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学ぶ姿勢さえあればどんなことからでも学べる~子ども対話アカデミー「鬼滅の刃」~

 小学校の臨時休校中にキンダリーインターナショナルさん主催のオンライン上でマンガから対話をするという何とも興味深いイベントを発見したので親子で参加しました。初めは、好きなキャラクターや好きなシーンをひたすらしゃべりまくる時間。そのあと、視点を現実において「考える」時間といった構成で行われたあっという間の1時間でした。我が家では1~19巻まで大人買いした直後とあり、子どもの横できっと子ども以上に楽しんでしまいました。

 この時は休校が始まって約1ヶ月。同年代の子とただただ好きなことをしゃべることが楽しいんだなー、大人に聞いてほしいことがいっぱいあるんだなーというのが伝わりました。またこの日は月曜日だったため、今日のジャンプ読んだ?などネタバレ合戦。とにかく止まらない(笑)。見事に視点がバラバラでしたが、低学年は笑えるシーン、高学年は感動するシーンが好きな傾向があるなーいう印象を持ちました。面白い・笑えるといった絵から感じ取りやすい想いから始まって、年齢が上がるにつれセリフからキャラクターの感情に寄り添えるようになるんだなーと思うと子どもの成長はすごいなと思います。

 その後、3つのテーマで「考えて」いきました。こちらもたくさんの想いにあふれていました。そして、私自身もたくさん「考える」ことができました。

 テーマ1は「鬼が過去を思い出しながら死んでいくシーンをどう思うか?」。鬼だってなりたくて鬼になったわけではない。なんで鬼になったのかと思いながら死んでしまうのはかなしいといった意見がありました。過去を思い出すことは自分の行いを振り返ること。その行いに対しての自分の思いや価値観に気づくことって大事なことだと思います。

 テーマ2は「家族(主に親)が鬼になったらどうするか?」。そのシーンをみていたという想定で考えました。怖いから逃げるとか誰かに倒してもらうという意見が出ていましたがやはり大事な家族。嫌だ、かわいそう、自分も鬼になる、炭次郎のように戻す方法を考える、自分で倒すために鬼殺隊になるといった意見がたくさんありました。家族にどう寄り添うか?今の現状と重ねながら私も真剣に考えていました。もし、自分の子どもが鬼になってしまったら、、、きっと累(十二鬼月)の家族と同じように一緒に死のうとするだろうなとか、自分だけ鬼になってしまったら家族にどうしてほしいだろう?とか。鬼になる=病気や事故で寝たきりになって意思表示できない状態になった時と置き換えて考えるとこの質問はかなり深かったです。

 テーマ3は「このシーンはこうだったらいいのに」。このマンガ、主要キャラが躊躇なく死んでいくんですよね。また、死ぬときは人間も鬼も過去を振り返りながら死んでいくんです。そのため、特に柱たちが次々と死ぬシーンは子どもたちにとっては結構ショックなようで生きていてほしかったとか、この話そのものが夢だったらいいのにといった意見が出ていました。個人的な意見ですが、作者もこうだったらいいのに!と思いながら書いているのかなと思っています。だからこそこの作品からリアルな”死”、そして、リアルな”生”が感じられ、思いに寄り添い、共感してしまうのではないかと思うのです。

 答えのない問いかけに対して「学び続ける」こと、考えることを「諦めない」こと、すごく大事なことです。デモの原因、原発の是非、気候変動対策といったグローバルな問題から通学班でのちょっとしたトラブル、姉妹げんかといったローカルな問題も答えのないことだらけ。どこに視点を置いてどの立場で考えるのか、そしてどう行動するのか。最後は自分で決める必要があります。こういったことを考え続けるのは、実は好きな分野から入るのが一番効率が良いのでしょうね。学ぶ姿勢さえあればどんなことからでも学べるって真理です!

 

 

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