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銀行員時代 支店研修編③

彼女が支店に来なくなって以降、気のせいかもしれないが周りが妙に優しくなった。おそらく支店長が上席会議で新人の扱いを見直すように話したのだろう。支店の評価には新人教育という項目があり、退職に至った場合にはそれが減点対象となるのである。「これ以上辞めさせるわけにはいかない。」という支店全体の空気感がちょっとしたことから感じられた。

その影響は仕事内容にも現れた。先輩の補助が付く形ではあるが窓口に出る機会が増えたのである。最初は口座開設や住所変更といった簡単な手続きから始まったが、僕はこれに苦戦した。新人として書類の記入漏れ等があるのは仕方ないにしても、どうも会話がぎこちない。ぎこちないどころか、音声案内のように挨拶と案内以外には何も話さない。雑談を挟むにしてもPepper君の方がよく話すのではないかと思うくらいであった。

僕はこれまでに接客のアルバイトもしたことがないし、このブログの初稿で書いたように口でのコミュニケーションが苦手だ。お客さんを相手にしても何を話せば良いのかわからなかったし、「今日は良い天気ですね。」から始まる取り留めのない会話に何の意味も感じていなかった。僕はこの時ほとんどのお客さんに対して「ネットで手続きしろよ。」という感情以外持ち合わせていなかったのである。こんなふざけた態度の僕であったが、最初の頃は新人バッチという最強の武器を付けていた為、お客さんも「新人さんか、緊張してるんだな。」と優しく対応してくれた。

今の時代、口座開設、住所変更、紛失届等の基本的な手続きは全てネットで行うことができる。にも関わらず、依然多くの人が来店しての手続きを選ぶのはなぜなのか。それは銀行のインターネットバンキングのUI・UXが最悪だからだろう。僕もプライベートで利用する機会があるが、正直どの銀行のシステムも使いづらい。さらに来店の手間は省けるが、手続き完了までに長い日数がかかってしまう。「悪いのはお客さんではなく銀行だ。」と気づくとともに先ほどの不満もすぐに解消された。

銀行の手続き制度に疑問を抱きながら、お客さんと会話ができない日々はしばらく続いた。そして、この状況を見たサービス課長が「さすがにコイツはまずい。」と思ったのか、お姉様方を巻き込んでの"お客さんと会話できるようになろうプロジェクト"が始まったのである。お姉様方が毎日付きっきりで代わりがわりに僕の指導にあたった。年上女性が好きだった僕はお姉様方に完全にたじろいだ。「なんでもいいから話してみよっ。」と言われて小さなことからお客さんに話を振るも、会話内容がお姉様方に全部筒抜け。そのような状況では目の前のお客さんよりそちらに意識が行きがちだったが、なんとか堪えて奮闘した。

変なことがあるとお姉様方はすぐにフォローに入ってくれた。例えば、赤ちゃんを前にした時には「男の子ですか?」と聞くのは失礼で「女の子ですか?」と聞くのが常識らしい。男の子が女の子に見えるのは可愛らしいという印象で良いが、その逆はなんとも言えない微妙な印象を相手に与えるのである。ちなみに僕は後者の対応をしてお姉様方に注意を受けるとともに笑われた。僕はその子が男の子に見えたからそう口にしただけである。何が悪いのか理解はできなかったが、お姉様方に「全く、もう(笑)」と言われることに悪い気はしなかった。

その頃の日誌は「今日はお客さんと〜の会話をして〜な反応があった。」というまるで小学生の日記レベルの内容だったことを覚えている。くだらないと思う読者も多くいるかもしれないが、僕はこれまでの所感文とは違いこれを真剣に書いた。毎日の指導員のコメントはもちろん、たまに書かれる支店長のコメントを読むことが楽しみであった。ヤバい支店であれば、僕は干されていたか毎日怒鳴り散らされていたと思う。しかし、支店長を含めた全ての人が会話すらできない僕の成長を見守ってくれたのである。

前に新人最大の仕事はクレジットカード営業であると述べたが、これまでを読んで僕がそれどころではなかったことがわかるだろう。しかしそこは体育会、お姉様方の指導のおかげもあってお客さんともすぐに会話ができるようになり、最初は難しかったクレジットカード営業も次第に獲得件数が増えていった。それでも僕だけで大型店のノルマを達成するには力不足であり、年間目標に対する月々の進捗は大きな遅れをとった。

クレジットカードの獲得は本来年間ノルマの一つとして支店全体に課されるものである。しかし、支店の従業員はクレジットカード営業=新人なかでも新人総合職の仕事という認識を持っており、その実情は異なる。過去の先輩方も同じ経験をしてきた為にそれが当たり前となっているが、明らかに非効率あるいは銀行として本気で獲得する気がないとしか言えない。営業の基礎を学ぶに最適と主張する人がいるかもしれないが、ここで問題になっているのは題材としての話ではなく環境の話だ。新人総合職への押し付けのような形でこれを行うのであれば、銀行はカード発行そのものを今すぐ辞めた方がいい。

とは言うものの、ノルマに遅れた状況で僕も過去の慣習に倣い、業後一人でATMに立ちお客さんに声をかけ続けることもあった。大方無視されるが稀に獲得に繋がることがあって、その時は喜びというより「最低限自分の行動が無駄ではなかった。」という安堵を感じた。想像してほしい。自分がお金を引き出そうと遅くにATMに行ったら若いスーツの行員がいきなり声をかけてくるのである。「やかましい。」と鬱陶しがるか「かわいそう。」と哀れむ以外の反応があれば是非とも教えてほしい。未だこのような修行的文化が銀行には残されているのである。

ここでは、お客さまと会話のできなかった僕が、クレジットカード営業ができるようになるまでをお伝えした。その手助けとなったお姉様方による指導は非常に心地良いものであったが、その環境に甘えた僕は同時に男としての何かを失った気がしている。お姉様方とやり取りをする度に、「こんなデレデレした振る舞いをする自分が気持ち悪い。」と自己嫌悪に陥った。しかし、居心地が良ければそこに安住するのが人間で、僕はすっかり環境に溶け込んだのである。次回、支店の一員となった僕が経験したいくつかの小エピソードを紹介して、最後支店研修編を締めくくりたい。

#銀行 #支店 #研修 #エッセイ

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