愛してやまない父と母にラブレター

なんか愛をぶつけたくなった。
明日は母の誕生日、昨日は父の日。
ということで、noteにつくって放置してたもえこの愛を爆発させるマガジンに記念すべき第一弾として投稿することにする☺️

我が父・政司は根っからの農民だ。
公務員をしながら、貴重な休みは農作業に勤しむ。
ずっとずっとわからなかった。なんで買った方が安くつくのにお米なんか育てるんだろう。休みの日になんで汗水流してさらに働くんだろう。よくわからん。

父は根っからの農民なんだと思うことで理解できない価値基準に無理矢理納得させた。



我が母・恵美子はおせっかいで繊細な癖にパワフルな人だ。
小児喘息で身体が弱かった長男が入院しすぎて学校に通えなくなるかもしれない…ってなったときに、そうだ!私が勉強を教えればいいんだー!って、パワフルすぎる解決策で夕方小学生、夜は中学生に勉強を教える。その間の1時間で夕飯の支度をするっていうハイパーな人だった。
さらに、おせっかいだから(塾の生徒でもない)近所で遊んでる子が危ないことをしていたら叱っていて、子どもの頃は恥ずかしかった。塾の生徒ではない私の同級生に母が声をあげてるときの私の心境は「わー。やめてー!叱るのやめてー!明日学校気まずいやんー!」だ。
そんな母はちょっとやんちゃな人たち(言うても田舎の中学生だからそこまでやんちゃじゃない。笑)からおばちゃん、おばちゃんって慕われていた。子どもの時の私はそんなお兄さんたちとどう関わればいいかわからなかったから存在感を消していた。笑笑

そんな両親に育てられ、大学は地元の佐賀を離れて京都へ。大事に育てられてることが息苦しく、親元を離れたかった。
そして、就職を決めるタイミングで仕事を決める前に山奥に住むことを決めたら、両親からめちゃくちゃに、そりゃもうはちゃめちゃに反対された。
3ヶ月ほど膠着線が続いたように思う。電話口で何度か泣き叫ばれた(ような気がする)。
びっくりした。そんなに泣き叫んでまで反対されると思ってなかったし、そんなに反対されてまで何かを貫き通したことなかった。(気がするだけで母曰く幼い頃から頑固だそう。笑)
でもどんなに反対されても、自分の選択が間違ってるとは思わなかったし、というか間違っててもいいやと思えた。さらに言うならお父さんとお母さんの子どもだから、お父さんとお母さんの背中を見て育ってきたからこその選択なのにな〜。と反対する両親を横目に能天気に思ったのを覚えてる。

経済合理性を考えたときに田舎に住むなんて、なんて非効率なんだろう。不便だし、娯楽はないし。でも大好きなお父さんはずっと田舎に住み続けている。(もえこめちゃくちゃファザコン!笑)一体何が見えているんだろう。知りたい。そう思ったのが何もない山奥に住みたいと思うきっかけだった。


社会に出て、しっかりと自分の意志で生きてみて、何もないところから、自分がやりたい!って思った選択肢をつくった母がとんでもなくパワフルなことを知った。誰が応援してくれた訳でもなく、小さい萌子を抱えて塾をはじめた母はとんでもない奴だと思った。



6月21日はお母さんの誕生日。そして6月19日は父の日。

薄情な人間だから、気が向いたときしか祝わないし、父の日なんていつも何もしない。(ほんと薄情な娘☺️笑)
でも、お父さんとお母さんを私は間違いなく選んで生まれてきてるよな〜って思うし、間違いなくお父さんとお母さんの子だな〜って思うし、生きれば生きるほどお父さんとお母さんのことが大好きになってくるし、尊敬してるし、愛してやまないよ。


お父さん、お母さん生まれてきてくれてありがとう。
出逢って、結婚して、私を産んで育ててくれてありがとう。いつも迷惑と心配をたんまりかけるけど、相も変わらず萌子の父と母でいてくれてありがとう。
30年も生きてないのに大変なことたくさんあるから、お父さんとお母さんの人生も大変なことたくさんあったんだろうなって想像するよ。元気に生きててくれてありがとう。

まだ心配めちゃくちゃかけてるから、そんなこと言うんやったら早く安心させて!って言われそうだけど、どんなに長生きしたとしてもお父さんもお母さんも人生間違いなく折り返しに入ってるから、残った人生はほんとこれでもか!っていうくらい、めいっぱい幸せになってほしいと娘は思っているよ、できる範囲から選択を迫られた時は心地よい選択肢をとっていってね。


この先も幸せな良い人生をお過ごしください💓

愛を込めて もえこより

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