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親から貰った判子の話

先日名前に関して吹き荒れた後だし、たった今判子を使って言いたいことがわだかまっていて、ちょうどいいので書く。

小さい頃に母親から判子を貰って、以来ずっと使っている。黒水牛か何かの、えらく高そうな素材。いつだったか、接点数のこだわりと一緒に値段も聞かされたような気がする。うちの親は形から入るタイプの人なのだ。

で、だ。彫られているのは、私の名である。下の名前。タテから見てもヨコから見ても女性名な、この名前。曰く、「女の子は結婚で名字が変わっちゃうけど、名前で作れば一生使えるでしょ」と。母自身、離婚して2回名字が変わったのが相当にストレスだったのだろう。

うん。
「女の子」――じゃなかった、ね。
「結婚」――できない。同性愛者なので。
「名前」――変えちゃう。性同一性障害なので。

この判子を使うたび、(ああーもうー自分でドン引く親不孝――!)と、やり場のない感情が噴き上がる。誰も悪くはない、ただ仕合わせが悪かっただけだが、故にやり場がどこにもない。

いやまあ、これを実印登録しているわけでもなく、縁起物やスピリチュアルに関心があるわけでもなく、そして珍しい名字というわけでもないので、「100均で名字のを買ってこい」で話は終わるんだが。

それでも未だに使っているのは、「一生」には満たないものの、せめて本名がこれである間は使い遂げよう、という心積り……はそんなにない。単純に、使う機会が少ないので買うのを忘れるのと、手間を惜しんでいるだけだ。

あと費用。どうせなら最初から実印登録できるやつを買ったほうが無駄がない。しかし今は金がない。改名が済んだらその記念に作るとかしよう。

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