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nobara(6)

 沖田は駅前のロータリーで篠永を見送ると直ぐにスタジオへ車を走らせた。駐車場に着くと自販機で120円のアイスコーヒーを買い仕事前に一服したいと裏口でタバコを取り出す。吐いた煙が鼻腔を抜け、流し込むコーヒーが喉に清涼感を伝えるとポケットの中でスマホが震えた。画面の"希空"の表示を確認して出る。
「…お疲れ様です。沖田さん、すみませんまだスタジオ戻られてないですか?」

タバコの先を灰皿に押し付けながら吸った息を長めに吐き出す。
「ごめん今裏で煙草吸ってて、もう準備出来ちゃってる?」
「いやそれが、朝香さんセット中に気分悪くなっちゃって。今横になって休んでもらってるんです。とりあえず事務所まで上がってもらえますか?」

 沖田が事務所に入ると末田が電気ケトルからカップに湯を注いでいた。沖田に気付き手を止める。
「朝香さんは?体調どう?」
「今さっきのことなんで…、軽い貧血か疲れじゃないかってマネージャーさんは仰ってたんですけど。ここのとこよくあるみたいで。」
「忙しいんだねぇ、いいことだけど。で、撮影はやるつもりかな?」
缶コーヒーを飲み干すとそのままシンクで中をゆすぐ。
「今日のお仕事ここで終わりみたいでうちが良ければ復活するまで時間欲しいらしいです。沖田に相談しますとは言いましたけど?」
末田もシンクへ向かい沖田と横並びになるとさっき湯を注いだカップにペットボトルのミネラルウォーターを加え始めた。
「うちはいいよ、今日は後が無いからね。」

「…今日のこのあとの事忘れてないですよね?」
「んー?あーはいはい、その事なら大丈夫。撮影後の事務処理は明日に回すから。終わったら速攻準備して出よう、ね?」
「…朝香さんにこれ持ってってこっちは行けるまで待機しときますって伝えますね。」
「よろしく。」

末田がカップの乗ったトレーを片手に控え室のドアをノックする。目を瞑るくらいの大袈裟な笑顔で部屋に入っていった。

扉が閉まる音と同時に口を閉じたまま鼻からふーっと、ため息をつく沖田。彼が末田を入社させたのは以前アシスタントに付いていた大知が結婚、妻の妊娠出産を機に育児休業を取りたいと申し出てからだ。今時男の育児休業も必要だよな、とは言え突発的な仕事も多いので時短勤務という程を取り融通の利く業務形態を図った。その頃に沖田の撮った写真を見ていきなり電話をかけてきたのが末田希空だった。

沖田は兎に角面倒が嫌いだった。何かに反発するより受け入れ、無理難題も工夫を凝らしてやり通す。そういった姿勢を人は優しさや努力家だと言うがそうじゃない。どんなに難しいことや苦しい事も逃げるより波に乗って進む方が楽なのだ。群れていれば他人に芯がないなどと言われて疲弊してしまう。だから友人も仕事仲間も最低限の人数な訳だ。

初めは末田の申し出を断った。沖田は女性の扱いが苦手だ、拒む事が出来なければ受け入れ過ぎて離れていってしまう。そして去る者は追わない。仕事としてならと大知が正規復帰するまで、その後はお前の努力次第だぞと念を押して入社させた。

何がきっかけだったか忘れたが、プライベートとビジネスの間が曖昧な中で末田は沖田の私的なパートナーにもなっていった。

仕事に支障が無いならいいかと思っていたが、やはり女という性はこの世で1番扱いが分からない。執着の無い沖田にとって勝手に自分から去っていくのは問題ないが、仕事と両立しているのがなんとも遣り難い。

「面倒な事になってきたかなぁ〜。」

シンクに腰をもたれ、右耳の耳たぶを摘むように触りながら控え室の扉をぼんやりと眺めた。

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