人から笑われない程度にソツなくやっていければ良い。
食うに困らず、それなりに日々幸せであれば御の字。
自分は芸術家でもないんだから、独自路線を追求する必要も感じないし、
もしかしたら「自分らしさが良く分からない」のが自分らしさなのか…?

「自我」=重要性評価関数

「自分」つまり「自我」とは、重要性評価関数であると定義することができます。
…急に取っつき辛くなったでしょうか? いえいえ、そんなことはありません。苫米地英人博士のいくつかの著書にも出てきますが、簡単に説明すると自分にとって何が重要か・重要でないか、その順位付けのことです。その順位付けが「自我」である、ということです。この世の全てものを、自分にとって重要なものの順番にずらり並べ替えたもの。その重要性の並び=自我です。(ちょっとピンとこない方も、このまま読み進めてくださいね)

ものごとの重要度は意外と人によって違ったりします。

例えば同じ動物好きだったとしても、犬派であれば犬が、猫派であれば猫の方が重要度が高いはずです。無類の爬虫類好きで…という方であれば、犬猫よりもカメレオンのほうが順位が上かもしれませんね。

人々の個性の違いは、こういった重要度の違いの現れです。
同じ国や社会、思想、組織に属している人達の間では重要度の順位付けはある程度似通っているものですが、ひとたび国が違えば、宗教が違えば、その順位が大きく変わることは想像にたやすいと思います。

自分にとって重要なものを順番に書き出してみる

ではここで一つ簡単なワークをしてみましょう。
今の自分にとって重要なものを上から順に書き出していきます。
ざっくりと20個くらい。思いつくままで構いません。
どちらの方が重要度が上か分からないものは厳密でなくても大丈夫です。重要なものとそうでないものが視覚的に分かる状態で書けていれば問題ありません。

今の自分の「重要性」は誰のもの?

書き出したあなたの重要なもの、その項目や順序を客観的に観察してみましょう。これはあなたの自我を表しています。

では質問です。
今並べていただいた重要なもの。上の方を見てみましょう。
それはどうしてあなたにとって重要なのでしょう?それが重要だと思うようになったのはいつからですか?何がきっかけでしたか?
というのも、人は親や先生、友人、様々なメディアなどから与えらえれる情報で自我を作っているのですが(これはつまり、意識的に取捨選択をしなければ、自動的に他者の重要性で生きることを意味しています)、それが重要だと認識するようになった出来事がきっとあるはずです。もし思い出せるようだったら思い出してみましょう。

では次に、その重要性、順位が一番上のものと一番下のものを入れ替えたらどうなるでしょう?(例えば、「お金」が一番重要だと思っていたとして、それを「お風呂」と入れ替えることになるかもしれません)
…きっとなんだか変な感じがしますよね。笑 先ほどまで同じ紙の上に自分を見ていたのに、急に他人が現れたような…。

入れ替えた順序を戻していただき、今度は、もし自分が本当は大切にしたいと思っているものが下の方にあるとしたら、それをググッと上に移動させてみましょう。もし20個の項目になかったら、新たに追加しても良いです。
…少しゴール側の自分に近づいたのではないですか?

自我とは、何かはっきりした輪郭のある「カタマリ」として存在しているものではありません。重要性はその時その時で変わるので、固定的なものでもありません。一瞬で入れ替わったり戻ったりします。
もちろん、自分で入れ替えたり、全く新たなものを取り入れることもできるのです。

先ほど今の自分の重要なものについて、どうして重要なのかを考えていただきましたが、もしも実際には現在の自分に必要ないと感じたのものがあれば、その重要度をグンと下げて、リストから外してしまえば良いのです。


種を埋め込まれた私

ここで私自身のエピソードを紹介したいのですが、私は「自分とは何者か」という迷路に中学生のころに迷い込みました。迷路というか、もはや沼でした。笑
自分とは何なのか、自分が何が好きで何が嫌いなのか等、考えれば考えるほどすべてが親や友達、テレビなど、自分以外のものの影響だとしか思えなかったのです。
当時の私はこの世の誰もがその人固有の「自分」や「生きる意味」を持っていて、この世の私一人がそれを持っていないように感じていました。
その頃、誰にも見せずにノートにこっそりと詩を書いていたのですが、

私の中には私がいない。
私は育てるべき自分の種をどこかに落としてしまった。
他者の種がいくつも埋め込まれ育ち、
私の体内は誰かの種から生えた蔦でいっぱいだ。
喉が苦しくて息ができない。

という趣旨のものがあったのを覚えています。
なかなかの絶望っぷりで、思い返しても我ながら胸が痛いです…。笑
(重苦しいのでこのnoteに書くことも躊躇われたのですが、どなたかの参考になればと思い書いてみました。)
その後、成長するにつれ日常の諦めの中でこの絶望は次第に薄まり、でも心のどこかに抱えたままであったそれは、苫米地博士の著書との出会いによりある日突然昇華されることとなります。

  自分なんてものは、なかったのだ。 
  最初っからそんなものはなかったのだ。


自分らしさは、自分で決める

自分らしさは自分で決めます。どうありたいのかは、あなたが決めて良いのです。他の誰でもない、あなたです。
あなたがどう在るかは、あなた自身が選択して、堂々と、その結果を受け容れれば良いのです。(そう、正しくゴールを設定するということです)

自分に固有の種があるとしたら、それはどんな花でも咲かせることができる不思議な種なのだと思います。どんな花にするかはその人次第。しかも、複数の、色とりどりの花が咲くことでしょう。
いろんな方向を向いて、いろんなタイミングで咲く花。
見た人が驚き喜ぶようなすごい花、一本で花束のような花。
いや、花というよりは樹かもしれません。いろんな花が咲く樹。大樹。

「自分はせいぜいこの程度だろう」
「失敗したら恥ずかしいな」
「笑われそうだからやめておこう…」
誰かの評価や他者の視点が自分の重要度の高いところにあるなら(たぶん多くの人にとってはそのはずです)、その重要度を思い切って下げてみるのも手ですよ?

何を「自分らしい」とするか。
すべては、あなた次第ですから。

本当に心から望む、とびきりの自分になりましょう^^


追伸… 苫米地博士のどのご著書で私が救われたのか、ぜひご紹介したいのですが、どの本だったか分からなくなってしまって…笑
今手元にあるものでご紹介させていただくならこちらなど。
重要性評価関数についての記載があります。

今回の投稿では自我を重要性評価関数という見方でお伝えしましたが、他にも様々に表現できます。部分関数、ブリーフシステム、ゲシュタルト、ゴール設定等…。それらについてはまた別の機会に別の文脈でお伝えしてみたいと思います。

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